内なる世界のフロンティア・スピリット

~~~ヨブと薬害と「星の時間」

稲田陽子

潜在意識の世界を説明するのは、誰でも簡単なものではないが、
 例えば夢に現れるストーリーなどは潜在意識が作り出していると
 いえば、途端にわかりやすくなる。実は意識は3%(~10%)の
 顕在意識と97%(~90%)の潜在意識で成り立っている。その
 全体でセルフということになる。

こうした潜在意識や無意識は、自分では意識できない。ユングは
 フロイトよりも壮大な無意識界を想定し、集合無意識や個人的無意識
 という概念を編み出した。この無意識という世界は、常に私たちの
 内なる世界に存在し、それこそ意識に上ることなく思考や感情、
 行動に反映し、影響を与えている。

私は、このブログ休止期間中にその無意識の世界に踏み込み、探索し、
 道なき道を行くある種の「運命(destiny)」に出くわしていた。
 こう書くと、少し大袈裟だが、これは、ある意味で「内的な旅(journey)」
 だったと言ってよいのだろうか。実際にはこの人生でそうそう経験する
 ものでもなく、またそうしたいなどと夢ユメ思いたくもない類のもの
 でもあった。

実は、昨年の晩秋、おかしな偶発的なアクシデントが起きた。
 あるスピリチュアルワークを提供している動画になぜか関心を持ち、
 そのワークに参加してしまったのが、始まりであった。

この動画を何回か体験した私に何が起きたのか。最後にワークを
 した翌朝、私は、突然「自分ではない自分」が占拠していることに
 気づき、慌てふためいた。「チャクラが壊れた!」「何かが
 取り憑いた!」(笑)という具合で、一人で朝から大騒ぎであった。
 誰かが聞いたら、完全に気がおかしくなったとしか思われなかった
 だろう。

 そんな私の中で、別の視点が失われていたわけではない。
 潜在意識から何かが浮上してきたにちがいないと、どこかで納得
 している。

しばらく悩んだ末に、私は、初めて心療内科の門を叩いた。
 そこで心理検査結果をふまえて診断されたのは、意外にも軽いうつ
 であり、自律神経失調症であった。医師は、私の話を丁寧に聴き、
 「何か奥から浮上してきたんだね」と、私に共感を示してくれた。
 それが、幾ばくかの安心感につながったのは事実だった。
 とはいえ、たとえ軽いものであっても、うつという診断名と
 私自身とはどう見ても絡まない。(そう思っていた!)
 まるで場違いの服を当てがわれたような気分だ。医師からは、
 「うつは参考程度でよいが、心に留めておくように」と言われる。

イメージの世界は自由自在で面白く、潜在意識からの何らかの
 メッセージであることもあり、ふだんから私の関心事の一つでもある。

今回の一件も、ことによると、大きな浄化現象への扉だったのだと、
 解釈出来ないこともなかった。イメージは、一種の幻影であり、
 自由にその状況を変えることも可能である。それがイメージの特質
 と言える。だから、その謎が解かれていくにつれて、ベールが
 剥がされ、正体も垣間見せる。

医師からは、生活の仕方のアドバイスがあり、生活の基本に
 従って過ごすようにと言う。また、ややこしいことなど何も考えずに、
 休養を主眼に置いて過ごさなければならない。これは、肝心の仕事も
 するなということであったが、集中力が切れてしまっていたような
 その時の自分自身の状況からは、さもありなん!というところ
 だったろう。

夫の意思を引き継いだこともあり、「生きる基本系」の一つのカタチ
 でもあった仕事だけに、何とも言えないやるせなさ、悔しさ、そして
 忸怩たる想いが私の内なる深みを彷徨い、占拠した。ヨブ記のヨブの
 物語が脳裏に浮かんでは消えた。

その後、『ヨブ記』でもあるまいに、自律神経失調症の薬の重篤な
 副作用に見舞われ、状況はこれでもかと言わんばかりにさらに
 悪化した。この薬剤がもたらしたのは、「薬剤性パーキンソニズム」
 というこれまで耳にしたこともなかったものだ。これが原因で、
 私は、体を自由に動かすことができなくなり、これまで当たり前
 だった「歩くこと」「座り続けること」「寝返りを打つこと」などが
 正常に機能しなくなってしまった。文字を書くことすら上半身の
 動きが硬くなり、スムーズではなくなっている。

