〜〜〜愛はつながる不思議。
「般若心経」のメッセージが語るもの。
稲田陽子
山田バウさんが天に回帰されたのは、今月の5日だったそうだ。
お知らせは、そっとある方からもたらされた。密葬なので、
公にしたくないという話だった。
私は、この知らせを受け、本当にショックを受けていた。
実は、5日の午前中、10時ごろだったのか、はっきりとした
時間はわからないが、私の脳裏に「観自在菩薩…」あの般若心経の
経文が声なき声で伝わってくる。どうしても、私に迫ってきている。
なぜ思い浮かぶのか、本当にわからなかった。
それでも、私は、逆らわずに、浮かんでくるその言葉に忠実に
声を合わせた。
いったい誰のメッセージだったのか。
その答えは、それから二日ほどして得られた。
バウさんが亡くなられたのだった。しかも、ちょうど私が
般若心経を唱和していた時間帯のころである。
私は、咄嗟に最後にお会いしたあの1月11日のことが脳裏に
浮かんだ。普段着のままリュック姿のバウさんが夫に
お別れに来てくださっていたあの日のことだ。
「煙草を上げてもいいですか。ライターはありますか」
私にそう問いかけたバウさんは、夫の棺にご自分の煙草を供え入れ、
夫に何かを語りかけるようにして、バウさんらしいお別れを
されていた。
バウさんと夫は、阪神淡路大震災の時にバウさんが立ち上げた
「神戸元気村」時代のころからの交流なのだから、バウさんの心には
多くの思いが去来していたのにちがいなかった。
バウさんとは、お弁当箱エネルギーの活動を経て、ガストン・ネサーンの
ソマチッド基金、アカデミー活動にいたるまで親交は続けられていた。
ソマチッド基金立ち上げも、バウさんと夫の話は、すぐにまとまり、
「ガン呪縛を解く」夫の講演会にも、バウさん肝いりの熱い風が
さらなる追い風となっていった。
このあたりの話は、また後日書かせていただければ、と思う。
それにしても、5日の日の出来事は、私にあるインパクトを与えるに
十分であった。
バウさんの訃報を聞く前に、不思議なスピリチュアルな
つながりが先んじて私に現れたのだろうか。
般若心経にある心とは、「宇宙的な幸せを願う大きな愛」だけだと
私は思っている。
まだまだここには書ききれない思いがたくさんある。
多くの業績を残した山田バウさん…
いまは、夫もバウさんとなつかしい再会をすべく準備を
しているのだろうか。
ご縁のあったたくさんの方々がバウさんを迎えるのに、
天は、大忙しだろう。
山田バウさんのご冥福を心からお祈りいたします。
1月11日に…