~~~『世の終わりの贈りもの』より
稲田陽子
夫の稲田が私のファンタジー短編集『世の終わりの
贈りもの』(2007刊)に解説を書いている。それもわざわざ
蛇足的と形容しながら、書いてくれていた。ずいぶん
前の話である。確かに、読んでみると、物語の深みに入り、
視点も面白い。量子力学的な視点が濃厚に巧みに加わった。
私たちは、いったいどこから来て、どこへいくのだろうか。
そして、私たちは、誰?
一種のアイデンティティといったテーマを追いかけながら、
書いたのが、『ふしぎ森のものがたり』である。
大河の一滴のような私たちは、何も答えてはくれないが
宇宙を美しい沈黙のまま流れる「サイレントリバー」の
一部であるかのように、時折ふと安寧の中に沈み込む。
ファンタジーの中に、そんな私たちの本質が見え隠れ
しているだろうか。
稲田は、そうしたことを含めて、興味深い解説を展開している。
(以下、『蛇足的?解説』より抜粋)
また『ふしぎ森のものがたり』は、意識の不思議を改めて
考えさせてくれた。意識ってなんだろう?意識や心や記憶や
情報は、いったいどこに存在しているのだろうという、非常に
根源的にして重要な問題を、である。
現代の科学では、意識や心の作用を脳内世界の化学的・電気的
現象と見ている。確かに脳が意識や心と関係していることは
疑いえない。しかし、本当にそれだけなのだろうか。この問いに
対しては現代科学自体が到底説明がつかない事例を数多く指摘
してくれている。
いや、こんな回りくどい言い方はやめるべきだろう。率直に言って、
意識も心も、記憶も情報も、「宇宙的」なレべルで考えなければ
ならない。デカルトの言う「われ思う、ゆえにわれあり」の「われ」の
内奥には、宇宙意識もまた内在しているのである。
『ふしぎ森のものがたり』の主人公は「少女」だが、その少女が
あるとき「ふしぎ森」に迷い込む。そして、言う。
「あたし、わからないの。自分が誰なのか、
どうしてここにいるのか、ってことが…。全然、思い出せないの」
この思いは、決してこの少女のものではないはずだ。「自分とは
誰か?」「どこから来て、どこへ行くのか?」…。これは、そのことを
意識するかしないかは別として、誰の心の奥にも深く潜んでいる根源的な
問題なのではなかろうか。
この問題を考えるに際し、テレビや携帯電話、インターネットなどの
普及は実にありがたい。というのも、テレビや携帯電話は、空間には
目に見えなくても数々の電波が飛び交っていて、その電波が大量の
情報を届ける事実を明らかにしてくれるからである。またインターネット
では、自分のほうから自発的にアクセスさえすれば、つながっている
すべての情報をたちまち引き出すことができる。
このことから分かるのは、テレビや携帯電話、パソコンは単なる
情報処理媒体(変換装置・ハード)にすぎず、情報(ソフト)そのものは
これらの器械以外の場所に存在するということだ。手に握った携帯電話が
しゃべったり、目の前のパソコンが情報を与えてくれるのではなく、
情報の実体・実質は、全く別のところに存在しているのである。
となれば、「われ思う」の「われ」を小さな自分の脳の内部に
閉じ込めてしまうほうがおかしい。脳機能はあくまでも情報処理装置に
すぎず、「真実のわれ」は、宇宙レベルに存在しているのだ。しかも
その「われ」は、たえずさまざまな情報源にリンクしかつ共振する。
そしてそれをもたらすのが、自発的な意識ということになるのだろう。
ややこしい話になってしまったが、『ふしぎ森のものがたり』は、
少女をいくつかの現実に連れ出していく。一つは森の中、一つは崖の
下のレストラン、そして白いキャンパスの前で目覚めたときの現実で
ある。素直にこの物語を読めば、これは絵を描こうと思っていた
少女がいつの間にか眠ってしまい、夢の中でふしぎ森に迷い込み、
そこからさらに現実と幻想の狭間で、見たこともなかった森の
レストランに誘い込まれたということなのだろう。が、宇宙的
意識からこれを見れば、「サイレントリバー」(静寂の河:ゼロ
ポイントフィールド?)や動物たちとのコミュニケーションのある
世界のほうが遥かに宇宙の実相に近く、その意味で「夢を見た少女」
のほうこそ「真の少女」が見ている夢とも言える。「胡蝶の夢」
ではないが、蝶の夢を見る自分とは、実は蝶が見ている夢かも
しれないのだ。
(引用終わり)
ことによると、「真実のわれ」とは、「個」を超えた?「われ」が
本質の宇宙との一体感を得ている状態なのだろうか。
少女は、夫が宇宙の実相に近いと語るサイレントリバーに
思いを馳せ、呟く。湧き上がる生命力を胸に抱きながら…。
「それにしても、何て静かなんだろう。あたしが誰かなんて
ちっぽけな問題だわ。あたしは確かに、喜びの花を咲かせるために
歩いているんだもの」
不思議な体験をとおして真に大切なものは何なのかを少女は知ったが、
それも、ラズローが「宇宙の子宮」になぞらえたゼロポイントフィールド
から素敵なプレゼントがあってこそのことだ。