千島学説と「動的平衡」

~~~気の可能性と生命の流れ

稲田陽子

千島学説は、最先端の科学的アプローチを受け、その学説の
まともさに感動させられることも多い。とくに、「ガン細胞が
赤血球に戻る」という千島博士の観察事実は、何十年も経て別の
研究者たちが証明し、受賞もしていることは、以前のブログで
紹介したとおりだ。(もっとも、この称賛が、千島学説に及ぶ
ことがなかったのは、極めて遺憾なことである)

その千島学説には、気に対する興味深い解釈がある。これは、
宇宙の創造の始まりから生命の発生に至るプロセスを AFD現象
によって説明されている一つの仮説である。簡単に言えば、
まず、最初に超エネルギーが凝集し、エネルギーが生まれていくと、
次々と素粒子や原子、分子と変容を遂げ、物質世界が生じて、
そこから生命が自然発生すると、千島博士は主張した。

ここには、まさに量子論的な世界観が垣間見られ、こうした粒子が
一つの流れを作り出している。生命は、始めも終わりのプロセスも
一つの流れの中に存在することが理解される。

それは、分子生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡」という概念を
想起させはしないだろうか。その著書『生物と無生物の間』には
生命について「動的平衡にある流れ」であると、表現されているのも
千島学説的な生命の解釈と同一の根元を感じさせる。

わかりやすく言うと、生命は、その構成成分が創造的破壊を行い
ながら、その全体のバランスを取るために新しい構成成分が入れ
替わって生じ、そうした動的平衡を保って絶え間なく流れている。
この観点から、福岡氏は、シェーンハイマーの実験を評価し、取り
上げている。この実験では、粒子レベルで着色した標識を持つ
食べ物がネズミの体でどのように認知されるかが明らかにされる
こととなった。

結論に一気に飛ぶと、千島博士が実証したように、食べ物が体を
作ることが明白になったのである。シェーンハイマーの実験で、
ネズミの様々な臓器や体全体に食べ物の粒子が取り込まれていく
様子が観察され、しかも体重の増減がない。まさに食べ物が血肉
になる姿が如実に見られた快挙であった。千島博士は、食物モネラを
介して赤血球が発生していくのを観察し、その後それが細胞へと
信じられないような変身をしていく観察事実を残している。
これも、食べ物が体細胞になるのが観察されたわけである。

この二つの事例のキーワードは、「環境」ということにもなる。
食べ物という環境が体内に取り込まれ、そのまま体の一部になっていく。
言い換えると、食べ物の粒子が体に移行し、血肉となるのだから、
私たちの体は、環境の一部でもあり、動的平衡を保ちながら生命は
一つの流れとなる。そして、これは同時に他の生命をも包括する
大きな生命の流れの一部でもある。

千島学説は、気の概念で生命を捉え、 生じては消え、消えては
生じる生命の循環を意識している。生命は、大きな生命の河の流れの
一部でありながら、動的平衡を保つ間はその水の泡となり、泡は流れと
やがて融合する。

そんな風に生命を俯瞰しているかのような千島学説からは、
まるでびっくり箱のように現代の最先端の哲科学が飛び出してくる。
古くて新しいこの学説のウオッチングには意味がある。
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