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2000年10月:心も体も、財布の中身に左右される?

 たしか、こんなユダヤジョークがあった。
 「からだ(体調)は心(気持ち)の影響を受け、
 心は、財布の中身に左右される」
 かつてはこのジョークを微笑みながら語ったものだが、いまでは語ればほおがひきつり、切実さが身にしみる。そう、日本人の多くはいま、財布(経済)のその中身(不況&不安感)によって、こころがすっかり萎え始めているのだ。
 このユダヤジョークは、体調と心と財布の中身が、密接につながり合っていることを物語ってくれている。実際、財布に重くびっしりと札束が詰まっていれば、気分は軽く、体も足取りも軽い。その反対に財布が軽ければ、気分も、足取りも、体も、頭も何もかも重く、ついついうなだれてしまいがちだ。その図はあたかも、一方に財布が、そして他方に心と体調がまたがったシーソーのようでもある。
 ジョークはともかくとして、ここで強調したいことは「みんなつながり合っている」ということだ。つながり合っているからこそ健全なバランスが生まれる。もしもそのつながりが切れたらどうだろう。ちなみに、財布が空っぽなのに、エヘラエヘラと笑っている図…、それはたぶん、悟りを得た聖者か、キチガイのいずれかにちがいない。
 事業もまた市場との健全なつながりがあってはじめて成り立つ。どんな事業も「市場環境」とマッチしなければならないのだ。市場の環境(消費者ニーズ)がすっかり変化してしまったというのに、旧態依然たる商品やサービスを提供し続けていては、事業が行き詰まって当然だろう。その意味で事業の成否は、市場環境と「いい関係」が作れるかどうかにかかっている。
 つながり・関係性・バランスと言えば、これはエコロジカルなものの見方だ。事業には、市場とのエコロジカルな関係が必要なのである。そうでなくては事業の持続性などありえず、また市場との相互関係が断ち切られれば、事業体の存続も危うくなる。こんな初歩的なことは、あえて言うまでもないことだろう。
 「宇宙とは、自分も含めたすべて。
  環境とは、自分以外のすべて」
 こう語ったのは、B・フラーであった。
 にもかかわらず私たちは、事業を「市場」環境との関係性だけに限定して考えてきた。ところがどっこい、いまや事業を「自分以外のすべて」との関係性の中で考えなければならなくなってきている。いや「自分も含めたすべて」という視点から見つめ直す時代になったと言えるかもしれない。
 つまりユダヤジョークの先には、もう一つの文脈が隠されているのだ。心は確かに財布の中身に左右されかもしれないが、かといって財布の中身がすべてを左右するというわけではない。
 実際、ルバング島で孤立した小野田寛郎さんにとって、リュックに詰まった情報工作用の軍資金は焚き付け以上のものではなかった。お金が小野田さんを支えてくれたのではなく、ルバング島の豊かな自然が三〇年間も戦いつつ長らえることを可能にしてくれたのである。

