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1999年03月:もうひとつの「内なるプログラム修正」

 「プログラム修正」という言葉が頻繁にマスコミに登場するようになった。いうまでもなくコンピュータ2000年問題の文脈においてである。
 その意味するものは、これまで2桁で表示されてきた西暦年を4桁に修正すること。99年の次が2000年であることを、コンピュータに正しく理解してもらうためである。
 いまや大問題になりつつある2000年問題も、突き詰めてみれば「たかが2桁を4桁に書き換える問題」にすぎない。「なぁんだ」と笑いたくもなる実にシンプルな問題だ。こんなに単純なことなのに、しかしまるで対策ができていなかった。その理由は「まだまだ時間がある。そのうち誰かがきっと直すだろう」とどんどん問題を先送りにし、他人任せにしてきたからである。

 そしてふと気がついてみたらもう時間がない。しかも世の中はコンピュータまみれ。よくぞまあこんなに使われているものだと呆れ返るぐらいに、世の中はすっかりコンピュータに依存してしまっている。このことは文明進化と呼ぶこともできるが、そのコンピュータが狂ったら危機が一挙に噴き出してくる。しかもコンピュータはバカ正直に、律儀に、クソ真面目に、正確に、冷徹に、そのままプログラムを実行するとくるからこれは怖い。
 ちなみに病人の心臓に埋め込まれたペースメーカーは、下手をすれば恐ろしい時限爆弾ともなりうる。心臓の働きを助けてくれていたありがたいものが、そのまま心臓に、すなわち生命にトドメを射すものに突如変貌してしまうのだ。
 このような「悪魔に変貌する時限爆弾」はペースメーカだけに限らず、社会のあらゆる領域にしっかり組み込まれてしまっている。電気も、水道も、ガスも、流通も、金融も、通信も、交通も、医療も、オフィスも、工場も、防衛(軍事)も等々、すべてコンピュータに依存しきっている。だからそのコンピュータが止まったり誤作動してしまっては、これまでの暮らしも経営も経済もたちまち成り立たなくなってしまうのだ。
 となると、コンピュータ2000年問題はもはやコンピュータだけの問題ではなく、文明社会のシステム全体の問題ということにもなる。
 実際、トヨタやNTT等々一部の大企業は、自らのプログラム修正作業だけでなく、電気や交通などといった社会システムがマヒしたときのことも想定して、いよいよ危機管理対策に取り組み始めた。このことは決して大企業だけの問題ではない。すべての企業が、そして個々ひとり一人が、真剣に考えるべき非常に大切な課題といえるだろう。

 いきなり脅かすようで恐縮だが、それくらいこの2000年問題はいよいよ深刻な問題として理解されだしてきた。「たかが2桁を4桁に」だったはずの問題が、実は桁外れの破壊力を秘めているらしいことが分かってきた。とはいっても、プログラム修正作業に関係ない立場のわれわれとしては、いくら心配してみてもどうしようもない。不安をかき消す手としては「臭いものにはフタ」を決め込み、「みんなで迎えれば怖くない」と空元気を出すしか方法がないのであろうか。
 いや、実は「もう一つのプログラム修正」という手が残っている。それは、コンピュータのプログラムをではなく、自らの生き方、考え方のプログラムを修正するというやつである。

 そうなのだ、コンピュータ2000年問題は便利な社会システムの危機であると同時に、これまでの考え方、生き方、行動、コミュニケーションのプログラムを修正する格好のチャンスとも言えるのだ。
 というのも世の中の環境が、いまやすっかり変わってしまったからである。
 その変わりようは部分的なプログラム修正どころか、OS(オペレーティング・システム)をまるごと入れ替える必要があるくらいの大変化を見せている。それも2000年問題と同じように「もはや待ったなし」の急務になっている。

 ところで問題はそのプログラム修正、あるいはOSの入れ替えだが、新しいOSやプログラムはいったいどこがどう従来のものとは違うのだろう。これを一言で言うのは難儀だが、あえて短絡化して言えば、あるいは「組織から個人へ」「依存から自立へ」という基準軸の大転換ということになるのではなかろうか。
 つまりこれまでの力学は組織に味方し、だからこそ組織への帰属や集団主義がうまい具合に機能してきたわけだが、それがこれからは一挙にバグ化・トラブル化していくことになる。1999年を従来のように99年として生きていっては、組織も社会もやがて誤動作と機能停止に見舞われてしまうのである。
 で、「個人の時代」は当然のことながら「自立」を志向する。いや、自立して初めて「個人」といえるだろう。実際、これまで組織(企業)に依存してきた日本のサラリーマンの生き方、考え方は、あたかも「奴隷」さながら「自転」を描くことなど許されなかった。それも当然のこと、依存心が働くところには支配力も働く。一方に依存心がある限り支配力も呪縛も強化され、そこからは自由の気風と自主・自立の精神が萎えていく。「依存と支配」こそ、まさにこれまでの社会をカタチづくってきた力学だったのではなかったか。

 ややこしい話になってしまったが、言いたいたことは簡単だ。それは2桁の西暦年が2000年にバグ化するように、集団主義や依存の習性もいまや恐るべきバグに変貌しつつあるということだ。だからこそわれわれは「内なるプログラム修正」を急がなければならないし、いっそのことOSを入れ替えてしまう必要もある。依存していたものが崩れ去る運命と歴史的時期に、いま直面しているからである。

 「バグ化」とは、かつての価値観や習性(慣性)が次なる進化の邪魔をするということである。逆にいうなら進化は新しいバグを発生するということにもなろう。
 早い話、組織に依存し続けていては個人の自立などおぼつかない。また一見便利で安楽に見える世の中にどっぷり漬かっていては、クリエイティヴなパワーも生まれない。ということは、便利な文明社会のシステムがクラッシュの危機に瀕することによって、本当の自立心とクリエイティヴな能力が発揮されることになるのかもしれない。
 その意味で2000年問題は、人類の進化のために用意されたラッキーな思いがけないプレゼントといえるのかもしれないのだ。

 まるでおめでたい呑気な2000年観だが、これくらいの度胸と割り切りがないと大変化の時代を生き延びていくことはできそうもない。「2桁から4桁へ」ではないが、これからはまさに平面的な2次元から4次元ぐらいの発想的飛躍(OS転換)が求められてくるだろう。
 事実そうした動きはあちこちに出始めており、ちなみにアメリカのある会社が開発した冷蔵庫程度の大きさの「マイクロタービン」は巨大発電所を不要にしてしまうという。つまり技術の進化もまた「依存から自立へ」のベクトルをサポートしつつある。
 文明の危機を目の前にして必要なことは、「何が幸せのために不可欠か」と問い直すことではなかろうか。社会システムのクラッシュを想定して思考実験を進めていくと、いろいろなことが見えてくる。生きるとは?働くとは?学ぶとは? 
 2000年問題は、私たちが忘れかけていたそのことを改めて考えさせてくれる。そして修正が必要なのはコンピュータのソフトだけでなく、私たちの生き方、考え方もだと…。
 いや、むしろ人間の内なるバグ修正こそがいま強く問われているのかもしれない。というわけで「まだ時間がある」と先延ばしにしてきた今回のエッセイに関してはやっとなんとか時限爆弾をクリアできそうだ。

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