『はるか摩周』後藤壮一郎さん、ご逝去

~~~道東に遺した小説の舞台の地で

稲田陽子

 後藤壮一郎さんと最後に話したのは、6月の初めごろ
のことだった。北海道は生き生きとした新緑と花の
季節を謳歌している時期であった。『はるか摩周』が
道東の小説、また戦争を語る青春群像物語としても
ぜひとも読み継がれて欲しいという思いで、図書館にその
寄贈活動を行っていた中、釧路の文学館で資料として活用
してくださるという連絡をいただいていた。私は、この話を
ともかくもいち早く作者の後藤先生にお知らせしたいと
思っていたので、入院中の先生にお電話させていただいた。

 案の定、先生はとても喜ばれて、退院のメドもなかなか
立たないような長い入院生活に嬉しい朗報が届いた…そんな
雰囲気が彷彿として私にも伝わってくる。そして、次の
出版にも夢を繋ぐように、私に託してくださっている一作に
話が及んだ。無邪気に喜び、夢をつないでおられた先生とは、
これが最後の会話となってしまった。

 7月2日、夏が本格化する前に天国に旅立たれた。
『はるか摩周』の物語の始まりは、7月17日。北の夏が
一気に開花していく季節を待たず、後藤壮一郎さんがご逝去
された。

 後藤壮一郎さんは、医師であり、ラジオカロスサッポロの
創始者でもあった。この経歴からもわかるように、柔軟な
考え方を持たれており、夫の稲田の押していた『千島学説』
にも共感されて、ご自分が院長を務めていた鵡川の診療所
でも、希望される方に代替医療もされるなど、私どもと
奮闘したこともある。とくに稲田が提案した「短期天地療養型
代替医療」の実践なども行い、なかなか思い出の多いつながり
だった。そういえば、『はるか摩周』の中にも、若い医者
だった主人公が代替医療の考え方なども取り入れ、真摯な
生命観に従った「奮戦記」も時折垣間見られる。

 先日、道東の勤務地だった川湯の森病院の方で、先生の
お世話をされていたKさんにお電話でいろいろお話しさせて
いただいたところ、最後まで生きる意欲をお持ちで、それまで
難儀で避けていたリハビリに取り組むようになった翌日の朝、
急逝されたのだという。私が先生と次回作のお話をしてから
わずか一月後のことであった。Kさんは、亡くなられた時の
話をする中で、「先生の部屋に『ガン呪縛を解く』が何冊か
残されていましたよ」と、言われたのが今も耳に残っている。

 思えば、先生と最初にお会いしたのは、先生が『ガン呪縛を解く』
をある方の紹介で読まれて、共感してくださったのがきっかけ
だった。その後、話が煮詰まって、ラジオカロスで稲田がパーソ
ナリティーを努め多くの人々の応援をいただくことになった『ガン呪縛を
解く時間』の放送が開始したわけである。

 話し出せばキリがない。公私を超えて交流させていただき、
年月の流れが感慨深く迫ってくる。
先生は、離れていても奥様の亮子さんを大切に思われていたが、
『はるか摩周』の舞台となった道東、弟子屈町川湯に勤務が決まった
時には、ご自身、その偶然に驚きながらも最初の赴任地を懐かしみ、
心楽しそうに話されていたのが、いまでも印象に残る。

最後に、大きな感謝の気持ちとともにささやかなお別れの言葉を
添えたい。
「後藤先生、ありがとうございました。
どうぞ安らかにお休みください。」
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