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1998年12月:宙返り何度もできる無重力

 ディスカバリー号から向井千秋さんが、「宙返り何度もできる無重力」と、おつな歌を地上に投げてきた。で、下の句を作れと言う。
 「それにつけても金の欲しさよ」ではさすがに寂しい。無重力空間からのこの歌に、いったいどんな言葉を投げ返したら宇宙的な響きが生まれるのだろう。

 そんなことを考えていたら、あるところから「若い人達に読ませたい一冊の本」というテーマで何かを書けと要求された。「若い人達に…」というその裏には、要するに「おじさんのキミから」という言葉が隠されている。なるほど、確かにぼくは歳は食っている。が、「若い人達へ」という発想の裏側にある年寄り扱いに、ぼくはなんとなくいじけてしまっていた。
 もう一つ、歳に加えて夢やロマンも食い続けてきたぼくとしては、「一冊の本」というのもしんどかった。好奇心旺盛といえば聞こえはいいが、雑食主義で雑多な本を食い(読み)散らかしてきた身にとって、一冊のみを選ぶことには戸惑いを覚えてしまうのである。
 一冊ねぇ…、なかなかの難題だ。が、迷いに迷ったその果てに、迷わずに?「これだ!」と言えそうな本といったら、やっぱりバックミンスター・フラーの本ということになるだろうか。それも『フラーがぼくたちに話したこと』辺りがふさわしい。なぜならフラーはその中で、「世の中や大人たちの常識のワナにはまってはいけないよ」と、純な子供たちに語りかけているからである。こうして天の邪鬼のぼくは、編集者の意図にあえて逆らうかのような本を選ぶことになった。

 フラーは科学者、幾何学者、発明家、建築家、デザイナー、教育者、詩人、哲学者、思想家、プランナー等々、実にさまざまな肩書きを持つ20世紀の天才である。にもかかわらず、なぜか日本ではあまり知られてはいない。彼の設計したあのフラードームが日本の象徴富士山頂に建っているというのに、フラーその人は決して有名ではない。しかし、「宙返り何度もできる無重力」とくれば、やっぱりその下の句に、ぼくはフラーのことを歌い込みたくなってしまうのだ。

 というのも、彼こそが「宇宙船地球号」という言葉を作りだした張本人だからである。彼は地球を宇宙空間に漂う一艘の船としてとらえ、地上から宇宙をではなく、宇宙空間から地球とそのシステムを考えた。そしてこの「宇宙船地球号」という概念からやがてエコロジカルなものの見方がすくすくと育ち、いまやガイアの思想にまでたどりついた。地球も一個の生命体であり、すべてがつながりあって生きているというこの思想は、環境問題を考える際の根っこでもある。そして彼が作りだしたもう一つの概念「シナジー」も、また新しい科学に新鮮な息吹を与えることになった。
 ということは、フラーは20世紀に生きながら、すでに21世紀的な思考法を身につけていたということだ。が、彼はあまりにも時代を先走りすぎていたために、常識人(特に日本の)から敬遠されるはめになったのだと思う。実際「エコロジー」が一般化する数十年も前に、彼はすでにそれを自らの思想の核に据えていたのである。
 しかし20世紀がどん詰まりにきたいま、フラーのメッセージがいよいよ輝きだしている。彼は現代人、特に価値観や常識を踏み越えなければならないおじさん族に、深いメッセージを送ってくれている。そのメッセージは「目からウロコが落ちる」がごとき新鮮な驚きに満ち、そこから新しい時代が見えてくる。フラーこそ、私たちを新世紀に誘ってくれる人物なのだろうとぼくは思う。

