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1998年10月:悩めるときの応援歌・全勝の果てに自分がいる!

 不景気、倒産、リストラ、失業、金融不安、異常気象、水害、毒物事件等々と、いま日本列島には暗いニュースが満ちあふれている。その日本列島の上空を物騒にも弾道ミサイルが飛び、さらには世界同時株安現象が地球を走る。
 こうなると、「生き残れないかもしれない」という寒々しい思いが体の中を吹き抜け、将来への不安がいよいよ高まる。「日本列島総不況」はすでに政府公認の言葉だが、「総不況」というよりはむしろ「総恐怖」。どうやら「不況」は「怖驚・怖叫・腐凶・負恐」のレベルにまで達しつつあるらしい。
 そんななか、ますますそれぞれの運不運が鮮明になりつつある感じだ。運不運という感覚は面白いもので、いったん「俺は運が悪い」と思ったとたんに、どんどん不運の渦に飲み込まれていくものらしい。
 反対に「運は運を呼び」といった現象もあるほどに、幸運が雪だるまのように膨らんでいくこともある。あるいは、不運な出来事をも「良かった!」と思うことで、新たな幸運に恵まれることもあるだろう。
 世の中ではこれを称して「プラス志向・ポジティヴスィンキング」などというが、なるほど起きてしまったことをいくら嘆いてみても仕方ない。人生で起るすべての現象にプラスマイナスの両面があるのだから、不遇に遭遇した場合でも、ポジティヴに自らの内なる幸運を見つけ出したほうが利口というものだろう。

 考えてみれば現在の不良債権も、バブル期にあっては宝物のように輝いて見えていたはずだ。輝いていたからこそ、多くの人々は希望を込めてそれに投資したのだろう。
 その反対に投資するだけの資金も担保もなかった者は、いま「皮肉な幸運」を噛みしめているにちがいない。こうして、時間が経ってしまえば運は不運となり、不運もまたたちまち幸運に転化する。それくらいに運不運は気まぐれで表層的なものなのだ。それだけに、たとえいま逆境のど真ん中にあったとしても、「不運を嘆く自分がここにいる」ということ自体が、逆説的ではあるが最高の幸運なのではなかろうか。

 思春期の頃、自分という存在をつくづく不思議に思ったことがある。
 なぜこんな田舎に生まれ、なぜこの時代に生まれなければならなかったのか。なぜ日本に?なぜこの家に?この両親の元に?…。いくら考えても答はない。
 そのとき、「自分の力で変えることのできないものは、潔く素直に受け容れるしかない」と思った。その一方で、自分の努力で変えることのできるものもいろいろある。若さのぶん、可能性は限りないくらいに開けていた。大切なことは、いったい何が変えられないもので、何が変えられることなのか、そのことを見極める目ではないかと思ったりもした。
 しばらくして父から戦争当時の話を聞いた。父の世代は一網打尽に軍隊にとられ、そして多くが戦死した。しかし、父は徴兵を免れた。父はやむをえざる家庭の事情もあり、「戦争に行かなくて済む資格を取る」という選択肢を選ぶことによって、かろうじて徴兵を免除されたのである。
 その結果、ぼくが生まれた。もし父が戦争に行っていたとしたら、ぼくはこの世に存在していなかったかもしれない。その父の父親(祖父)もまた、日露戦争から奇跡的に生還したらしい。そのことを考えてみただけでも、自分という存在はいくつもの幸運が重なった結果だったことが分かる。わずか二代前からの歴史を見ただけでも、そこにはしぶといサバイヴァルの血が流れている。
 父は軍隊を免れて生き残ったが、激しい戦闘を経て生き残った者も多い。そしてむしろそのほうが、運が強かったとも言えるだろう。なぜなら厳しい逆境や苦難ほど、強運を味方につけなければ生き残れないからだ。

