~~~稲田芳弘メモリアルな言葉とN.Y.からのメール
稲田陽子
世界が急に明るくなり、真冬日の多かった冬も、もうその
名残リも感じさせない。その分、春が早かった。三月の下旬
クロッカスが我が家の庭に咲き始めた。自然界は、無心であり、
人の世に棲みながら、一向にその騒がしさに動じる気配もない。
しかも、このHp、Creative Spaceに紹介している電子絵本
『生きる喜びのつなげ方』(いやしまよけ作)ではないが、
自然界の潜象にはいつも「生きる喜び」が泉のようにあふれて
いる。春は、そんなことを感じさせる季節である。
そんな潜象の息吹そのままに、 ニューヨークに在住する
M. G.さんが Eco・クリエイティブの書籍をずいぶん購入くださり、
そのついでに素敵なメールのやり取りがあった。
トランプ旋風「復活説」やバイデンの「認知症説」が巷に
流れる中、アジア系に及ぶレイシズムを内包するコロナ禍も
続き、アメリカの現状は混乱という二文字をかき消すことは
できない。しかし、メールからは、そうした戸惑いや不安とは
真逆に真摯に日常を生きる感性が伝わってくる。その言葉に、
本当に思い出さなければならないことが魂に湧き上がる。
(以下、Mさんのメールからの引用)
「あなたが希望そのもの。私たちの存在は、既にその
螺旋の中に存在しているのですから。
私が縁を持てたのは、陽子さん、芳弘さん、
存命か存命でないかなどは関係なく、
私たちの魂が同じ螺旋の中にあり、波動を出し続けている
からです。私たちは意識体。波動そのもの。私たちが希望
そのもの。
泣いて笑って、共振し、共鳴し、
共に歓びの渦を描いていきましょう。
もちろん今もご存命なさっていて下されば…と思うことでは
ありますが、しかし彼が彼の人生を、彼の意志を貫き通した
人生を生きてくださったお蔭で、この世の螺旋のエネルギーは、
こうして動き続けてもいるのです。
宇宙は完璧であり、私たちが不完全と思うことさえもその
摂理の一部です。」(引用終わり)
ここにあるのは、カタカムナの潜象の世界との重なり合い
であり、天然の「生きる喜び」の享受と放出であろうか。
そして、全ての存在が、「希望」そのもの…。
この意識が人を変容させ、日々の生活をフレッシュなもの
に変える種子となって、虚空で響き合うのだろう。ここには、
多くの人の励みともなるメッセージが含まれている。
稲田のメモリアルカレンダー『小樽、 Let it be…』をめくり、
3月になった日、飛び込む稲田の言葉を読み、 Mさんは書く。
(以下、メールの引用)
「今日から3月。カレンダーをめくり、
青空に「準備はいいかい?」と聞かれているように感じました。
芳弘さんの言う、「昨日」と「今日」。
そこに線は引かれていません。
昨日と思っているうちに今日であったり、
今日の中に過去があったり、明日があったりします。
季節は移ろうものですが、時計の「時間」は存在しません。
芳弘さんの言葉を、今日この時に目にすることは、
既にシナリオに書かれていた。
それは過去でもなく未来でもなく、
ただそう「在る」ということなのでしょう。」(引用終わり)
天然の意識の物理は、直感を通して、啓示をしてくるのかも
しれない。季節が移ろうものであっても、時計とは別の
もう一つの時間がある。その散歩道には、昨日も今日も、
明日もある。そこは、希望の宝庫。ただそこに「在る」
という時間の愛しさ…。
「ここまできたら、
あこがれが見えてきた
あるいてきた道に
意味がきらめいている。
昨日と今日のシンフォ二ー」
(『小樽、Let it be…』3月のイメージポエム/稲田芳弘)