迷い込む?自然の尊厳

~~~自然公園にシカ

稲田陽子

近くの自然公園をいつものように散歩していると、
いきなり遭遇したのが、鹿である。人通りの多い
公園ではないが、山に入るような出立で熊除けの鈴を
鳴らしながら歩く人や犬の散歩をする人をはじめ、
ジョギングをする人、のんびりバードウォッチングを
楽しむ人など、さまざまな目的で老若男女が集まってくる。
自然公園とあって、すれ違いざまには、互いにこんにちはと
声を掛け合うような習慣もある。

そんなある晩秋の午後、生憎と曇り空で周囲の見事な
裸木もくすんで見えるなか、青々としたまま笹の葉が
群生しながら残っている。その笹の葉が両側に青葉の
季節の名残のように生える道をゆっくりと歩いてくる
何者かがいた。目が良くないこともあるが、遠目には
はっきりと見えなかった。それでも、ウォーキングを
していたので、そのまま歩き続けた。が、なんだか
様子が違う。何者かは、ヒトではなかった。ツノの
生えた立派な雄のシカだ。おそらくエゾシカだった
のだろう。

周囲には、誰もいない。私とシカだけである。このまま
進んでいいものか咄嗟に判断できない。いや、すぐに
逃げるべきではないか。そういえば、その昔、自然ガイドを
していたある知り合いがクマに遭遇したという話があった。
どうやらガイド中にクマと出会い、その瞬間、怖さよりも
その立派な風貌に感動していたところ、クマが退散した
ということらしい。そんなことがあるとしても、私が
シカに見惚れながら、こんにちは!とでも挨拶して
やり過ごせるのだろうか。しかも、一本道ですれ違うのは
どう考えても、現実的だろうか。

そんなことが一瞬のうちに脳裏に閃いて、私は、ゆっくりと
踵を返し、急がずにその場を離れた。シカは、立ち止まり、
動かず佇んでいる。こちらからは、裸木をぽきりと折って
付けたような立派なツノを生やしたシカのシルエットが
くっきりと浮かんでいるように見える。何だか自然の
尊厳を感じさせる光景だ。実は、シカは半年前にもこの公園に
現れたこともあり、初めてではない。好物の笹の葉を食べに
来るのだろうか。

人里に野生動物が現れるのは、やはり食べ物があるからと
いうことになる。それが大きな条件に違いない。以前は里山の
機能で人と野生動物の棲み分けがなされていたものの、
近年、過疎化が進んだこともあり、里山が廃れているのが現状だ。
すると、当然のごとく、野生動物たちに異変が起きる。動物たちは、
都市化の進んだ場にも悪びれずにまた無防備に現れるようになり、
昨今のクマ騒動は注目されている。

秋田のスーパーでのクマの「立てこもり」という前代未聞の出来事には、
そうした問題が内包されているわけである。けが人まで出てしまった
この事件、クマは売り場の肉類を食べて「立てこもった」。しかし、
結局は駆除されてしまった。やはり、クマにしろシカにしろ自然の
尊厳を保ち、山で暮らしてほしいものだ。それには、里山やそこに
隣接する豊かな農村の復活が望まれる。
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