「少年犯罪凶悪化続く」の見出しのもと、今年一~六月の半年間に、殺人や強盗などの凶悪犯で逮捕・補導された少年が相変わらず増え続けているという新聞報道があった。こうしたニュースに出会うとどうしても気分が滅入る。犯罪の増加もさながら、そこに少年たちの鬱屈した精神環境が見えてきてしまうからである。
話は飛んで、あの阪神大震災のとき全国からたくさんのボランティアたちが神戸に駆けつけた。被災者たちを損得抜きでサポートするその姿は、実にすがすがしいものだった。
ボランティアの神髄は、何かを夢中でやることで自らが癒されることだそうだが、どことなくそうしたものが感じられる光景だった。しかし当初のその熱気もやがて萎えていく。いったいなぜだったのだろうか?
その答を捜しに、その秋シアトルを訪ねてみた。ボランティア先進国アメリカの実態を知りたいと思ったからだ。当時アメリカには約九十万以上もの膨大な数のボランティア団体があり、活動する人々の数は約九千万人と言われていた。これはなんと、成人のうち二人に一人がボランティアに参加している計算である。延べ時間にして約一九五億時間。実に多彩で多くのボランティアたちが、力強くアメリカ社会を支えているのだ。
こうした動きを捉えて、ドラッカーは「将来の企業組織も非営利機関のようになるだろう」と予測した。その意味するものはいったいなにか。それを実感したいということもあって、アメリカのボランティア組織を訪ね歩いてみたのである。
ある「動物愛護協会」を訪ねてみたところ、ハーイ!と言って若い美人がにこやかに迎えてくれた。理事長のナンシーさんだった。
理事長を務めてすでに十年というから、二四、五歳からこの大きなボランティア組織を運営してきたことになる。すっかりアイドル的な存在のナンシーさんは、百年の歴史と広大な敷地に何棟もの立派な建物を所有するこの大きな組織で、五百名以上の無給ボランティアたちと、獣医も含めた三六名の有給スタッフたちを自由自在に動かしている(ように見えた)。
また、年間約一億三千万円の寄付金を集めるのも彼女に課せられた役割だ。その内容からすれば、企業の社長にも似た手腕が問われる。なぜ若い女性にこんなすごいことができてしまうのだろうか。
その秘密は、どうやら「管理しない」ことにあるらしい。ナンシーさんがやることはただ一つ、ミッション(社会的使命・事業コンセプト)を的確に語るだけだ。仕事や役割は、参加者それぞれが勝手に自発的に見つけだしていくのである。
ちなみに彼女はぼくに対してまずこう質問した。
「私たちのミッションは○○です。この目的に対して、稲田さんならどんなことをやってみたいですか。また何が得意で、何ができますか?」
こう質問されてしまうと自分で考えるしかない。
「そうですね、例えばぼくにできることは、みんなの活動を取材して地域の方々に伝えること、またボランティアたちのコミュニケーションの触媒役なんてのも楽しそうだし、面白そうですね」
「じゃあ、それお願いね!」とニッコリ。美人に微笑まれてしまうと、ついその気になってくる。こうした調子でナンシーさんは、五~六〇〇名の人たちの自発的参加を取り付けてしまうのだ。
というわけで、敷地内に廃棄物のリサイクルコーナーがあったりもする。車でゴミを運ぶのもりっぱなボランティア参加というわけだ。まさに誰もが気軽に参加できる場と環境を作り、どんな人のどんな技や力でも、たちまち効果的にボランティア活動に組み入れてしまうしなやかな柔軟性…。
参加する者たちの自発性と喜びを引き出してくれるこうした見事な仕組みこそが、この組織の魅力になっているのである。だからこそみんなもその不思議な引力に引きつけられ、あえて時間を作って足を運び続けているにちがいなかった。
取材をする過程で、逆に何度も取材をされた。なぜ日本は、阪神大震災のとき外国からのボランティアを拒否したのかと。
こうしてあちこちのボランティア団体を訪ね歩いてみると、日本の問題点がよく見えてくる。つまり日本は、サポーターたちをすぐに組織化して管理してしまうのである。
実際、阪神大震災のときに駆けつけたというある青年の話を聞いたことがある。「役場の人からキミはあれをして!などと仕事を言いつけられてしまうと、なぜかムカつくんですよねぇ。それでも最初のころは素直に熱心にやってはいたけれど、途中から、なんでオレがこんなことしていなければならないんだと疑問が湧いてくるんですよ。で、結局途中で逃げ出してきたんです」
ボランタリーの原動力は個々の自発性にある。それが抑えられ、管理されて義務感になりだしたとき、そこから徐々に苦痛が芽生えてくるのだ。
アメリカのボランティアたちが口々に言ったのは、「ここにくるのが楽しいんですよ」であり、「結局は自分のためにやっているんです」だった。つまり、それぞれの自己表現がそのまま活動につながり、それを通して内側から癒しが起こる。
もちろんすべてのボランティア団体がこのようにうまく動いているわけではない。アメリカではボランティア組織を生みだすのは実に簡単だが、そこには厳しい競争と淘汰の現実もある。楽しくないところでは誰も無給奉仕などしたくないからだ。しかし日本のように「○○省管轄」などといったヒモもなければ、お役人の天下りもない。これまた自発性と自由の精神がボランティア組織の風土的背景になっているのだ。
ドラッカーは最近の著書で「ミッションから戦略が生まれる」と言っている。組織は戦略に従って作り出されるものだから、ということは「ミッション→戦略→組織」というわけで、組織にまず必要なものはミッションということになろう。
わが社はいったい何のために社会に誕生し、存在し、これからいったい何をやっていこうとしているのか。このことを鮮明にしていくのが、これからの経営者の資質と言えるにちがいない。
その意味でこれからの組織は、ドラッカーが言うごとく非営利組織に向かわざるをえないだろう。早い話、経営者が事業目的を鮮明に打ち出し、「この指(夢)とーまれ!」とやるわけだ。もしそこに何かを感じる若者たちがいたら、きっと続々と集まってくるだろう。しかしそのためには「管理」は御法度、いかに各自の自発性を引き出すかが決め手になる。そしてそれには、若い女性がコンダクター(指揮者=経営者)をやったほうがはるかにいいのかもしれない。
現実離れをしたものと映るかもしれないが、しかしアメリカではすでにこれが現実の姿だ。若い女性が億単位のお金を集め、数百人の人々を動かし、高い社会的評価を得ている。そしてそのポイントは、ミッション。それも、時代と人々の心に深く鋭く響くメッセージがそこにあるからこそ、組織が自動的に機能しているのである。
「人間であるかぎり、誰もがきっと、なにかができる」…ボランティア精神の根っこにあるものは、まさにこの一言に尽きるようだ。そして参加者がほしいもの、それは「喜びと自分の成長」なのだ。これは、人間としての本質的な欲求でもあろう。ということは、少年犯罪の凶悪化は、彼らの参加できる場がなくなっているということでもあろう。
管理が行き過ぎた社会は窒息する。ノルマや利益ばかりを追求する組織も窒息する。いま何よりも必要なものは、「わが社のミッション」を改めて再確認し、もしそれが曖昧だとしたら新しく作り出していくことではなかろうか。