クマの出没あいつぐ

~~~クマと人間、自然の争奪戦

稲田陽子

近くの自然公園で初めてクマの騒ぎが起きたのは、もう30年以上も
前のことになる。この頃は、子供が小さかったこともあり、童話を書いていた。
たまたま『くまが出た』という物語を書き終えると、その後内容に
そっくりの状況が出現し、驚いたものだった。物語は、小さな男の子が
クマの子と友達になった自然公園にクマの足跡がたくさんついていると、
大騒ぎとなり、パトカーやカメラマン、ハンターが駆けつけるが、男の子は、
またクマの子と遊ぶんだと、母親に宣言する。母親は、にわかに信じられない。

そんな話を作ったところ、それから、程なくその物語と同様に、公園にクマの
足跡が発見され、入り口前にパトカー、 TVのカメラマンやハンターが
集まっていた。おまけに上空にはヘリコプターまで飛んでいたものだった。
私の驚きと好奇心は半端ではなかった。これがユングの共時性なのだと、
不思議な感動すら覚えていた。さらに不思議なことに、この後、毎年のように
クマの出没の看板が公園の入り口にぶら下がるようになった。

それは、今年もしっかりと入り口に取り付けられており、当分の間、立入禁止
だという。しかも看板は二つもある。クマは、散策路にまで足跡をつけている
というから、住宅地に接近してきているような印象だ。クマの方も慣れたもの
である。

そうしたクマの出没は、ここだけに留まらない。ここ最近は、南区での出現が
公園を含め何箇所かにわたって目立って多いようだ。民家近くの畑に現れる
こともあり、要注意である。また、街中に出没することもある。もっとも
驚いたのが、もう何年も前に北海道神宮前の大きな路面や歩道などに現れた
ことだった。緑も豊かだが、車の往来も多い場所だ。ただ、現れたのは早朝で、
車の往来はまばらであったのであろうが、いわば「都会の道路」でもあるのに、
そこを堂々と歩いていたらしい。

こうしたことは、人間の側からすると、とても困った話である。童話の
世界のような「クマとの共生」を考えることはさすがにできない(笑)。
しかし、30年前と違い、いまは自然破壊のためにクマが人里に出現してきて
いるのではないのだという。むしろ、人間の方の自然保護の意識も高まっており、
自然の方も回復傾向にあると見られている。北海道のクマは飽和状態だとも
言われる。とはいえ、行動半径の広がったクマは、人里に出てきて、不足した
食を補う。

クマの生息する森は、豊かな森である証拠ともされ、人との共生が望まれるが、
それにはどうすればよいのかとなると、クマとの距離が近くなればなるほど
難しい。駆除しすぎて、九州の山にはツキノワグマが絶滅したという。一方、
適応力の高い野生動物は、人の近くに棲みついて共生が可能とも言われている。

北米のノースカロライナのアッシュビルという都市にそのモデルケースが
見られる。人々もおおらかにその生態系を楽しんでいるかのように、庭や
テラスにクマが入ってきても慌てない。クマも悪さをすることなく去っていく。
郵便配達人も、クマが座っていても気にすることなく職務を果たす。道路に
クマが歩いていても、もちろん驚かない。信じられないが、動物も人も
共生する力があるということらしい。ただし、そうした大自然のある都市と
比べれば、日本の風土は狭いし、都市の人口密度も異なるわけで、一筋縄で
その環境を作られるのかは疑問である。

クマが好む植生の豊かな山をつなげて、クマが人里に出没しなくてもすむ
ような構造を作ることは意味があるのかもしれない。
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