~~~~初春のたより
稲田陽子
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆さま、お正月はいかがお過ごしでしょうか。
美しい新年の夜明けなど、ご覧になった方も
いらっしゃるかもしれませんね。年号が変わった
からというわけでもないのでしょうが、きっと
きりりと麗しくそれは美しい夜明けであったこと
でしょう。
さて、
私の方では、年末より体調があまり「麗しくなく笑」、
年賀状も書けずじまいですが、今、何とか取り
組んでいます。
というところで、次の章からは、私の個人の
モノローグ…。(そのつもりでお読みいただけると、
ありがたいです)
……………………………
考えることがシンドイというのは、私のような
職業のものには、とてつもなくひどいことに思える。
考えて書くというのは、誰でもそうしているだろうし、
特段珍しいことでもない。とりあえず、いまの私は、
どなたか健康な人からパワーをいただきたい
くらいのモノなのである…。
聖書によく知られたユニークな逸話がある。
たとえば、いま、ここに一匹の迷える子羊がいる
としよう。子羊は、不運にも迷子になってしまい、
帰り方がわからない。迷子の子羊は、神様には、
たとえ一匹であろうとも、迷子になり家路に
つけなくなった子羊を、たくさんの羊たちよりも
体操哀れみ、迷子の悲その周りに何匹の子羊が
いたとしても、その小さな子羊は、神さまに
とっては大切な子どもであり、大切ないのちで
あることに変わりはなかった。
夫が健在だった時、年賀状といえば、いつも
そのまとめは年末の夜中であり、これが大慌て
で締め切りをかろうじて守るか守らないかの
瀬戸際とするなら、そのたいそうな修羅場で
大量のハガキ(もしくは心を込めた封書)を
夜中までやっている郵便局へ持っていくわけである。
これは、かなり変則的で変わったやり方であった(笑)
しかし、「私の代筆お願い、時間がなかったの」
と言えば、夫はさっさと私の文体など無視して
自分の「稲田陽子」像を勝手に作って書いてくれた
ものだった。ものの2、3分(いえ5分?)である。
大忙しだったはずの夫も、迷える子羊の私を
ともかくも見捨てなかった。
ただし、誤解を招くと良くないので、あえて付け加えるなら、
私の代筆は、もちろんその年の年賀状だけである。
こんなことを不意に懐かしく思い出しながら、
今年の年賀状のことが気にかかっている。しかし、
この体調ではいろいろな無理があるため、
何はともあれ同業者の娘頼みとなった。
すっかり遅れてしまった年賀状…そこにも
この年、ご縁ある方々への祝福があり、やはり
出すことに意味があるのだろう。
皆さま、遅ればせながら、あけまして
おめでとうございます。
本年がお健やかで幸せな一年となりますよう、
心よりお祈り申し上げます。