『ガンは誰が治すのか』著者、松野哲也さんからのレビュー

~~~『荒野のジャーナリスト稲田芳弘』を読んで その1

 

稲田陽子

 

『荒野のジャーナリスト稲田芳弘

~愛と共有の「ガン呪縛を解く」』(稲田陽子著)のレビューを

2つご紹介したい。

 

この書物は、私にとって、ぜひとも記録に残さなければならない

ものだった。だから、すべてをありのままに書き記すことが

大前提であった。もちろんもっと書き加えたいこともあったが、

読者の方々にわかりやすくするためにも、一気読みができるよう

全体的にテーマに沿った「シンプル仕立て」を心がけた。

それでも、重要な部分は手抜きをしていないので、反って

「凝縮された強度」を、感じられるかもしれない。

 

最初にご紹介するのは、昨年の「稲田芳弘三回帰メモリアル

フォーラム」で講師をお願いした松野哲也先生(元コロンビア大学教授/

プロポリス研究の世界的権威)の文章である。

メールからニューヨークのご自宅で一気に読まれたのがよくわかる。

 

 

…………………………………松野哲也さんからのメール(ご本人の承諾済み)

 

妻がシドニーで次女夫婦と過ごしてから、次女と日本に立ち寄り、

S宛てに送って頂いたご著書を持ってきてくれました。

空港まで迎えに行き、家で荷を解くやいなや、一気に読み終えて

しまいました。(略)

 

 

読んでいて無念と憤懣やるかたないお気持ちがひしひしと

伝わってきました。隠された真実を洞察される透徹した筆致。

稲田芳弘さんに対する深い慈愛と敬愛の念、お気遣い。

それにしても周囲の理不尽な対応には怒りを覚えます。

 

稲田さんが千島学説やガストン・ネサーンの説を正しいと

洞察されながら、現代の科学が立脚する物質的レベル(五感の世界)

でも正しいと説得されることに全精力を使われ、ご自身の病状を

等閑視なさったことが残念で悔やまれます。

確かに現代医療には足りないものがありますが、それを承知の上で

利用できるものは利用されたらよかったのではないかと思います。

尤も私は手術、治療を拒否し、自らを実験台にして治癒法を探り、

今までとは180度異なる暫定的仮説を得ましたが…。

 

私は私なりのガンの対処法についてこれからも提唱して余生を

送るつもりですが、講演の機会を最初に作って頂いたのも

稲田さんでした。感謝の念でいっぱいです。そして今でも彼の言葉を

ふと思い出したりします。

忙しい方でしたね。車で坂道を降りながら、片手ハンドルで、

片手には電話機。

ご自分のことを顧みず、多くの人たちを啓蒙されようと

全力投球されていたのでしょう。(略)

 

私も生命の絶えざるオートポイエシス(自己創出)に関するメカニズムを、

14世紀・チベットのゾクチェン思想を現代の量子論的な記述を

ふまえて解説したドイツ人の宗教学者・ギュンター・ヴァントの本により

学びました。それをAフィールド(ゼロ・フィールド)の考え方と融合

させて解釈しています。

ですから、生命現象の偏りであるガンに関していえば、プロポリスは

物質レベルでいえばリンパ球を刺激し、混乱に陥れるものにしか

過ぎないのです。治癒はゼロ・フィールド・システムのフィードバック・

システムによるものととらえています。情動の揺り動かしが「運」を変え、

身体のはたらき(抗腫瘍免疫態勢をつくりあげる)に反映されると

考えています。

そのためにもある程度の量以上のプロポリスの摂取は必要で、

あとは無意識の方向づけが不可欠と考えます。

 

稲田さんにプロポリスの上手な使い方をお伝えできなかったのは

痛恨の限りです。

でも、彼は、真実を探求し、それで多くの方を救おうと全力を

投入されるでしょうが、714Xと同様にご自分の為には利用

されないのではないかと思われます。

ジャーナリストに徹していらっしゃったのですね。

 

私は、千島学説を一種の卓越した養生思想として捉えています。(略)

玄米採食も、良く噛み、無思考の意識状態をつくるセッティングを

誘導すること、いってみれば“変わる”ことに意味があるものと捉えています。

 

 

一気に読み終えたとき、二階に上がると夕日が沈むところでした。

私は複雑な気持ちで呆然としていました。彼の反論をしない処世観、

またそれが由来する思想にも感動しました。

 

惜しい方を亡くしました。

 

もっとも、信念を貫き、この世でなすべきことを全力でなされた

稲田さんにとって、亡くなられること自体、Aフィールドに思考や

行動のエネルギーとしての記憶痕跡を蓄積するのをやめることに

ほかならず、「祝祭」ともいえるのではないでしょうか。

彼の記憶痕跡は永遠に残り、私たちは、かりに少数ではあっても、

状況が整いさえすればそれにアクセスできるのです。

もっとも、ご著書は彼の生きた記録を残し、読んだ人全員に

それを伝える“名著”です。彼の考え方、生き方はこのご著書によって

私たちの記憶に刻印されるでしょう。

………………………………………………………………引用終了

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