沢口敏くんについて

【このカレンダーを企画した趣旨】 昭和59年1月、洞爺湖湖畔で一人の小学生が、暴走車にひかれてなくなりました。  その名は、沢口敏くん…。亡くなったあと、その短い人生の結晶として、67点の絵が残されました。  絵が大好きだった沢口敏くんは、小学3年のときから絵の勉強を始め、わずか3年あまりの期間に数多くの国際的コンクー...

有珠山噴火と故沢口敏くん

昨日NHKテレビで「予知された噴火」という番組が放映されました。 そのなかに沢口さんご夫婦が登場してきましたが、あの噴火でぼくがまず思ったのは「沢口さんは?」ということでした。 というのも、沢口さんの家は激しい噴火が続く西山噴火口の一番近くにあり、下手をすれば噴石でハチの巣状態になる危険にさらされていたからです。沢口さ...

避難所でカレンダーを手渡しました

いざ、豊浦へ! 5月4日、沢口敏くんのご両親にカレンダーを手渡すため、避難所のある豊浦町に出向きました。家を出発したのは午前10時過ぎ、2時の約束でしたが、連休の渋滞を見越して、多少の余裕をもって出かけたのです。 しかし渋滞は予想以上のもので、特に中山峠を下りた辺りから喜茂別に至る道路はひどい状態でした。これでは約束時...

空気社会・日本?

町内会って、なんだっけ? とても面白い物語? これからとても面白い物語?を紹介します。 題して、「宮丘公園物語」…。 と言っても、公園を紹介するものではありません。 日本のお役所と町内会なるものの不思議を考える物語です。 わが家のすぐ裏に宮丘公園という大きな市の公園があります。 そこは札幌市民の緊急避難場所にも指定され...

2001年03月:人の不幸で飯を食ってもうまくない

二一世紀初の国会は、KSDや外務省のスキャンダラスな事件で沸き立っている。 野党にとってこれは格好の突きどころ、一方与党は、それをはぐらかして予算審議に持ち込もうとしているかのようだ。 その国会の論戦模様をなにげなく友人とカーラジオで聞いていたところ、次のような言葉が耳に飛び込んできた。 「これからはIT産業、環境産業...

2001年02月:「あんたが大事…アガペー考」

 二〇世紀から二一世紀への歴史的な日々を、ぼくは病院で過ごさなければならなかった。一二月にある取材で「毒ガス」を浴び、救急車で緊急入院するはめになったからである。本当なら晴れやかな気分で迎えたかった新世紀だが、こうして年末年始は激痛と不快感、苛立ちに襲われ続けた。よっぽど日頃の心がけが悪かったのであろう。  だがその中...

2001年01月:「エコロジカルなソロバンをはじけば…」

 二〇〇一年一月…、二一世紀の出発だ。この世紀は果たしてどんな社会を創り出すのだろう。二〇〇一年は新世紀の初年であると同時に、二千年期の始まりでもある。それだけについ大上段から歴史的な妄想?にふけってみたくもなる。  それにしても、よくぞこんな時代に生を受けたものだと思う。「こんな時代」というのは単に歴史の数値的な変わ...

2000年12月:「20→21」希望の国のエクソダス

 いまや「世紀末」「新世紀」「ミレニアム」等々の言葉が巷にあふれている。そう、二〇〇〇年の一二月は、二〇世紀から二一世紀へとミレニアムなジャンプをする最後の助走段階、間もなく歴史的な二一世紀の幕が開く。  もしも世紀を表示する時計があったとしたら、20が21へと変わるその瞬間は確かに感動的にちがいない。が、それはどこか...

2000年11月:「諦職者」たちと、ノーベル環境賞?!

 友人の会社が、いまたくさんの「失業者」たちの身の寄せ場になっている。いや正確には、まともな仕事から見離された人々(諦職者?)の吹き溜まりと言うべきだろう。失業者と諦職者…、両者はいったいどこが違うのだろうか。  27歳のA君は子供の頃の病気の影響で思うような仕事ができず、これまでに一度も正規の社員になったことがない。...