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1999年06月:早送り映像で人類の歴史を見れば | 稲田芳弘コラム
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1999年06月:早送り映像で人類の歴史を見れば

 久しぶりに海に没する夕陽を見た。
 夕陽の光景はいつ見ても美しい。が、今回はいつもとはまた違った感動に誘われた。「陽が沈む」というよりは、「地球の自転」を実感したのだ。
 自分の立つ地点が太陽の光の届かない方向へとゆっくり回転していく。そのとき地球の裏側では、新たな朝明けのシーンが繰り広げられていることになる。

 人間にとって地球の一回転(一日)は、充分にゆったりした時間感覚で味わえる。しかし宇宙レベルの感覚で巨視的に地球を見れば、それは猛烈なスピン回転をしているように見えるのかもしれない。そのとき太陽の回りをくるくると回る公転運動は、当然季節の変化を繰り返す。その早送り映像は、大地に一斉に緑をあふれさせたり、大地を雪で埋め尽くしたり、また海流や気流の激しい動きは、あたかも地球が生き物であるかのごとく見せてくれるはずだ。このように時間を早送りすれば、変化の様相が鮮明に見えてくる。そして「移動」や「変化」こそ宇宙の摂理であることが理解されてくることにもなる。

 一方、人類史を早送り映像で見るとすれば、人類は絶えず移動し続けて地上のあちこちに広がったことが分かるだろう。
 それは豊かな土と水利を求めての「空間的な移動」である。そして食糧の余剰生産が都市や文明を生みだし、余剰生産が続く限り文明はその地に留まった。
 が、土と水、つまり自然環境が枯渇したとき、文明人は他の場所に移動した。アメリカ大陸への移動もそうした文脈の中で起こった出来事だった。文明移動のその様は、緑を食い尽くして移動するイナゴの大群にも似ている。「文明人は地球の表面を渡って進み、その足跡に荒野を遺していった」と、「土と文明」(カーター&ディール著)も指摘する。
 人類の空間移動が限界に達しようとしたとき、幸いなことに技術の進化がもたらされた。その結果、より少ない人数でより多くの食糧生産が可能になり、人類は今度は「産業移動」を開始した。つまり食糧生産に直接携わっていた人口が工業分野へと大きく移動し始め、二〇世紀には工業時代が華やかに開花することになったのだ。
 しかし技術と機械の進化はやがて工業人口を減らす圧力ともなり、そこから吐き出された人々の多くはサービス業へと移動した。このようにして農業→工業→サービス業への「人口移動」が続いてきたが、産業移動もどうやら限界に達したらしい。コンピュータや通信技術の発達により、いまやサービス業も人々を追い出し始めている。

 人類の空間移動と人口の産業移動、その果てに現在の社会がある。そしていまの社会を特徴づけているものといえば、ずばり「大失業時代」…。つまり産業にはもはや「次の行き場所」がなくなったのだ。
 それを引き起こしているのは技術の進化と激しい合理化・効率化競争であり、しかも両者こそが市場社会成長の原動力でもある。となれば、リストラ、合併、倒産、失業等々は今後もますます進んでいくことであろう。そのときに人類はさて、どこへ移動していくのだろうか。

 いま社会全体を覆うこの「行き詰まり感」は息苦しさに満ち、私たちを不安へと誘う。しかし視点を全く変えてこれを見れば、技術の進化が多くの人々を労働から解放してくれたとも言える。なぜならいまやわずかな人々で大量の余剰食糧を生みだし、大量の工業生産を可能とし、かつ数々のサービスも提供してくれているからである。
 失業が不安である理由は、食糧やモノやサービスそのものが地球上から減少するからではなく、それらを得るためのお金を獲得する手段(=仕事)が失われることにある。要するに「分配」に預かれなくなることに対する不安ではなかろうか。ところが人間が生きていく上で必要な食糧やエネルギーの分配は、実はお天道様からも直接一人ひとりに与えられるのである。
 実際、現代人が直面するこの不安を、実に鮮やかにクリアした友人がいる。彼は人類の産業移動のパターンをある意味でそのままたどってきた人物でもある。つまり、彼は農家に生まれてある時期まで農業に従事したが、やがてそれに見切りをつけて工場労働者となった。が、間もなくそこから追い出されてサービス業(情報産業)へと移動(再就職)し、それも行き詰まったときに、再び新しい出口を見つけだしたのだ。

 その「出口=移動先」とは「自立型人生」である。早い話、自分で食べ物を作り、自然のエネルギーを利用して生活コストを抑え、かつ身につけた情報技術を生かしながらのんびり暮らすという生き方である。
 友人のその生き方の核となっているものは、「自然に生きる」というやつだ。
 自分で食べる食べ物は自分で作るが、それは決して農業ではない。化学肥料も農薬も使わず、お天道様任せの自然栽培。またニワトリやヤギなどの家畜も自給用で、その糞尿からバイオガスと肥料を得る。もちろん水は地下水、電気はソーラーシステムだ。
 「自然に生きる」の「自然に」の意味は、自然をうまく利用して、自然と調和して生きるという意味である。が、そこには「自然体で」という意味もまた込められている。
 要するに世間体を気にしたり無理に自分を殺して生きるのではなく、自分の好きなことだけを気ままにやり、気の合う仲間たちと自由に楽しく交流する。つまり友人は失業を機にそれまでの産業移動に終止符を打ち、産業社会以外の地点に移動してしまったのだ。
 このような生き方は経済成長期なら、落ちこぼれと見られたにちがいない。しかしいまの時代ではどこか新鮮、光って見える。ということは、そうした生き方に共感できる時代になったということだろう。
 そして今後もこうした生き方が広がっていくとすれば、それはこれまでの社会システムを根底から切り崩すことにもなる。

 これまでの私たちは、生きるために不可欠な食糧も水も電気もガスも、すべて外部から買い求めてきた。それを買うためにもお金を稼ぐ仕事に就く必要があった。しかしいま自給型・自立型生き方に人々の関心が向けられ始めている。それも食べ物もエネルギーも、すべて自然が恵んでくれるものであることに気づきだしたからであろう。
 そして多くの人々が今後自立型ライフに移動(移行)するようになれば、それは当然経済システムを集中から分散へと向かわせる。その流れはまだ小さいとは言いながらも、友人のようにすでにその第一歩を踏み出した人もいるのである。

 もう一度「早送り映像」を見てみると、人類は生きるためにまず「空間移動」を始めた。そして地上に行き先が無くなりかけたころ、技術の力を借りて産業の「人口移動」を開始した。が、技術の進化は産業人口を縮小する方向へと圧力をかけ、農業から絞り出された人々は工業へ、さらに工業からサービス業へと移動した。そしてサービス業も効率化競争に突入し、いま「大失業時代」迎えている。そしてその中から全く新しい生き方、考え方の渓流が流れ始めたのである。

 空間移動、産業移動に続く第三の人類移動は、ソフト(生き方・考え方)の取り替えによってもたらされるのかもしれない。それができなければいまの経済システムは行き詰まる。が、逆に考えれば、第三の人類移動を促すために、世界中で大失業時代という行き詰まり現象が起きていると見ることもできよう。
 実際、友人は産業移動の果てに全く新しい地平に飛びだした。そしてその姿はぼくの目に、人類の新たな出口を予感させる。
 夕陽を浴びながらゆったり時を味わっていたら、逆に早送り映像が見えてきた。焦るよりもリラックス、それは経営においても必要だろう。そこから変化の方向が見えてくるのではなかろうか。

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