『はるか摩周』読者の電話

~~~図書館の再会?に人生の不思議さ

稲田陽子

「同級生がどんどん少なくなって、この感動を
話せる人がいなくて…」そう語るのは、先日
私にお電話をくださったある読者の方である。
『はるか摩周』上下とも読まれて、感動の中に
いるが、それ以上に作者の後藤壮一郎さんの
ことが気になっているという。
何よりもお元気なのかと…

伊達市の市立図書館で手にした『はるか摩周』…。

ふと作者の名前を見ると、後藤壮一郎とある。見覚えは
ある。あの後藤壮一郎さんではないだろうか。
長流中学で一緒だった同級生の後藤壮一郎さんだ。
その方の話を聞いているうちに、時折、思いが溢れるのか、
涙ぐまれるのがわかる。

『はるか摩周』の物語とだぶるのだろうか。最初は
そんな風に思い、聞いていたが、その方にはもっと
いろいろな思いが去来しているようでもある。
確かに『はるか摩周』は、自伝的なものであるものの、
基本的にはフィクションとして描かれている。先生も、
舞台や人物を「借りて」、物語は、自由に展開したと
言われていた。もしかしたら、この同級生という読者の
方は、もっともっと感情移入されているのかもしれ
なかった。

私は、頷きながらもあえて黙って聞いている。その方は
「こういうお話ができる同級生も今は誰もいません。
年も取っています。あなたにお電話して話を聞いてもらえて、
本当によかった」と、何度も言われる。
後藤先生は医師になられ一番の出生株だったという。その
後藤先生の初めての小説にいつもの図書館で出会って
驚き感激し、さらにその物語に流れる人情や優しさに触れて、
その作者である後藤先生が無性に懐かしくなってきた…。それで、
わざわざ電話をする気持ちになられたのだろうか。

「後藤さんは、いろいろなことを我慢してこられたの
でしょうね。卒業以来会ってはいないのですが、小説を
読んでいると、よくわかります」
そう言うと、またその方は涙ぐまれた。
「時に…後藤さんはどうされていますか」と、問われるので、
昨年他界された旨伝えると、意外にも冷静に受け
止められた。80代も後半ともなると、周りに同級生も
いなくなり、そういう話にも否が応でも
「適応」してしまうかのようだ。

「どこで亡くなられたのですか」
「道東の病院で…」
「あの道東で…?そうなんですか」
静かな間、少しだけの沈黙があった。

誰にでも、青春時代がある。それが時の魔法の中で、
煌めいたり、輝いたりしながら、その人の人生の記憶を
豊かに彩ってくれることも珍しくはないことだろう。

『はるか摩周』は、道東を舞台に主人公、後藤壮一の半世紀以上も前の
青春物語が語られる。読んでみたい方は、全道の図書館、または
当 HPまでお問い合わせいただければ、と思う。
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