ほっこりした話

~~~『ガン呪縛を解く』初版のころ

稲田陽子

雪が降り積もる我が家の庭に、確かにあったはずのドーム。
改修を重ねていたが、とうとう雪害で取り壊しとなったものだ。
このドームや夫を懐かしんでくれる人に偶然、出会った。
何気ないのに意外な人物がほっこりした話を聞かせてくれた。

「ぼく、先生のこと知ってるんです。
母がガンだったのですが、先生は、 知識がすごくあって、
いろいろな話をしてくれて。ものすごく勉強になりました」
しかし、とっさには、何も思い浮かばない。
私は、時を戻して、記憶をたどった。そういえば、ドームで
そんな若い人と私も話したかも知れなかったと、ぼんやりした
記憶のベールを取り除こうとした。

「先生、亡くなられたんですよね?」
私は、今年が13回忌であることを伝えた。
当時は二十歳くらいだったのだろうか。いまも若い彼にも
13年という時の流れを受け入れざるをえなかったに違いない。
白い雪の原野?のように堆く積もるドーム跡を見つめながら、
「寂しいですね」と、一言。
それほど広いわけではないものの、まさかあのドームが消えて、
ポッカリとした空間になっているのを見たら、誰だって驚くことだろう。
彼は、久々に集荷に訪れていた。

「ぼく、先生の話を聞いて、本を5冊購入して、周りに
配ったりしたんですよ。僕にも何かできないかなと、思って…」

集荷は、臨機応変に他業者に依頼することもあり、また、私の視力の
悪さ(今は回復)も手伝って、黙々と集荷をしていく彼の存在を
気づきにくくさせていたようでもある。

彼が本と言ったのは、もちろん『ガン呪縛を解く』のことであり、
当時HPで連載し、多くの読者の方から反響を呼んだものである。
それは、ほどなく出版というカタチをとって、単行本として皆様に
お届けすることとなった。流通も通さずに、すべて直販であった。

そのため、夫はどの書籍も自ら宛名書をして、一年にわたる連載後の
初版に気持ちを込めて、発送した。私が手伝おうとすると、「一人ひとりに
思いを込めるから」と、忙しさの合間を縫ってたくさんの宛名を
書き続けたものだった。この頃は、「千島学説的ケア」が功を奏してか
体調もよく、安定感も感じられていたので、私も安心感があったのも
事実だった。

こうした状況のなか、集荷に来ていたのが、「嵐の日もホワイトアウト
の日も変わらず邁進し続ける」この「若い子」だったのだ。

『ガン呪縛を解く』は、夫の他界後に書店やアマゾンなどのネットに
出すようになったが、それまではまったくの直販であり、多くの
方々の口コミや自らの講演会などで全国に広まっていった。
その本書は、歳月を超えて注文が絶えない。
願わくば、少しでも読者の方々のお役に立つならば、こんな嬉しい
ことはない。
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