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「農の風景」の理想 | 稲田芳弘コラム
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「農の風景」の理想

「粘土団子を蒔く」ことに意味、お分かりになりましたか?
もうちょっと、続けさせてください。


 僕の自然農法は、突き詰めれば粘土団子を蒔くことだけ。その中にすべてが含まれているんです。こんなことをいうと簡単すぎて、人はかえって疑うでしょう。しかし繰り返しますが、人間の手を加えるほどに自然というものはおかしくなる。だから作物や果物を育てるにも人間が下手に手を加えず、簡単にやったほうが結果は驚くほどすばらしいんです。
 その意味においても、自然農法は結局生き方の問題になってくるんです。でも勇気をもって生き方を変えれば、そこにはそれまでとは全く違った世界が開けてくる。そのほんの一例を紹介してみることにしましょう。
 
 アメリカで、自然農法によって、いま三千ヘクタールもの米づくりを行なっている経営者がいます。その経営者は、僕の話を三時間聞いただけで、自然農法を始める決心をしたんです。
 僕の話を聞いた彼は、これは大変だ! 大革命だ! と感激して、さっそく6人の従業員の首をきり、トラクターも廃止した。そしてただ粘土団子を飛行機で蒔くだけで、りっぱに大量の米を収穫しているんです。
 自然農法の米作りの仕事は、ただ種を蒔き、そして収穫するだけです。実に単純でシンプルです。無耕起、無肥料、無農薬で、不思議なくらいに成功する。しかもそれまでは三千ヘクタールの全部で米作りをすることなどできなかったわけですが、自然農法なら三千ヘクタール全部が毎年連作できるんですよ。
 まるでウソのような話ですが、実際にアメリカで、いま自然農法が営まれている。なにしろアメリカでは、「これはいいぞ」と思ったらすぐに実行に移すといった精神風土がありますから、もしアメリカが本気で自然農法に取り組み始めたら、日本はとてもアメリカにはかないません。
 
 一方、「息子が僕の本を読んで感激した」といってドイツからはるばるここにやってきたある経営者も、それまでやっていたヨーロッパ一の食品会社(ハム・ソーセージ会社)を、その後全く新しいかたちに変えてしまった。すなわち、それまでの経営拡大指向をやめ、農場・牧場とレストラン、住宅を一箇所に配置し、生産からサービスまでを一貫して提供できるようにしたわけです。
 
 その人に「僕の本のどんな点に共感したのか」と聞きますと、「スモール・イズ・ビューティフル」といいましたから、すかさずに僕は「スモールよりも無のほうがベターだ」と言い返した(笑)。「無の哲学」こそが自然農法の真髄であるからです。
 
 そもそも僕が自然農法を始めたきっかけは、あるときに、この世界の実相をすっかり見てしまったからなんです。 いまからもう50年も前のこと、僕が25歳のときのことでした。そのころふとした病気が原因で、死の恐怖におびえ、人生への懐疑と懊悩の日々を送っていました。
 そんなある日、日夜を徹した彷徨の末、疲れ果てて木の根にもたれてまどろむともなくまどろんで夜明けを迎えると、突然、ゴイサギが鋭く鳴いて飛び立って行ったんです。そのとき突如として僕の口から飛び出した最初の言葉は、「なにもない。なにもなかったじゃないか」というものでした。このとき、僕は「神の全貌を見てしまった!」と直感したんです。
 
 「なにもない。なにもなかった!」…。その神秘的な体験から、自然農法が出発したんです。
 ただ人の目には、貧乏百姓が好き勝手なことを言い、夢ばかりみて遊んで過ごしているように見えたかもしれません。しかし僕にとっては、「なにもなかった」というそのときの鮮烈な体験を、以来50年の歳月を通して改めて確かめてきた。つまり人間に生来与えられている農の営みが、知識や道具や機械によって「農業」となったとき、そこにさまざまな悩みや問題が生じてきたことを発見させられたというわけです。

