『はるか摩周』

~~~あれから一年

稲田陽子

『はるか摩周』の作者、後藤壮一郎さんがご逝去されて
この7月でまる一年になる。本当に早いものである。
後藤壮一郎さんは、医師でありながら、小説も書いた。
初めて書いたというのが、『はるか摩周』という長編小説
であり、私もお手伝いをさせていただいた。

そもそもの出会いは、夫の稲田が元気だった頃の2006年
に遡る。夫の『ガン呪縛を解く~千島学説パワー』の本を
小脇に抱えた後藤先生と、夫、私は、ロイアルホストで初対面と
なった。夫の書籍を後藤先生に紹介してくださった方を
介しての出会いである。

この時も、医師の中にホリスティックな考え方を持って
おられる方が思いの外多いのだと気付かされたものだった。
後藤先生は、千島の考え方に共感をもたれ、それから程なく
して先生が創始していたラジオカロスに『ガン呪縛を解く
時間』が誕生した。以来、私たちと後藤先生ご夫妻との
交流が始まったが、思えば、多少とも家族的なものでもあり、
公私に渡り、お話も弾んだ。さらには、先生が千島学説的
治癒法を診療に取り入れられていたのも印象に残る。

そんなある日、後藤先生から、私が初めて出版した書籍
『世の終わりの贈りもの』の感想文のようなものをいた
だいた。「感想文のようなもの」というのも、ほとんど
思いついたときに書かれたのだと察しがつくメモ書に
近いものだったからだ。書籍は全部で5作品が収録されて
いるが、その一つ一つに丁寧にコメントをつけてくれたのだ。
こうした反応は、もちろん素直に嬉しいものであった。

ところが、話はこれだけではない。先生は、実はある「願望」
(笑)を抱いていたのに違いなかった。その後生まれる
『はるか摩周』というとてつもなく長い小説の存在こそ、
その「願望」の現れだったのだと、つまり先生は書きたかった
のだと、後日合点(笑)がいったわけである。その昔わざわざ
先生が仕事の合間に書いたらしいメモ書きも、いつかご自分が
小説を書くための希望や布石であり、興味に従って折りに触れ、
心構えを作っていたのかもしれなかった。

『はるか摩周』は、半年ほどで一気に書いていったものだと、
後藤先生が言われていたように、心に温めていた構想を情熱の
赴くままに表していったのだろう。それにしても、診療で忙しい
医師である先生が人知れず小説を書いていたなど、誰が想像
できたことだろう。しかも、この小説は、幅の広い知識を背景に
戦争、医療、結核の大流行、自然、青春群像や人情のある生活感
などが描かれ、時代の生き様の証言となっている。

先生の小説で、もう一つお預かりしているものがある。
昨年の6月ごろ、入院中の先生と電話でお話しした時、出版の
希望をもたれていたことが、ふと脳裏を過ぎる。大変だった
けれど、あの膨大な編集作業に懐かしさも加わり、その鷹揚で
誠実なお人柄が忍ばれてくる。
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