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杜(やまならし)

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いとも簡単に、平気で木を伐採してしまう感覚に対して、ちょっと一言…。
わが家の敷地には、白樺と、やまならしの木が生えています。
最初は敷地と境界に全部で12本ほどありましたが、
建物を建てるために、何本かは伐採せざるをえませんでした。
しかし、どうしても伐らざるをえないもの以外は、そのまま残しました。

残ったものの中には「やまならし」もありました。
しかしこの木は、なぜかこの辺りでは評判が良くありません。
きっと、たくさんの葉を落すため、掃除が大変という理由からでしょう。
「葉っぱが落ちて大変ですねぇ」…そんな言葉を良く耳にしたからです。

「やまならし」の木には、確かにたくさんの葉が繁ります。
そして春にはその若葉が、粘っこい樹液をつけて落ちてきます。
そのため、下に置いた車や道路がべとべとになったりもします。
その意味では、確かにやっかいな木と言えるかもしれません。

でも、敷地に何本かの樹木があることにより、
そのたくさんの葉っぱが夏の強い陽射しから屋根を覆ってくれるため、
どんなにすごい猛暑でも、家の中ではとても涼しく過ごすことができます。
また、風にそよぐ葉っぱがさらさらと音を立て、
心にさわやかな涼感を呼ぶナチュラルな交響楽を奏でてくれます。
もちろん、セミや昆虫などにも生息空間を提供し、
下に落ちたたくさんの落ち葉は、敷地に豊かな腐葉土を作り出します。

木には、クーラーや風鈴以上の素晴らしい価値があるのに、
その価値はほとんどかえりみられません。
なのに家を建てるとき、まるごと簡単に伐採してしまうその感覚に、
ぼくはとても淋しいものを感じてしまいます。

まるで樹木が、「住宅の敵」であるかのようです。
しかし、実際の樹木は、「暮らしと人生の友」です。
樹木は「住宅の敵」ではなく「建設作業に邪魔」ということでしょう。
しかし建設コストとその後の暮らしのクオリティ、
さらに環境や生物多様性の恵みを比べて考えてみるとき、
樹木は可能な限り残して建設することが必要ではないでしょうか。

ちなみに、杜(もり)という字は「やまならし」を意味しています。
このことからもお分かりのように、
「やまならし」は日本の杜(もり)をシンボライズする樹木でした。

辞書を調べてみると、「やまならし」にはこんな解説があります。


落葉高木。雌雄異株。
高さは25mにもなる。本州、四国、朝鮮半島にも分布する。
山野の陽地を好み成長が早い。
涼しさをさそう秋の夜、風に吹かれてさらさらと鳴る葉音が嵐か雨を思わせるため「山鳴らし」、東海地方では(夜雨降り)といわれ、また京都ではこの材で扇の箱をつくったので「ハコヤナギ」、新潟では仏像を彫ったので「ホトケギ」と呼んだ。
昔は大きな木がそこここで見られたのであろうが、今では貧弱な林か単木を見る程度である。                    
材は淡黄白色で美しく、マッチの軸や箱などに使われる。
幹は通直で樹皮にそろばん玉状の裂け目が出来るのが特徴で、若い枝や葉、芽には毛を密生する。葉は広卵形鋭頭で縁に細かい鋸歯があり、長さ5cm~10cm、葉柄は扁平で長さ3cm~7cmもあるので風にそよいで音をたてる。葉の感じが梨の葉に似ていて実がならないので「ナランナシ」と呼んでいるところもある。


最後にもう一つ…。
わが家の敷地に道路を隔てて隣接していた雑木林が、
住宅建設のため、きれいにまりごと伐採されてしまいました。
その林は、白樺とやまならしが繁茂した素晴らしいものでした。
景観として素晴らしいだけでなく、夏の木陰も作ってくれていました。
しかし伐採後、わが家の敷地の一部が直射日光にまともにさらされた結果、
直射日光にさらされた花たちに、異変が起きてしまいました。
その理由には、オゾン層に関係する紫外線の問題も考えられます。
これまでは、強烈な紫外線もその雑木林が守ってくれたのかもしれません。
いずれにしても、樹木はさまざまな恵みを私たちに与えてくれています。
そろそろエコロジカルな感覚が必要なのではないでしょうか。

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