 ということから、なるほど心は財布の中身に左右されようが、しかし財布の中身(お金)は豊かで健やかな自然環境に恵まれて初めて意味を持つ。体も心も、自然との健全な関係があってこそバランスが保てるからである。
 それを如実に物語ることが、ここ最近立て続けに起こった。三宅島の噴火や東海地方を襲った集中豪雨等々の突然の天災だ。いざ自然が暴れるや、経済活動も暮らしもたちまち吹っ飛ぶ。自然環境が荒れ狂ってしまえば、いかに財布の中身が重かったとしても、人間は心と体の安寧を維持することができなくなってしまうのだ。
 このことを強く自覚させてくれるのが、ずばり環境問題だ。要するに、自然環境は市場環境とは比べようもないほどに重い。だから自分のことを考えるためにも、自分以外のすべて(環境)のことを考えなければならなくなってきたのである。
 頭で理屈は分かっても、しかし現実はやっぱりお金だ。が、お金が欲しかったら、お金がいったいどこから回ってくるものかをじっくりと考えて見る必要があるだろう。お金は「回ってくる」というよりは必死で働いて「稼ぐ」のが世の中の相場のようだが、「稼」とは実は植えた稲(禾)が自然に稔ることを意味している。つまり「稼ぎ」は天恵の結果であって、天(自然環境)を味方にしなければ得られないものなのである。
 そのことを「稼」という文字そのものが物語ってくれている。「稼」は禾と家の組み合わせであり、禾は稲、しかもそれはいのちあるもの(生き物)全体の象徴でもある。フェニキア文字では牛の絵(アレフ)が食べ物全体を象徴したように、稲(禾)が生き物全体を表しているという。
 そしてその生き物全体の家と書いて「稼」…、家(オイコス)はエコロジー(生態系)とエコノミー(経済)の語源でもあるから、漢字の「稼」は、「生き物全体の生態系」という意味でもある。しかり稼ぐとは、本来自然のいのちの営みの恵みにあずかることなのだ。人が「稲を作る」のではなく、自然が育ててくれた稲の恵みを頂戴すること。だからお金を稼ぐその基本も、エコロジカルな事業(経済)にあるのではなかろうか。
 またまた理屈っぽくなってしまったが、しかし世の中の時流は間違いなく「環境」に向かって流れている。それもたぶん「財布の中身=お金」が健全な自然や社会の生態系の中にあって生みだされることを、みんなが心のどこかで感じ始めたからだろう。
 事業の成否が「時流に乗る」ことにあるとすれば、いまのマーケッティングの旬はまぎれもなく「環境」だ。それも単なる看板やポーズだけでなく、本当に自然環境やエコロジーを意識して取り組めば、やがて「稼ぎ」が生まれてくるにちがいない。環境が財布の中身をおのずと豊かにしてくれるのだ。
 実際、本当に「地球にやさしい車」を開発しさえすれば、市場環境もその車に味方してくれる。ちなみにアメリカに六十万人もの会員を擁する巨大な自然保護団体シエラクラブでは、その百年の歴史で初めてある企業を表彰した。これまでの彼らは企業を批判こそすれ、表彰することなど全くなかった。それなのにその伝統?を破って、ハイブリッドカーを開発した日本のホンダを初めて表彰したのである。
 この事実は、文字どおり「稼ぎ」の実相を物語っている。自然環境に配慮をすれば、市場環境が味方してくれるということを。
 「早稲田商店街」の町興し運動もその一例で、空き缶やゴミを拾い集めてくれた者に地域マネーを発行したところ、ひっそりとしていた街に活気が蘇った。「自分以外のもの(環境)」を意識して愛情を注ぐと、環境が自分を生き生きと豊かに蘇らせてくれる。環境が財布に「稼ぎ」を与えてくれるのである。
 このような書き方をすると、ともすればオカルトじみて聞こえてもしまうが、しかし実態は、それくらい環境意識が人々の心の深層に渦巻いているということだろう。この兆しは大きくなりこそすれ衰えるものではない。だとしたら「時流」には積極的にサーフィンしたほうがいい。目の前のお金を追いかけて環境破壊に与するよりは、環境に配慮して環境から「稼ぎ」をいただいたほうがはるかに利口というものだろう。

 とは言っても、環境ビジネスを勧めるわけではない。エコロジカルな視点からの事業が必要ということだ。例えばモノを作る場合、解体のことを考えて設計し、廃棄まで考慮して材質を選ぶ。企業は環境コストまで計算しなければならない。
 最初のジョークに戻ろう。ちなみに、体の具合が悪い…。すっかり気持ちが落ち込んでいるからで、鬱の理由は借金をかかえているだからだ。しかし秋空は高く澄み、陽射しも風も心地よい。その瞬間、人間もまた自然の一部であることが分かってくる。人は財布の中身に生かされているわけではない。そう思えれば、生きる勇気も湧いてくるというものだろう。つまり、自然の囁きが心に不思議なエネルギーを注ぎ込む。ユダヤジョークはその最も大切なつながり方を伏せているからこそ、ジョークとして成り立っているのである。

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