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独り言(monologue) 「秋の夜の雨」

1
激しい雨の音を聞きながら、思いました。
また一歩、秋のど真ん中に踏み込んだな…と。
秋の夜に聞く雨の音は、不思議な情趣を帯びています。
淋しいような、不安を駆り立てるような、
そして、雨雲を突き抜けて、その遥か彼方の宇宙にいざなうような…。

同じ地球でも、日本では四季の表情がはっきりと現れます。
とりわけ北海道は、四季の表情がひときわ鮮明です。
そしてその変化が、気分にまで多様な刺激を与えてくれます。
同じ雨の音でも、秋の夜の雨と、雪解け時の雨の音、
そして、真夏の真昼の雨の音では、気分が全く違ってくるから不思議です。
まさに、季節の多様性が心に多様な情趣を生み育て、
人生や暮らしに、多様な情感を織り込んでくれているのです。
その意味では、北海道に移り住んで良かったなぁ…と思っています。

このような、季節感が豊かで鮮明な風土は、
世界広しといえども、そうあちこちにあるわけではありません。
ぼくはずっと前、スペインのアンダルシア地方で少し暮らしていましたが、
そこと北海道では、全くもって大違いです。
もちろん風土の違いが、住む人の気持ちまで変えてしまいます。
これは、どちらが良くてどちらが悪いといった問題ではありません。
いろんな風土があっていい、いろんな文化があっていい、
いろんな人間、価値観、人生があっていい…ということでしょう。

秋の夜半、なにげなくモノローグしていたら、
ふと、マリアンさんの言葉を思い出しました。
マリアンさんというのは、サハラ砂漠の遊牧民・トゥアレグ族の娘です。
その彼女が日本に嫁いで、初めて秋を迎えたときの言葉を…です。

 「緑に染まっていたた自然の色がしだいに変わり始め、
 しかもある時期から、葉っぱが一斉に枯れて木から落ちていく…。
 その光景を初めて見たとき、とても不安な気持ちに教われました。
 大規模な気象異変が始まったのかな?
 それとも、あるいは世の終わりなのかな?と」

日本人なら笑ってしまいそうな、とんでもない大錯覚ですが、
しかし彼女の目に、それは文字どおり大異変そのものでした。
なにしろ徐々に自然の色が変わっていって、
やがては多くの木々が、丸裸になってしまったのですから。

マリアンさんが育ったサハラ砂漠と日本では、
自然環境も季節感も全くちがいます。
羊を追って移動し続けるサハラでは、青い草こそ宝物。
しかし日本では、「雑草」は排除しなければならないもののようです。
だから「サハラの宝物」を、日本では汗水流して「草取り」に励みます。

同じ人間でも、住む環境の違いによって、
その感覚、価値観がこうも違ってくるのです。
さっきぼくが「淋しいなぁ」と思いながら聞いた秋の夜の雨の音も、
もしサハラで聞いたとしたら、全く違った情感にいざなってくれたことでしょう。
なにしろ雨が、緑の草を一気に育ててくれるのですから…。


リニュアルを目指し、いまテストしながら進んでいます。
この「独り言」も、そのための単なる材料です<笑>。
いまのマリアンさんの話のことは、エッセイにも書きました。
ヒマな方は、「浮遊空間」の中の「シニカリエッセイ」(2000年8月)
「季節が巡るのは当たり前?」をお読みください。

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