何とも恐ろしいことになっていた。まして、しばらくの間、医師
 にも原因に気づいてもらえなかったのだから、最初から副作用を
 懸念していた当事者の私にすれば、募るのは、当てどもなく広がる
 焦りと不安ばかりだ。

一人では当然、生活自体もままならないなか、日常の最低限の作業は
 不自由な動きで何とかこなそうとしていたが、とうとうそれも限界の
 域を超えた。ある真冬の夜、私は足が立たなくなり、「緊急事態
 宣言」(笑)を娘たちに発信した。すると、上の娘が車ですぐに駆け
 つけてくれ、そのまま、下の娘のところに直行となるや、そこで私は、
 初めての介護生活を余儀なくされていくのである。

求めていたのは
 ホリスティックな医療

その娘たちの助力のお陰で足の力が多少とも回復すると、日常的に
 起きられるようになったものの、相変わらず寝返りができない。
 長く座っていることもできない。私は、自分で考えた軽いストレッチや
 廊下での歩行訓練などのリハビリをする以外は、丸太になったような
 気分でベッドで過ごさざるを得なかった。

介護する者にもされる者にも、光の見えない日々が続く。そんななか、
 目の前のホワイトアウトが一掃したように娘たちは何やら閃いたらしく、
 私が処方されていた全薬のすべての副作用をインターネットで徹底的に
 調べ始めた。その結果、自律神経失調症の薬の重篤な副作用として、
 「パーキンソン症候群」という項目が浮かび上がる。私の症状に
 そっくり当てはまるという。

それから物事が急展開したのは言うまでもない。娘たちは別の
 「病院」を探し、私は、そこの医師の指示で症状の原因薬剤を止め、
 その後改善の一歩が確認されたのを契機に、これ以上の薬依存を
 避けるため、病院にかかるのも止めてしまった。時は、新型コロナの
 パンデミックが日本にもじわじわと押し寄せていた.3月も末のことだった。
 人生初めての心療内科受診から一シーズンが過ぎていた。

薬剤は怖い。体質に合わない場合、どんな薬害があるものかわから
 ないからだ。がん患者でなくとも、私は、薬害に敏感になっていた。
 ところが、変更したそのクリニックでは、抗うつ剤を勧めてくる。
 「副作用もほとんどなく、依存性もない」とも言う。重篤な副作用に
 ついて診断してくれた医師には感謝しているが、これには、どこか
 しっくりこない。後でインターネットで調べると、その薬剤には
 「離脱作用」があるらしく、毎日の服薬が必要になり、断薬にも
 苦労しそうな気配である。
 さらに、医師は私の動画体験はあまり重要視していない風だった。
 むしろ、神経伝達物質の不具合など、私の状態を「脳の疾患」として
 捉える傾向が強かった。

前の病院では、途中から「軽いうつ傾向」という表現に変えている。
 ということは、本格的なうつ病ではないということだ。
 それでも、本格的な薬を飲む必要があるのだろうか。そのころの私が
 望んでいたのは、薬剤ではなく、気軽に話せる臨床心理士のような
 専門のカウンセラーだったというのが正直なところだ。その意味で、
 心理検査や心理療法的なものも多少とも採り入れていた前の医師には、
 当初は期待するものがあったのは確かだった。

日本では、そうした備えを有している病院は増えているようでいて、
 実際にはそれほど多くもない。運よくカウンセリングを受けられる
 としても、保険が利かないのも難点である。多くの人々は、よほど
 心理学に興味がない限り、当然のように薬物に頼ることになる。

脳科学の発達はめざましいものがあるとはいえ、精神的なものを
 すべて脳の問題だと考え、薬剤のみを治療の主体に置くのにも
 無理はないのだろうか。加えて、本当の病気でないのに、薬剤の虜に
 なって依存するうちに、見せかけのものがいつの間にか、「本物の
 病気」として振るまい始めることはないのだろうか。そうした話を
 耳にしないこともない。

私の場合は、薬害に翻弄されただけでなく、それ以上薬物も必要
 ないように思われたので、病院治療を離れてからは、もっぱら漢方薬、
 ホメオパシー、セロトニン・サポートのサプリメントを活用した。
 何よりも副作用がないのがありがたかった。
 (漢方薬に副作用がないということではないので、ご注意を!)

