千島学説の「気」とAFD現象から生命の発生へ

〜〜〜時空を超えるヒッグス粒子的量子論で読み解く

稲田陽子

 もしも、現代という時代に千島博士がご存命なら、
 千島学説への理解力はかなり違ったものになっていたのでは
 ないだろうか。

 千島学説が、まるで反科学的な「観察事実」に
 基づいているわけでもなく、非常に進んだ知性を有する
 「観察事実」と理論に裏付けられているという解釈に、
 いまの時代に生きる人なら、容易に理解できるのではないかと
 推測できる。確かに、学説がすべて完成されているわけ
 でもなく、研究は未完であると、千島博士ご自身が
 述べられている。これは、氏ご自身が研究者としての
 謙虚さや理性を十分に持ち合わせており、ただ闇雲に
 自分の学説を完全であると断じているのではないことが
 読み取れるが、それにしても千島学説には、そのがん観といい、
 現代の代替医療をリードするような有効な概念に
 溢れていると言って過言ではない。

 当時、ノーベル賞の候補にもなったというから、
 潰されるまでの一時、マスコミも大いに盛り上がった
 ようである。しかし、空気呪縛の温床ともなるマスコミは、
 一転して千島学説は現代科学を否定するデタラメな学説
 であると流布する。すると、付和雷同的なマスコミが同じ
 性質を持つ大衆を揺り動かし、途端に千島学説は社会的な
 封殺を受けるに至った。(ref/『ガン呪縛を解く』)

 千島学説の一部と発想が似ている「stap細胞」のことが
 心がよぎるのも、要するに純粋に研究成果という点から言えば、
 「未完だった研究のためにこの細胞が存在しない」という
 ことにはならないからである。
 研究不正を叩きそのために「stap細胞が存在しない」とした
 マスコミの空気に呪縛され、stap細胞がまったくのデタラメの
 研究にされてしまったことは、本当に残念としか言いようが
 ない。

 もっとも、論文レベルでは「科学村」の人々が言うように
 当然受け入れられないものだったのかもしれない。
 だからと言って、その研究に提示された細胞が存在しない
 ということではなく、単に仮説に戻ったというだけのこと
 ではないだろうか。

 この点を明確にして、研究仮説の「侵害」に配慮ある報道
 (NHKの姿勢は??)をすれば、貴重な研究者たちの人生を
 あそこまで翻弄するような大騒ぎにもならなかったはずである。
 マスコミは、「研究不正」は別としても、それが直ちに
 科学論争であるわけではないことを明快に報じるべきだった。
 こうであれば、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の「呪縛
 構造」に人々もとらわれず、自由な発想で科学を捉える
 ことができるはずである。科学とは、そもそも証明されていない
 ことを対象として進化を遂げていくものではないだろうか。

 そうした科学の進化の中で、未だに日の目を
 見ていないのが、「千島学説」だというのは
 極めて皮肉なことでもある。最先端の現代科学の
 論議(オートファジー、幹細胞論や量子論など)に
 加わることができ、また、興味深いヒントが数多く
 含まれている知恵の宝庫であるにもかかわらず、
 社会的には依然として「不満足な取り扱い」と言える
 かもしれない。もっとも、以前と比べれば、代替
 医療論やガン観にも時代の変化が入り込むようになり、
 そのベースに千島学説的な発想があると想起させると
 なれば、多少の救いは感じられる。

 ここに来て、そんな千島学説が少しも古臭くなく、
 逆に非常に革新的な学説であることが予期されるように
 なった。
 「量子論」の世界がごく普通にマスメディアの
 世界で展開されるようになってきているからである。

 その一例に、ヒッグス粒子のもたらす世界観が
 いま、注目に値する価値観の変動をもたらしている。
 つまり、物質に質量を与えるヒッグス粒子が、
 それはまた質量を持たない「エネルギー」だとも
 解することができ、質量のある素粒子同士の激しい
 衝突で時空を超える回路を作り出して情報を伝達
 できるのだという。

 これは、まさに驚くべき現象であり、千島学説が提唱
 された時代には、ここまで量子論的な思考が受け入れられて
 いなかったため、千島の言う「気」や「螺旋の波動説」
 などは、ともすれば、非科学的と称せられ、「証明されて
 いないのだから」と、哲学の分野に押しやることでようやく
 納得が得られたわけである。

 千島学説は、「気」というエネルギーから物質や生命が
 生じるとし、生命の自然発生を支持している。生命誕生には
 親が必要という一見もっともな、おかしな理屈をつけた定説など、
 どこか胡散臭いに決まっているのに、誰も異を唱えない
 のも科学という権威のもたらす空気呪縛である。その定説は
 「最初の親」はどうやって生まれたのか、という根本的な
 疑問に答えることはついぞなかったのである。

 ヒッグス粒子は、いわば物質とエネルギーの中間的な
 存在と推測でき、時空を超えて情報を伝える力を持っている。
 これは、量子の世界の本質的な能力や性質を表してはいない
 だろうか。

 それが、千島学説的「気」が持つ情報の伝達力を思わせる。
 図式的に言えば、この「気」の世界で発生するAFD現象から
 赤血球が生まれたという大胆な仮説を千島博士が残して
 いるのも、この説が理解しがたいと思われる一因となっている。
 とはいえ、「食が血肉となる」という考え方そのままに、
 この赤血球は、食物モネラを介して発生するという観察事実に
 基づいており、ここから赤血球の凝集が起こる AFD現象が
 展開され核のある細胞(白血球)が生じると、千島は観察を
 とおして結論づけた。

 一方、もちろんヒッグス粒子よりも小さな粒子は存在し、
 さらに私たちにとって神秘的に見える振る舞いをしているに
 違いないわけで、そうしたことが「気」の世界と私たちの
 精神性との間の隣接感を高めている。それは、一つの大きな
 フィールドであるゼロ・ポイント・フィールドとの隣接感
 であり、そこでは粒子同士が計り知れない密度で相互に影響
 しあっているという。

 このフィールドの概念が、千島の「気」の世界と相通じる
 のであり、ここから生命が自然発生すると考えたのは、
 量子論的に非常にまともな発想ではないだろうか。
  千島自身が言っているように、千島学説は未完成の学説で
 ありながら、そうしたことを踏まえても、実践的な代替医療
 への理論や健全な「ガン観」の確立に大いに役立っている。
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