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1998年06月:デジタルとアナログのニクイ関係?!

 デジタルって、なんだっけ?
 改めてそう思いたくもなるくらいに、いまやすごいデジタルブームだ。「デジタル」が、新しい時代のキーワードとして世界中を徘徊している。
 しかもこの言葉はすでにメタファー(隠喩)としても使われだし、デジタル頭脳、デジタル人間(デジタリアン)、デジタル企業、デジタルオフィス、デジタル住宅、デジタル社会、デジタル金融等々と表現されるまでになった。
 するとそこからは、知的、先進的、合理的、実質的、機能的、効率的、柔軟性、ネットワーク感覚……といったスマートなイメージが飛び出してくる。
 デジタルはまるで魔法のような、不思議な力を秘めた言葉なのだ。
 デジタルの対極にあるのは、いうまでもなくアナログだ。
 アナログのイメージは、なんとなくやぼったくて、古臭く、アナログ人間といえば、時代感覚のずれた、冴えないおじさん族が思い浮ぶ。
 またアナログ企業にも、古い体質から抜け出せずにいる、そんな保守的なイメージがつきまとう。こうしてデジタルもアナログも、技術それぞれの個性(特徴)というよりは、すでに善悪・新旧・好嫌を意味するものに変質してしまっている。

 ここまできてしまうと、へそ曲がりのぼくとしては、デジタルの本性を突きとめざるをえない。
 そこでその正体を探ってみると、それはDijit(手足の指の)に由来し、1、2、3…と指を折ってはっきり数えること。つまりは、ものごとを連続的にではなく、分節的、量子的にとらえることなのである。
 実際、デジタル化といえば情報を数値化し、2進法で処理することだ。すなわち、文字も、画像も、音声も、すべての情報を0と1の数値に還元し、それを電気的にオン、オフに作用させて、コンピュータ処理することを意味している。
 デジタル化とは、ずばりコンピュータのための処理技術なのである。

 コンピュータ時代にあって、だからこそデジタル化は避けては通れない。
 こうしてレコードも、カメラも、ビデオも、電話も、デジタルにとって代わられ、テレビもまもなくデジタル化される。しかし機械や道具はまだ分かるとしても、頭脳や人間、オフィス、社会までをもデジタル化してしまうというのは、なんとも恐い話ではなかろうか。
 なぜなら、それは本来連続的なものを、効率化のためにあえて単純な数値に還元することであり、デジタル化の本質は、ずばり「還元」にあるからである。
 実際、CDは、その音質の良さと、音質劣化がないこと、処理加工が簡単ということで、たちまちレコードを駆逐してしまったが、その一方で「なんとなく違和感があり、リラックスできない」という印象も持たれている。
 音に敏感なオーディオマニアは、そのきれいな澄んだ音に、なぜか冷たさや不自然さを、感じとってしまうのである。
 いったいなぜなのか。
 その理由は簡単だ。それはCDが、人間の耳に聞こえる周波数領域を十分にカバーして、20キロヘルツまでは拾ってくれてはいるものの、それ以外の波長は、切り捨ててしまっているからだ。
 が、人間の耳には聞こえずとも、音にはさまざまな波長が複雑多様に溶け込んでおり、それが音に微妙なニュアンスを与えている。それは耳にではなく、あるいはハートに響いてくる波長かもしれない。しかしCDは、それらの一切をあっさり「合理的に排除」してしまうのである。
 またCDは、たとえ20キロヘルツ以内の音ではあっても、サンプリングによって、多くの音を切り捨てている。
 サンプリング(標本化・量子化)とは、連続した波長の中から、一部だけを取りだして数値化することで、その間隔が狭いほど良質の音が再生できる。そのため現在のオーディオCDでは、一秒間に四万四千百回ものサンプリングを行い、ほぼ原音に近い音質を再現してくれている。が、それでもどこか微妙にニュアンスが違う。いかにサンプリングの数が多くても、それはあくまでも間引きにすぎないからだ。

