~~~時代は何を求めるか
稲田陽子 12,000年も前の上古代人のレガシーとも言える カタカムナをいまに伝えたのが、物理学者でもあった楢崎 皐月である。その楢崎が見たこともない図象文字の文書を 平十字というある不思議な人物から委ねられ、解読した という伝説的とも言っていいエピソードとともに顛末が 語られている。 平十字という人物がいったいどこから現れたのか誰にもわから ないという。その謎めいた事実は、ある意味で目覚しく発展する 量子力学ですべて解明されていたなら、という希望や願いを あるいは私たちに抱かせるのだろうか。(注/これは個人の私見です) 楢崎皐月は、土地の電位差を研究し、それを静電三方として 提唱した科学者でもあったが、まさに電位の高い土地が イヤシロチであることを実証した。これはカタカムナが 物理の世界のものでもあることを見て取れる事例と思われる。 当然カタカムナ的に言えば、目に見えない潜象世界が アマウツシによって現象化しているものと捉えられうる。 いわば、宇宙の実相として現れているものと考えるわけである。 カタカムナは、天然物理学と言われているように、宇宙の 生成、発展、消滅を描き出している科学の書であると言って 過言ではない。まして12,000年も前に人々の前に存在していた 哲科学的な図象符で表現されていたというのだから、不思議な事実でも ありながら、現代では、そこに何らかの量子力学的な 普遍性を感じさせられる現代人も珍しくないようである。 解読した楢崎皐月は、図象文字を単音48文字(カタカナ)に 変換し、宇宙の実相や哲学的思念を明らかにした。そこでは、 量子力学的なゼロ・ポイントフィールドを想起させる存在が すべての起点になっている。それが科学技術の発想の源泉にも なりうるのも、自ずとうなづけるところがあるのかもしれない。 稲田は、カタカムナについて、そうしたゼロ・ポイントフィールドの 存在を認めつつ、楢崎皐月のフィールドワークに参加した若い 日々を回顧し、むしろわかりやすくその本質に迫った。 それは、日常の中にどうカタカムナを生かしてゆくのかという ことにつながり、誰でもできる感動のセンサーに気付いていく 過程に導いていく。混沌と見える宇宙の実相から、実は人が シンプルになればなるほど、見えてくるものが違ってくる。 つまりは、どんな存在もカム(根源の存在)のエネルギーから 生み出され、再びそこに帰ってゆく理の中にあるというのが カタカムナの本意である。少なくとも、物質はその循環を量子論的な 自然界に委ねている。 例えば、喜び、ありがたいもの、心地よいもの、これは、 すべてアマ(天然)の本性であり、この本性に触れる体験から 心身の相似象化が引出され、アマウツシが生まれるが、そこに 展開される宇宙や生命の実相こそが重要なのだと言える。それを 体感することでシンプルな自分と巡り合い、そこから直感や感性 が引き出されていくと、稲田は語る。さらに、そうした意味からも あくまでもカタカムナは個人のものであり、カタカムナ研究者 である関川二郎さんと同様に、真の自由人への道が開かれるものと 考えたのだった。その世界観には組織などに囚われる ところがない。よく言われる縄文の平和が自ずと浮かび上がる。 参考図書/『カタカムナへの道』(関川二郎著/稲田芳弘編)