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2000年02月:循環し続ける「感情」と「勘定」

 釧路在住の画家・佐々木榮松さんの作品は、なぜか医師や経営者などストレスの多い職業の方々の人気を呼んでいる。多忙な一日の仕事を終え、佐々木画伯の作品に目を注いでいると、一日の疲れがすっかり癒されるのだという。
 その場合の作品の多くは、湿原の落日や、沈黙する湖沼、サビタ(山紫陽花)の花など、自然の息吹を伝えてくれるもののようだ。確かに絵の前に佇んでゆっくり深呼吸すると、大自然の大らかなリズムに全身が溶け込んでしまうような気がする。
 いったいなぜだろう。その特有な美しい色彩のためだろうか。それともほれぼれする見事なその描写力のためだろうか。
 数年前、ある心理学者(故三好隆史氏)が、画伯の作品の「癒しの効果とその理由」の研究をした。そして得た結論は、「作品全体に画家の自然に対する優しいココロの波動が満ちあふれているからではないか」というものだった。

 「ココロの波動」などというと、どこかオカルトじみて聞こえるかもしれない。しかしモノにはとかく人間の感情が移入(共振)しやすく、例えば「長年大事に身につけている指輪やブレスレット、時計、眼鏡」などにはいつしか不思議なパワーがチャージされてしまうという。それを科学者ライアル・ワトソンは「感情の指紋」と言った。
 感情の指紋……。なるほど、現在の科学ではまだ充分に解明されてはいないが、思い(感情・愛情)を込めたものにはある種のいのちが注入されるような気がする。その逆に人の愛情(人的システム)から離れたもの、例えば人の住んでない家などは、なぜか傷みが早くなってしまう。
 ということは、やっぱり「感情の指紋」はモノ(物質)にもそれなりの影響を与えているのだろう。ということから、心理学者は作品に込められた画家自身の感情の指紋に着目したのだった。

 実際、佐々木画伯の作品の多くは、長い期間をかけて描かれていく。しかも深い湖沼の下の下には、真紅や真っ黒の油絵具が塗られていたりもする。もっとも仕上がった作品ではそれらは隠されてしまうが、画伯はさまざまな色彩を重ね合わせて独特な綺麗な色彩を作りだしているのだ。そして目に見えないその色を塗っているとき、湿原や空などへの思いをふくらませているのだろう。
 そうした時間やプロセスのすべてに、佐々木画伯の感情の指紋が深く静かに刻印されていく。そしてその感情とは、あくまでも自然に対する画家自身の「思い」である。幼い頃から親しみ遊んできた湿原の想い出や、そこで経験した大自然との楽しいピュアな戯れ、あるいは懐かしい人々との心豊かなひととき…、そういったもののすべてが作品に刻印されていくのだろう。だからこそその絵の前に立つとき、画家のココロの波動が深く心に伝わってくるのかもしれない。
 これが心理学者の分析だった。いや、分析というよりは直感的なものだったにちがいない。いずれにしても多くのフアンが、その作品に「ココロの癒し」を感じているのだ。だからその理由を言葉をもって説明するには、「自然に対する画伯の思い(感情の指紋)が作品に刻印され、それが絵を観る者の心の深層に、忘れかけていた大自然のリズム(波動)を呼び戻してくれるのではないか」と言うしかなかったのかもしれない。

 以上は「絵とココロの関係」の心理学的な説明だが、これに似たことはあちこちで見受けられる。極論すれば、モノ(物質)以外のものにも感情の指紋は刻印されるとさえ言えるだろう。
 ちなみに事業や経営そのものにも経営者の感情(考え方・思い)が影響を及ぼし、それはやがてそれなりの結果を結実する。早い話、お金のみを求めてやっている事業は、お金の問題でさまざまな問題に直面したりすることが多いようだ。
 それも、企業や経営もまた一種の作品だからであろう。作品とは、作者の無形の思いがカタチとして現れ出たものだ。画家は絵筆と絵の具を使ってカンバスに作品を描き、作家はペンと原稿用紙(あるいはワープロ)で作品を綴り、作曲家も演奏家も音によって作品を作り上げていく。それと同じように、経営にも経営者の思いが陰に陽に反映する。さらに言えば、人生そのものが生涯をかけて描き出していく作品とも言えるだろう。
 そしてそのすべてが、無形の思い(アイデア・願望・イメージ等々)の現象化だ。だとすれば、二〇〇〇年の始まりくらいは「楽しい思い・幸せな思い・豊かな思い」を温めたいものだ。いかに嫌なことであっても、考え方しだいでは心豊かになれるものだからである。
 ちなみにあるお金持ちは、ドカーンとお金が出ていくときに決してシブシブとお金を払ったりはせず、きっぱりと明るく「いってらっしゃい。早く大きくなって戻ってきてね!」と声をかけてあげるという。ここまで来るとどうも精神論めいてしまうが、しかし「感情の指紋」は無視できない。なぜなら人間は感情の生き物だからである。

 感情はよく喜怒哀楽という言葉で言い表される。それはプラス(喜び)方向とマイナス(苦しみ)方向に行き来する一つのサイクルだ。
 ちなみに嬉々として戯れていた子供たちは、その感情が余ってやがて喧嘩(怒)に至る。その結果いずれか(あるいは双方)が泣いたり(哀)もするが、涙を流すと気持ちがラク(楽)になる。そしてまた再び嬉々として戯れ、こうして感情のサイクルが回っていく。喜怒哀楽とはよく言ったもので、これは事業にも人生にも言えることかもしれない。
 つまり感情は苦楽を循環しているのだ。それは決して一カ所に留まったりはしない。実際、喜びっぱなしの人もいなければ、いつまでも怒り続けている人もいない。感情は実に不安定なものなのだ。それと同じように「勘定」もまた不安定だ。得をするときもあれば損をするときもある。「感情」も「勘定」もそういった性質のものなのだ。

 となると、ライアル・ワトソンの言う「感情の指紋」は「心情(思い)の指紋」と言い換えたほうがふさわしいだろう。なぜなら佐々木画伯の作品は、自然に対する喜怒哀楽(変化する感情)というよりは、「不変の思い(一貫した心情)」というべきものだからである。
 さらに佐々木画伯は「勘定」もあまりしない。だから画商とは全く縁がない。それなのに完成した作品はいつのまにか誰かの手に渡っていく。噂が噂を呼びフアンがどんどん増えていくのだ。
 そこには、これからの事業のヒントが隠されているような気がする。つまり「感情や勘定の指紋」ではなく「思い(心情・愛情)の指紋」を刻印することの楽しさと効果。それが二一世紀型事業の一つのあり方を示唆しているような気がするのだ。

 ところで問題は、いったいどうしたらハッピーな心情を自分のものにできるのか。最近では「プラス志向」という言葉が流行っているが、プラスを意識すること自体がマイナスを意識しているということだろう。それでは感情と勘定の循環が続くばかりで「心情の刻印」も「心の癒し」もままならない。佐々木画伯の場合は、大自然との交流(共振)からパワーを得ているようだ。
 「感情も勘定も人間ならではのサガ」であるが、それを超える秘訣はどうやら「自然」に対する思いにあるらしい。だからこそ、人間社会ならではの感情と勘定のもつれからくるストレスを、その作品が静かに優しく癒してくれるのかもしれない。
 ここまで書いてふと「サビタの花」に目をやった。
 いま、季節は真冬…。が、そこには季節を超えた永遠が感じられる。時間を忘れるとき、人は心からリラックスできるもの。絵に時の流れが感じられ、そして時をすっかり忘れられること、これまたこの作品の魅力と不思議の一つである。

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