「予言書」?幸せのパワー『世の終わりの贈りもの』

「取り戻したいあの世界」から音霊たちの贈りもの…
現代版『クリスマスキャロル』を含む5ストーリーと
湿原の画家、佐々榮松さんの絵画、そして、
稲田芳弘のエッセイ『蛇足的解説』のふしぎな三重奏を!
クリスマス特別価格/1,200円(送料・税込み)
『世の終わりの贈りもの』(稲田陽子著/解説 稲田芳弘/絵画
佐々木榮松/イラスト 小林真美〈現・渋谷真美〉/Eco・クリエイティブ)
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稲田陽子

私たちは、世界を選択できるのだろうか。
それとも、ただ、そう思い込んでいるだけなのだろうか。
ミヒャエルエンデの『モモ』には、時間の効率を命よりも優先する
「お金の世界」からやってくる象徴的な「灰色の背広の男たち」が
登場する。彼らが支配しようとしているもの、それは、おそらく
いまの社会がのどから手が出るほど大事だと思い込んでいるもの
ばかりである。その概念は、すべて物質主義、唯物主義的な
価値観に由来する。

今後の新たなIT革命の中に、AI(人工知能)社会というものが
ある。この社会から人間を知り尽くした人工知能の出現もない
とは言えなくなるかもしれない。と、なると、人間とは何かという
テーマがさらにクローズアップされなければ、いつのまにか
ロボット=人工知能に人間が乗っ取られ、支配されてしまう
ことなどもSFの世界の話ではすまなくなる。

AIのお陰でなんでも効率がよくなり、便利になってそのご利益を
もらっているうちは平和であるが、これがひとたび武器となったり、また、
個人情報を飲み干す怪物と化して世界を支配する恐るべき権力システムに
でもなリ果ててしまえば、もはやそれは、モモが脅かされた「時間泥棒の
世界」の究極のヴィジョンだろう。

こんなことが脳裏を過るなか、核の脅威が世界を覆っているのにも
気づかないわけがない。それはまた、一国家の問題とばかりとは言えず、
その国家と関連する経済領域などのさまざまな「存在」たちの影響力も
実は大きいようである。そんな視点が世界の歴史を見る上で必要だと
いうのは、別段目新しいことではない。ちょっと歴史を紐解けば、日本でも
海外でも複雑怪奇な勢力争いの構図は山のように出てくるにちがいない。

こうした世界は、ユング的に言えば、もともとはすべて潜在界のもの
である。それがゆえに現象化するからである。

人々が本当に選びたいものはいったい何なのか。内なる自分しか
その答えを知らない。どんなに闇が深くとも、光はあますところなく
照らすものである。光は、一部だけを照らすようなことはしない。

『世の終わりの贈りもの』(稲田陽子著)に収録された5作品は、
潜在界に存在する平和と喜びのうたである。

宇宙創世の始まりのうたを取り戻す「恋うた」、ノーバイオレンスの世界の
「非現実感」と「希望の可能性」を映し出す『ふしぎ森のものがたり』、
思いが千載一遇の星の奇跡を導く、壮大な祈りである『金色の星と青い星』、
天変地異を露わにし始めたガイアに原発や核への不安が漂う現代、
そこに生きる現代人が本当に大切な贈りものを受け取る「現代版
クリスマスキャロル」として綴った表題作『世の終わりの贈りもの』…。

こうした物語は、あたかも「神話」のように読者の興味を喚起しながら、
その心の扉をそっとたたき、原初的な生命のイメージへ誘うよう願って
いるものだ。

幻想的に描かれているのも、世界に漂う生命の善なるイメージが
実に危うく、壊れやすく、あたかも「夢」のようにも思われないことも
ないからである。

夫の稲田芳弘(作家)がその「蛇足的解説」で「『胡蝶の夢』ではないが、
蝶の夢を見る自分とは、実は蝶が見ている夢かもしれない」と、奇しくも
書いている。いまは、その言葉が深く心に沁みて来る。夫の解釈が、非常に
深く物語の真髄に触れていることにいまさらながら、驚くこととなった。

この物語に流れる意図的な「現実感のなさ」とは、もしかしたら、
誰かの夢の世界に迷い込んだためなのかもしれない。現実と幻想は、
表裏一体なのだ。

最後に、「湿原の画家」「原野の画家」として知られる画家、佐々木
榮松さんの生前のご厚意により、絵画3点をこの物語のためにいただき、
僭越ながらイメージコラボをさせていただいたことに改めて心から感謝の
意を捧げたい。
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