沢口敏くんについて

【このカレンダーを企画した趣旨】 昭和59年1月、洞爺湖湖畔で一人の小学生が、暴走車にひかれてなくなりました。  その名は、沢口敏くん…。亡くなったあと、その短い人生の結晶として、67点の絵が残されました。  絵が大好きだった沢口敏くんは、小学3年のときから絵の勉強を始め、わずか3年あまりの期間に数多くの国際的コンクー...

有珠山噴火と故沢口敏くん

昨日NHKテレビで「予知された噴火」という番組が放映されました。 そのなかに沢口さんご夫婦が登場してきましたが、あの噴火でぼくがまず思ったのは「沢口さんは?」ということでした。 というのも、沢口さんの家は激しい噴火が続く西山噴火口の一番近くにあり、下手をすれば噴石でハチの巣状態になる危険にさらされていたからです。沢口さ...

避難所でカレンダーを手渡しました

いざ、豊浦へ! 5月4日、沢口敏くんのご両親にカレンダーを手渡すため、避難所のある豊浦町に出向きました。家を出発したのは午前10時過ぎ、2時の約束でしたが、連休の渋滞を見越して、多少の余裕をもって出かけたのです。 しかし渋滞は予想以上のもので、特に中山峠を下りた辺りから喜茂別に至る道路はひどい状態でした。これでは約束時...