一番暗い?「ホリスティック」な夜明けの前

~~~~医の倫理・制度の改革こそ!

『荒野のジャーナリスト稲田芳弘~愛と共有の「ガン呪縛を解く」』

 

稲田陽子

 

抗ガン剤拒否と見えざる「診療拒否」

代替医療と終末期の統合医療問題

 

夫と私が体験した医療の現実は、本当に過酷なものであった。

それは、夫が治療者側からも疑問が出ている問題の多い「ガンの

三大治療」を選ばなかったため、いつの間にか「抗ガン剤医療ム

ラ」のアウトサイダーとなっていたことによる。つまり、拙著

『荒野のジャーナリスト』にも書いたように、救急車に乗ること

ができても、搬送先の病院が見つからないという不条理な現実を

突きつけられ、見事に「抗ガン剤医療ムラ社会」の掟を破った

しっぺ返しを喰らうのである。

 

もともと病院でガンの診断がくだった段階で、治療の選択肢は、

限られており、代替医療など全く論外だと言われるのが一般的で

ある。ここで、患者の意図は非常に愚かなことだと説得され、多

くは病院社会では王道である「抗ガン剤治療」「放射線治療」な

どを強制的に受けることになっている。もしも、断ろうものなら、

検査はおろかその後の診療もその先がないのが、この「抗ガン剤

医療ムラ社会」の絶対的な慣習のようになっているらしい。

 

代替医療などを希望する患者は、せめて、検査を受ける権利は

奪われなくないと思ったり、経過ぐらいは診てもらいたいと願う

が、そんなサービスは病院サイドには一切ないのが普通だ。これ

は、現実の経験から言っていることで、私たちは、このムラ社会

から逸脱したアウトサイダーの衝撃的な事例を体験することにな

った。

 

最初にムラ社会の掟に阻まれたのだとに気づいたのが、因縁の

和歌山での「骨折事件」である。このときに、入院した大きな医

療機関から札幌の病院への転院先がどこにもなかったという驚く

べき事態となった。理由は、歴然としている。夫がガンの通常治

療を希望していなかったからである。そのため、地域包括センタ

ーに回されて、介護サービスなら受けられるという返答となった。

だから、札幌に戻っても、リハビリすら受けられないという粗悪

な環境に追いやられた。

 

それでも、私たちは、希望を捨てずに、在宅介護に期待を持っ

たのだが、これも実は制度としては何も解決力のないものであり、

きちんとしたリハビリすら発生せず、また、緊急的な医療介護に

ついての提案も話合いもなく、それに伴うサービスの話もない。

何のための介護サービスなのかと信じられない思いだった。こう

した事態になるとは、当初は全く予想だにしていなかったのはも

ちろん、介護に関しても一般的イメージ以上にはよく知らなかっ

たわけだから、肝心な直感も働かない。親切なケアマネジャーを

始めとする関係者が時々様子を見に来るだけだったのが、いまと

なっては非常に不思議な話である。しかし、それは、「ムラ社会」

の掟に従わない患者への精一杯の親切な顔だったのだ。

 

「ツルハでスポーツ用酸素、売ってますよ」

我慢強かった夫。だからって、こんなのあり?

 

この曖昧さの中にあって、私は、リハビリや酸素吸入の話なども

打診しているが、あまり相手にされなかったのも、本当は不思議な

ことである。求めていたのは、緊急時の安全と癒しでもあったのに、

その懸念は彼らの中には全く皆無のようだった。酷い話だと思うの

は、私が、酸素の話をした時に、交代したというケアマネージャー

が市販のスポーツ用の酸素が手軽にツルハで購入できると言って、

またしてもこちらの真の要求をはぐらかしたことである。抗ガン剤

などを拒否した代替医療患者を理解し、患者の苦痛を少しでも和ら

げる努力をともに担うのが本来の介護医療ではなかったのか。あま

りに不条理な日々であった。もしも、真に患者のための医療や介護

が行なわれていたなら、慌てて救急車など呼ばずに済んだのではない

だろうか。

 

そうした救急車での搬送までの「放置介護」の日々のことを私は、

さらに信じられない病院体験とともに拙著に記録した。

 

それにしても、どんなに本人が抗ガン剤医療などを受けないと断

言する患者であっても、あのような介護は倫理的にあり得るのだろ

うか。私も短い期間の間に大事なシグナルを出し、打診している。

まさに遠回しで診療拒否まがいのことが行なわれていたとも言える

のに、このときには、さすがに私も夫のことで忙しく気持にゆとり

が持てなかったのが、とても悔やまれる。こうなるのだったら、も

っと介護サービスの制度や現状などの知識を持っていれば、どんな

に違う介護生活を夫に送ってもらうことができただろうかと、悔や

んでも悔やみきれない。むろん在宅だからこそ、代替医療は自由に

出来るのだが、そうした頼みの綱でさえ、「悪液質」を呈してくる

終末期には混沌としてくるのは、言うまでもないのである。

 

こうした状況は、また、病院に「診療拒否をされた」代替医療患

者の基本的な立場になってしまうらしく、その人権を含め、社会的

に大きな問題をはらんでいる。患者は是が非でも医師の勧めるまま

「抗ガン剤治療」「放射線治療」(さらに手術)を迫られ、従わな

ければ、明らかに「差別」「区別」の対象となるからだ。

 

暗黙の診療拒否である。これでは、患者は経過を診るための検査も

受けることもできなくなる。健康保険にも加入しているのだから、

これは法的に明瞭な違反ではないだろうか。

 

『荒野のジャーナリスト』は、こうした終末期の介護医療問題をはじ

め、今日のブログには書いていないが最期の日々の病院医療などにも

踏み込み、この過酷な現実をありのままに書いたものだ。しかし、そ

んな中にあって、私たちは、何と大らかに生命への希望を持ち続けた

ことだろう。そうして、夫は、あれほどの活動をしながらも、「濃厚

な延命」を続け、己の使命を全うしたのであった。その意味で、夫の

魂は、決して不幸ではなかった。直面した現実は過酷すぎるが、魂だ

けは傷一つなかったにちがいない。

 

最後に拙著の感想を一つご紹介したい。

「事実は小説より奇なり。(略)一気に拝読しました。小生の知りた

かったことが光に愛に満ち満ちており、(略)よくぞ吐き出してくだ

さいました」(あうん健康庵庵主 小松健治医師 )

 

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