7月『カタカムナへの道』改訂版刊行決定

~~~カタカムナは「直観物理」だからこそ取り扱い注意!
~~~「潜象物理」はエビデンスなしでも、最先端量子論が解明

稲田陽子

7月の『カタカムナへの道』改訂版(関川二郎著/稲田芳弘編著)の
 刊行を目指して、10日ほど前に、少し長めの編集後記を書き上げた。
 本当は、5月に刊行予定であったものの、思わぬ体調異変で
 入院を余儀なくされてしまったため、すっかり遅くなってしまった。
 とはいえ、この予定外の入院にも意味があって、私自身の千島学説的
 「気血動の調和」を振り返る契機となり、わざわざ養生訓を作って現在
 実践中である。これは、また後日ブログに書いていきたいと思う。

さて、カタカムナは現在、玉石混交の書籍が出回るようになり、
 ある種の混乱を招いているのではないかという懸念も出てきている。
 そんななかにあって、『カタカムナへの道』は、「言霊信仰」でもなく、
 また占い本などでもないのは言うまでもないが、たとえば誤った自己
 投影をとおして、本書を利用してしまうこともありうるため、注意が
 必要だと思われた。

実は、宇野多美恵氏は、楢崎皐月氏から受け継いだカタカムナに
 誠実な態度で向き合ったからこそ、少数者のものとして世間に
 対して長い封印を行なっていた。楢崎皐月は、男性社会(サヌキ)
 の価値観のみでは対応が難しいカタカムナを尊敬する
 「宇野氏」という女性(アワ)に託したというのがその真相であった。
 これが宇野氏の一徹で厳しい「封印」と「選別」につながったようである。
 どんなにカタカムナを学びたかったとしても、その人物の思想に少しでも
 「神秘思想」めいたものがあると感じられたならば、厳しい拒否と断絶を
 行なったと言われている。

関川二郎氏も、その例外ではなかった。関川氏に厳しい応対をした
 宇野氏の本音は、
 「関川さんの情熱はわかるが、今はまだその『とき』ではない。
 関川さんが暴走すれば、それは恐い。だから今は、見守るべき時だ」と
 言うものだった。

しかし、とりわけ「直観物理」としての粒子論を追求していたからこそ、
 すでにヒッグス粒子への知見にダイナミックな科学的認知が見られる
 現代量子の世界では、関川氏の世界観は、何ら不思議ではないものとして
 確認される。そのため、図象符にもそれまでの平面図(宇野氏によるもの)
 で捉えるのではなく、球体モデルのアイディアが出され、電子、原子核の
 レベルで検討された。物質や生命が「発展、生成、消滅する」循環モデルが
 提示されたわけである。

 一方、稲田芳弘は、若き日々、楢崎皐月と知遇を得ていたので、
 もっぱらカタカムナ世界を現象と潜象の「渦の象」や量子フィールド論、
 「イヤシロチとケガレチ論」「文明周期論」などを通して、語った。
 宇野氏の『相似象誌』も読み、氏の人生をかけた解釈にも敬意を持ち、
 学んだ上のことである。

稲田も、「直観物理」にすぎないカタカムナを「宗教と教祖の出現」に
 利用されては元も子もないと考え、これは講演でも強く話題にしていた
 テーマであった。「直観物理」としてのカタカムナの
 抽象性が横道に逸らされ利用されると、いつしか教祖的な人物によって
 本来のカタカムナが撹乱されていくとしたら、カタカムナの本意ではない
 はずだ。宇野氏が警戒していたのももっともなことであった。

それがいつしか過剰で厳格な封印を生み出していたのだが、最先端の
 現代量子論がその「呪縛」を解きつつある。エビデンスを追求して
 いない「直観物理」であるカタカムナに、光があたり始めている。

カタカムナは、「抽象的な源泉」であり、そこからの解釈は一方向
 ではないようにも思われる。宇野氏の「正覚者のサトリ」も、
 その中の一つとして尊重されるべきで、また別のヒラメキも尊重に
 値するものもあることだろう。稲田は、サトリは個人の到達領域の
 ものであり、そこへの道はまた個人的なものだとしている。富士山に
 登る道は一つではなく、個人であればこそ別の道から登る「自由」も
 可能になる。

現代のカタカムナは、宇野氏が危惧していたような環境にはないだけに、
 「神秘思想」を警戒しすぎても不自然である。神秘思想だからと言って、
 いかがわしいわけではなく、哲学思想史に残るものも多々あるのは
 周知である。第一、プラトンもそうした意味では、間違いなく立派な
 「神秘思想家」ではないだろうか。また、科学の非常識は、時代の
 進化とともに世界の常識にいつでも変貌するのも、事実だ。

出版と言論の自由が保障されている社会でもある。今後も玉石混交の
 出版物が出回ることだろうが、もしも、民度の高い成熟した社会で
 あるならば、修正すべきものは修正を加えられ、淘汰されるものは
 淘汰されていくはずである。

ただ当時、稲田は、ご高齢でも健在だった宇野氏との出会いを望んでいた。
 宇野氏の話題は、もっぱら千島学説の千島喜久男氏の長女であった
 山田容子氏からもたらされ、その山田容子さんと懇意だった宇野さんには、
 稲田はいつか会ってざっくばらんにお話を伺える機会が
 あるにちがいないと、期待していたものだった。
 しかし、それは思わぬ出来事で断たれた。

宇野氏は、不慮の(原因不明の)火災事故で亡くなられ、
 そのショッキングな出来事は、宇野氏を知るものたちに不意打ちを
 くらわせたのだった。
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