 そうした視点から人類の歴史を考えてみると、そこにはおびただしい試練や苦難が幾重にも折り重なっている。人類の歴史は決して戦争のみならず、天災、飢餓、疫病、事故等々の幾多の苦難に見舞われてきた。そのなかで圧倒的多くの人々が無惨にも死に追いやられていったのである。
 にもかかわらず、「ぼく」に連なるすべての先祖が、その試練や苦難のすべてを見事にくぐり抜けて生き延びた。少なくとも「子を残す段階」までは生き続けた。
 それは十世代や二十世代レベルの話ではない。人類が始まった最初から連綿と続いてきてぼくに至るまで、すべての先祖がことごとく天災、飢餓、疫病、戦争、事故等々のあらゆる危機を免れて子を残したのである。その途上のほんの一人だけでも、もしも子を残す前に死んでしまったとしたら、いまぼく自身がここに存在できなかったことになる。
 ここでは「ぼく」としているが、これはいま地上に存在している「すべての人」に共通して言えることだ。そう、すべての人々が、過酷な試練や苦難に打ち勝って見事に勝ち残ってきた先祖を持っている。私たちに連なるすべての先祖たちが、すべてがすべてなんとか成人して子を残してきてくれた。だからこそ、私たちもいまここに存在できているのである。

 このことはいったい何を意味しているのだろうか。
 それは、私たちの遺伝子には「厳しいサバイヴァルの戦いに百パーセント勝利してきた!」というメッセージが書き込まれているということだ。
 運不運ということからすれば、これほど素晴らしい幸運もない。私たちのすべてがものすごい強運の血統とパワフルな遺伝子情報を持ち合わせていることになる。もちろんそれは、激しい「受胎競争」での勝利をも内包している。

 仕事や事業上の成功や失敗も確かに大事なことかもしれない。が、それは、飢餓や戦争、天災、疫病などでの生死の危機と比べれば、実に些細なことともいえるだろう。だから、落ち込んだときにはぜひ思い出してほしい。「自分の中には百パーセント強運の遺伝子が息づいているのだ」と。

 こんな激励のエッセイを書いてしまったのも、たぶん「もう俺はダメだ」といった感じの弱音を、周辺で頻繁に聞いてきたからかもしれない。いや、実はこれは自分自身への応援歌でもある。そしてその歌は「内なる声」として響いてくる。「変えられないもの」に潔く自らを明け渡したとき、そして「変えられるもの」を「変えてみよう!」と勇気を持ったとき、それは頭脳や知識の論理的回路からではなく、連綿と書き込まれてきた遺伝子からの原初的メッセージとして、心の深層に太く確かに響いてくるのである。
 とは言っても、「俺は強いんだ!」と無理に空元気を出すのはやっぱりよくない。あるいは肩をいからして「わが社は絶対に勝てるはずだ!」と盲信的に思いこむのにも無理がある。
 運不運も、ポジ・ネガも一つの現象や物事の表裏であるのだから、どちらかに偏ってしまってはバランスが崩れる。その意味では、陽気(ポジティヴ)でもなく、陰気(ネガティヴ)でもなく、何が起こっても「平気」であること。そのときに、そこに内なるサバイヴァルパワーが働くのではなかろうか。

 何が起こっても平気であるためには、いくつもの選択肢が発見できる目が不可欠だ。「これがダメだったらそれがあるさ、それもダメだったら、あの手でいくか」と。実際、「これがダメだったら人生は挫折」ということなどにはまずならない。成功者はむしろ、失敗や挫折に直面して柔軟に臨み、見事好機をつかみ取ってきたのである。
 その意味で、ぼくは過度のプラス志向にはどうもなじめない。それよりは「うまくいっても平気、失敗しても平気」でありたい。
 こう言うと「情熱がない・責任感がない」とも言われそうだが、下手な情熱や責任感の結果、破滅へと直進するよりはいいだろう。オープン、柔軟にして自然体、それが変化の時代を生きる知恵とはいえまいか。

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