 こうしてデジタル化は、「切り捨て」によって成り立っている。
 以上はCDの音だからまだ許せるとしても、しかし頭脳や人間までもがデジタル化してしまったら、どうだろう。それは合理的・効率的ではあっても、「幸せ」からはほど遠くなってしまうのではなかろうか。
 だが実際の社会は、まさにデジタル化されつつあるように思える。ちなみに偏差値教育なども、ある意味でのデジタル化で、極論すれば、子供たちを点数に還元して評価しているわけだ。なるほど、それは便利にちがいない。人間を数値化すれば、比較も簡単にできてしまうし、明快な序列化もできる。それは評価の効率化に貢献する。が、「キミは1番、あなたは2番と指が折れる(Dijit)ほどに、単純に子供たちを評価することなどできるものなのだろうか。

 ここで大切なことは、人間の感覚は、すべてアナログで知覚しているということだ。音や色やカタチも、すべて波長で感じとっており、コンピュータ処理に便利なデジタル信号もまた、最終的には再びアナログ信号に変換されて、初めて私たちに知覚できる情報となるのである。
 この事実から、重大ななメッセージが読みとれはしまいか。
 すなわち、情報のデジタル化が進めば進むほど、アナログ(連続的・全体的)感覚を豊かにしていかなければならないというメッセージが…。
 そう、これからの時代には、デジタル化によって切り捨てられ、排除されてしまったものを、再復元する能力が必要になってくる。その能力とは、一秒間に30コマという不連続な絵を、あたかも連続的に動く自然な映像であるかのように知覚する、人間の視覚機能に似ているとはいえまいか。

 かく言うぼく自身、実は仕事の多くを、デジタルツールに頼っている。インターネットやパソコン通信、各種データベースをフル活用し、さらに電子メールや、FAXにも頼っている。
 その意味で、仕事にもはやデジタル環境は欠かせない。にもかかわらず、いや「だからこそ」、情報の文脈や全体の流れを理解するアナログ感覚の大切さが、ひときわ痛感されてくるのだ。
 そこに必要なのは、決してデジタル頭脳などではなく、むしろ言外の余情や全体の文脈をトータルに微妙に読みとる「アナログ頭脳」なのである。

 企業もまた、いまこそアナログ感覚が必要なのかもしれない。
 その意味は、組織やシステムがますます効率化、合理化、機能分化されていくなかにあって、そこから全体性や連続性を読みとる、アナログ感覚が逆に問われてくるということだ。
 たとえば、企業理念や、思想や、企業文化などは、まさにアナログの世界そのもので、それは決して数値還元によって語れるものではない。
 また、効率のみを徹底追求する極端なリストラにも、やはりアナログ感覚が必要かと思う。それが粗雑なサンプリング(間引き)になってしまっては、企業の発するメロディ(メッセージ)も、決して美しく、心地よく、市場に響いてはいかないからである。

 「デジタル信仰」ともいうべき、奇怪な現象が湧き起こっている昨今だけに、あえて逆説的な見方をしてしまった。それはぼく自身の、内なるバランス感覚が要求したものかもしれない。
 近代合理主義は「要素還元論」を武器に、科学や技術を発達させ、産業や経済の発展に、大きな貢献を果たしてきた。そしていま、企業の業績は、日々売上額や株価という数値に還元され、日本経済もまた、幾多の経済指標によって語られている。
 が、数値のみが一人で歩きだし、それをアナログに復元する力を社会が失うとき、マーケットは実体を無視して暴走しかねない。そこには「見えざる(神の)手」ならぬ、「悪魔の手」に支配されてしまう危惧もある。デジタル化が進むほど、優れたアナログ感覚の不可欠なゆえんが、ここにもある。
 極は極に通ず。そう、デジタル社会にこそ、優れたアナログ感覚が必要なのだ。
 デジタリアンは、無機的な01情報を食べるだけでは、生きていけない。それを咀嚼して、栄養化していかなければならない。そしてそこにこそ、優れたアナログ人間(おじさん族?)の出番が、用意されているのではなかろうか。

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