このやり方は、簡単に工夫できる自己調達のセルフケアなのだが、
 別な言い方をするならば、潜在意識に注目し、薬剤の副作用もない、
 いわば自己流の「ホリスティックに近い医療」である。
 結局、求めていた医療は、自己調達するしかなかったというのも、
 なんとも皮肉な結果ではないだろうか。その現実に、さらにある種の
 納得感もあるというのだから、二重のパラドックスだ。

ちなみに、ホリスティック医療といえば、ガンの代替医療の分野
 でもよく聞かれる言葉である。これは、人間の霊性を認めた全人格的な
 統合医療のことで、西洋医療と代替医療が柔軟に融合しており、
 患者側から見ると、選択ができる医療でもある。ならば、抗がん剤
 などのガンの通常医療を選ばなかった場合でも、診療をしてもらえ
 ないなどというシステムなどありえないわけである。(ref/『荒野の
 ジャーナリスト稲田芳弘~愛と共有の「ガン呪縛を解く」』)しかし、
 残念なことに、この医療は普及しているとは言えない。

ヨブの試練の裏側
 「ヨブの答え」とは…

人生は、不可解なものである。ある日突然、目の前の風景が
 変わっていたら、誰だって驚くにちがいない。脅威にさえ思うことも
 あるだろう。私の体験が進行していた間、まるで見えない藪の
 中から忍び寄るように、日本にも「新型コロナウイルス」の脅威が
 じわじわと押し寄せてきていたが、この構図に、私は、何とも不思議な
 共時性を感じてしまう。

人生には、「なぜなんだ!」と、叫びたくなるような「ヨブの
 試練」がいつでも控えており、油断していると、蟻地獄のように
 嵌まり込み、巻き込まれる。順風満帆だった義人、ヨブは、信仰熱く
 模範的で人々の尊敬を集める、いわば、神の恩寵のままに成功した
 人生を歩む人格者(義人)といったイメージの人物である。

ところが、そのヨブに神は理不尽な試練ばかりを与えるようになり、
 義人、ヨブが義人として立ち上がれなくなるほどの打撃を与え続ける。
 ヨブはついに神を呪うにいたる。すると、その限界に翻弄される
 ヨブに「なぜ私の経綸がわからないのか」と神は語りかけ、叱るの
 であった。神は、ヨブを愛されていた。ヨブの苦しみに気づかない
 わけではない。

ここに、ある素朴な疑問が生じる。神(旧約)は、義人、ヨブに何を
 期待していたのか…。これは、まさに「古典的な問い」となっており、
 ユングは、その著書『ヨブへの答え』で、「神の進化論(旧約の神
 から新約の神へ)」を展開するほどであった。ヨブの物語は、ヨブが
 神に諭された後、大きな神の恩寵のなか、長寿と揺るぎない幸福を
 与えられるというのがその結論である。ここに行き着く分岐点が
 あるとしたら、それは一体何なのだろうか。ヨブに何が不足していた
 のか、何に気づかなければならなかったのか。
 その謎を解くことが、この物語から得られる『ヨブへの答え』ならぬ
 「ヨブ(自身)の答え=悟り」につながるのかもしれない…。

進化の途上にある人間、ヨブの気づき…義人、ヨブが超えなければ
 ならなかったものとは何だったのか。それは、それぞれの人々の
 無意識の内にそれぞれの意味を持って潜んでいることだろう。

今回の私の内的体験も、当然、何らかのヨブの影のようなものが
 ちらほら見え隠れする。それほど私にとっては理不尽な不条理感に
 溢れていた。と同時に、そこからさまざまな思い、気づきも湧いてくる。

それは、実は新たなステージに向かうためのリセットゆえだった
 のではないかと、そんなことも思われてくるから、不思議である。

魂の世界は果てしない。人智を越えるその世界には、もともと
 ゴールなどという概念もなく、ただその本性に従い、進化を続けている
 のにちがいない。「永遠の今」に「星の時間」(『モモ』より)を
 静かに湛えて…。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。