~~~「超知能」AIの出現で加速する??
稲田陽子 「人間には、誰にも、どんな人にも、人格っていうのが あるでしょ。同じようにクマさんにはクマ格、ヘビさんには ヘビ格…ねっ。キノコの菌は顕微鏡でしか見えないけれど、 それにもちゃんと命がある。そして、生きているものは みーんな同格なんですよ。地球上に生きている生きものは みーんな、ね」(『エコろじー』より) と、語ったのは、どろ亀さんの愛称で親しまれた高橋延清さんだ。 東大演習林の育ての親でもあり、どろ亀さんが研究開発した 林分施業法はいまも実践され、北の大地に息づいている。 このどろ亀さんの言葉は、どこか「古き良き時代の」と いう枕詞がつきそうだが、時代が変わっても、その意味 するものは変わらないのは間違いはない。 これを前提に、AI格などというものが加わったなら、いったい どういうことになるのか、もちろん皆目見当がつかない という方も多いのではないだろうか。ただ、AIは、自然界の ものではなく、命があるわけではない。しかし、アルトマンの 言う自律型のAIは人間を遥かに超えるものだから、その立ち位置を 理解するまでには想像以上の時間を要するかもしれない。 さて、今年も恒例の芥川賞や直木賞のシーズンがやってきたが、 文壇文化が生きていた頃は、AIが小説を共作して賞をもらう などということは、SFの世界の話であり、そんな発想すら誰の 頭にもなかった。うまい、下手(成功、不成功)は別の話として、 それが、いまは微妙に変化している。2年前に芥川賞を得た作品が、 驚くべきことにAIの共作だったからだ。 もっともこれにはきびしい意見もあり、 AIによる小説の執筆は 人間の創造性をおびやかすもので、人間の尊厳を傷つけるといった 趣旨のことまで一部では言われたという。こうした意見は、それ なりの整合性があると思われ、いまも正解はないようである。 ここには、芸術をはじめ本来の人間の創造的表現活動による昇華の 概念が消えてしまうのではないかという危惧の念が根強くあるの かもしれない。何を目的として創作するのかによって、おそらく その意味も価値も変わるに違いない。 AIが小説家になってしまうなら、少なくともそれは何を意味するのか…。 単に小説家という職業を代替えするだけにとどまらないものを 思わず感じ取ってしまう。人間から創造性を奪うだけでなく、その 模倣の天才でもあるAIが多くのエンターテイメント文芸を生み出す 総本山になってしまう可能性だってなきにしもあらずだ。 自律改善型のAIが出現したら、なおさらである。 AIと共作した芥川賞作家の方は、受賞後の作品で95%も AIで文章化したのだという。これも、AIによって何か創造的で 新しい発見を求めて行われたような印象があったが、いずれにせよ 議論を呼びながら、今後の動向の中で正解のない答え合わせが なされていくような気がする。AIへの興味や関心は、もはや 止めようがなくなっている感もある。ただし、人間は、そんな中に あっても、引き返すことのできる知恵は備えているはずでは…? どろ亀さんなら、何を思うことだろう。