 ぼくがフラーと初めて出会ったのは二〇数年前のこと、その数年後、ぼくは日本を離れてヨーロッパ、アフリカへと旅立った。
 日本を離れてみると、いかに社会の常識が特異でいびつなものであったかが良く分かる。いや、それは決して日本人だけのものではなく、人間社会そのものが宿命的にもっている因業のようなものに思えた。その体験以来、フラーはぼくの思索の友になった。
 フラーは「人がこう言ってる」とか「常識ではこうだ」というものすべてを疑い、自分が本当に考えたことだけに目を向けた。権威のある学問や科学をも疑った。そして彼独自の全く新しい宇宙論、画期的なシステム論を生みだしていった。
 フラーを語りだすときりがない。が、なぜ彼はそう考えたのか? なぜそんなユニークな発想を持ち得たのか? 彼はいったい何者であるのか? この点だけは語っておく必要があるだろう。

 フラーは実にさまざまな顔を持っているが、その本質はやはり詩人であろう。そして詩人としてのその資質は、彼が自殺を決意したときに突如開花した。死の直前に、懊悩の核が一挙に溶解し、彼は宇宙と生命の本質的な何かを見てしまったのである。そのときから、彼は詩人になった。
 もし彼が単なる科学者だったとしたら、詩人の魂は獲得できなかったであろう。が、彼は自殺といういかにも人間的な誘惑にかられた瞬間に詩泉を掘り当て、以後ユニークな科学や技術やアイデアを次々と発表していく。このエピソードは、すでに神話化されているようにも見える。が、その人間くさいドラマにこそ、現代人の心に響く何かが潜んでいるような気がしてならない。
 つまり「天才フラー」は、「煩悩フラー」でもあったのだ。自殺を決意するほどに人生を悩み抜き、その果てにすべてを吹っ切った。彼は人間を「経験の目録」として考える。悩みも失敗もすべて経験の目録として織り込まれ、それが宇宙的な意味を新たに紡ぎ出すことになるというのである。

 フラーは私たちに、こんなふうに語りかける。
 「三角形を描いてごらん。そうそう、うまく描けたね。キミはいま、実は宇宙に二個の三角形を描いたんだ。一つは目の前にあるその小さな三角形。そしてもう一つは、その外部に同時に描かれた、宇宙サイズの三角形だよ。つまり、キミは小さな三角形を描くことで宇宙を二分した。キミは宇宙全体に影響を与えたことになるんだよ!」
 フラーはどんな小さな存在でも宇宙と関わり、宇宙に影響を与えていると指摘する。そう、個々の経験の目録をうまく使いさえすれば、誰もが宇宙サイズの人生を生きることができるというのだ。このメッセージには、どこか宗教的な薫りもある。しかしフラーは、あくまでも具体的なシステムやデザインを通じてそのメッセージを現わした。

 富士山頂に建つ気象観測ドームもその一つ。そこには「より少ない物質やエネルギーで、より多くのことを成すデザイン」が鮮やかにメッセージされている。実際、山頂まで建築資材を運び上げるのは大変な仕事だ。が、フラーはその難題を、具体的なデザインやシステムを描きだすことで、なんなくこなしてしまう。彼は宇宙や自然の究極のパターンとデザインを見てしまったからこそ、あのシンプルで合理的なカタチとシステムを開発することができたのだ。
 富士山頂は激しい台風や吹雪に襲われる。しかしフラードームはいまなお健在だ。それにしてもフラーがいま生きていたとしたら、厳しい環境に耐えてなお強く美しく機能する組織や社会のデザインをいったいどんなふうに描き出すだろうか。古いシステムが崩れつつあるいま、フラーが妙に懐かしい。大変革の途上にあるいま求められているのは、あるいは宇宙と人生の本質に触れた詩人、そしてデザイナーなのかもしれない。
 「宙返り何度もできる無重力」
 …そこからは、無邪気に子供のようにはしゃぐ向井さんのさまが伝わってくる。その楽しさはやがて祝祭のダンスにも移るだろう。歌と踊りは情感表現の究極のカタチ、ということから、下の句には
 「フラー(浮螺)ダンスもやがて始まり…」と歌いたい気分だ。

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