 僕が砂漠に関心をもったのは、いまから十数年前のことでした。ある夏、北米に飛んだときのことですが、広大な緑の沃野を予想して行ったアメリカ大陸が、意外にも褐色の荒廃した半砂漠の国であることに驚いた。そしてそのときに思ったのが、カリフォルニアの砂漠化・気候変化は農耕法の間違いから出発しているにちがいないと推測したんです。
 そしてある早朝、褐色の草原がどこまでも広がるアパー高原で、小さなわき水で顔を洗いながらふと見たところ、ネズミの巣の中に浸み込んだ水で雑草の種が二、三センチ芽を出しているのに気がついた。暑いから草が枯れると思っていたのに、事実はフォックステールなどの雑草が平原を独占して、他の緑を追い出していただけだということが分かったんです。この雑草は、二百年前にスペインから侵入したといわれます。だからこの草をうまく利用すればきっとこの砂漠にも緑が復活する。そう考えて早速実験にとりかかったんです。
 まず日本から持ち込んだ色々な野菜種を混ぜ合わせ、枯れ草を大きな鎌でなぎ倒してその中に蒔きました。そこに山上の溜まり水をビニールパイプで引いたところ、「案ずるより生むが易し」で褐色の草原の中に緑が生えた。もちろんこの緑はフォックステールの緑です。それから1週間後、水がきれると芽を出した雑草は暑さで枯れ始めましたが、その中からカボチャ、キュウリ、トマト、オクラ、大根、トウモロコシといったものが繁り始め、結局は褐色の草原の真ん中が野菜畑に変わっていった。つまり、頑固な雑草はいったん芽を出して枯れ、その跡に野菜が生えてきたわけです。
 
 こうした体験からいよいよ本格的な砂漠の緑地化実験がスタートしていったわけですが、地球のあちこちがどんどん砂漠化しているその元凶は、結局人間の人智や人為にあったということができるでしょう。
 だから、これさえ排除することができれば、自然は自然に復活する。人間がやるべきことは、ただ色々な食物の種や菌類を集め、それを粘土団子にして蒔くことだけ。それが唯一の人間の自然への奉仕ということになるんですね。

 要するに、人間は自然の偉大さや自然の神秘な営みについてまるで分かってはいないということでしょう。それなのに技術が絶対であるように思い込み、人知や科学が万能であるかのようにすっかり錯覚してしまってきた。しかし文明化されすぎた便利な社会はむしろ危険であって、いったんその危うい人工的な調和が崩れ出すととんでもない事態が発生してしまう。文明化されすぎた社会は、ちょっとした気候の変動や天災によってもろくも崩れ去ってしまうものなんですよ。
 
 僕が理想とする「農の風景」とは、果物がたわわに実る農園の樹の下に、クローバーや野菜の花が咲き乱れ、蜜蜂が飛び交い、麦が蒔かれていて、自給自足で独立して生きられるといった環境です。また地鶏やウサギが犬とともに遊び、水田にはアヒルやカモが遊泳し、山すそや谷間では黒ブタやイノシシがミミズやザリガニを食べて太り、またときには雑木林の中からヤギが顔をのぞかせる。そんなのどかな風景の中に生きることができたとしたら、僕としてはこれ以上の幸せはないだろうと思いますね。
 こんなことを言うと、まるで経済性のない原始的な世界と思われるかもしれませんが、しかしこれは「人畜と自然が一体となった素晴しい有機的共同体」であって、人間はそのような世界での自由で自立的な生き方を、本当は心の奥底で望んでいるのではないか。そしてそういった生き方をやろうと思えば、誰もがすぐにでもできてしまうんですよ。


 長くなりましたが、いかがですか? 翁の言葉はまだまだ続きます。でも、だいたいその概要はお分かりと思います。翁の言葉は「農」だけでなく、すべてに通ずるものなんではないでしょうか。(はい、お疲れさま。質問がありましたら、なんなりとどうぞ!)

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