自然農法

「自然農法」とは、あえていうまでもなく福岡正信さんがやっておられる自然農法のことです。福岡さんの自然農法は、決して新しい農業技術というのではなく、むしろ人間の生き方や社会のあり方そのものの根本に迫るものだと思います。
そこには、21世紀的な生き方と社会のあり方が、鋭くメッセージされているように思えます。以前四国の愛媛に、福岡さんの山を訪問したときのことなども含めて、これからゆっくり「自然農法」の考え方とそのすごさをご紹介させていただきます。
なお、「自然農法」や福岡翁に関して興味をお持ちの方は、どうぞお気軽にコメントをお寄せください。

斎藤さんのお話

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この牧場は、牛が勝手に作ってくれた牧場なんです。
 実際、熊笹と石ころだらけだった山を開拓してくれたのも牛ですし、きれいな草地を作ってくれたのも牛たちです。牛は毎日牧場内を勝手にのんびりと歩き回りながら、せっせと肥料も入れれば山や木や草地の管理もしてくれている。おまけに子をどんどん産んで増え、乳まで出してくれるんですからありがたいもんですよ(笑)。
 そのきっかけといえば、結局は極限状態に追い込まれてしまったことでしょうね。みんなと同じようなことをやっていたら、要するに食えなくなったんです(笑)。

 私がこの土地に開拓団の一員として入植したのは昭和22年。その後26年に独立して一人で農業に挑戦したものの、なにしろ私に割り当てられた土地は農業には不向きな山だったから、みんなと同じやり方では全くダメだった。独立した年などは、国有林の雪投げや水田農家の手伝い、また山からフキやワラビなどの山菜を採って旭川の町まで売りに行って暮らしをつないだりしていました。ここは起伏の激しい山で傾斜度が平均して15度もあり、しかも粘土質の土地でしたから、鍬を入れることも難しいほどだったんですよ。
 普通なら機械を使って開墾をするところでしょうが、そんな金などあるはずもない。なにしろ独立はしたものの自分の住む掘っ建て小屋もなく、兄貴から借金して住む場所だけはなんとか確保といった状態、まさに手がつけようもなかったんですよ。
 で、翌年には山形の田舎から家内をだまして連れてきて(笑)、とにかく必死で畑を起こしました。トウモロコシ、馬鈴薯、大豆、小豆なんかを作りましたねぇ。ところが場所が場所ですから、自分で収穫する前に、野ウサギや野ネズミのほうが先に収穫してしまう(笑)。それでもコツコツと働いて三ヘクタールの畑と三頭の搾乳牛を手に入れましたが、とても食うまでには至らなかったんです。

 それでも元気で働けるうちはまだ良かったんですが、子供が生まれると家内はきつい農作業に加えて育児や家事もありますから大変です。ついには倒れて入院してしまった。そうなると牛の管理もままならず、事故が起きたり搾乳量が減ったりで経営が大ピンチ。そんなこんなですっかり信用を失い、開拓農協からは肥料一俵借りることもできなくなってしまったんですよ。
 多くの場合、そんなときに山を下りたり、畑を捨てて離農して町に働きに出るんでしょうね。でも私はバカですから、山を下りずに、逆に熊笹をかき分けて山に登った。この辺では「バカと煙は高いところに昇る」と言われているんですが、まさにそれを地でいったわけです(笑)。
 山には登ってはみたものの、周りの木や熊笹で何も見えなかったので、さらに一本の高い木によじ登った。そして自分の土地や遠くの景色を眺め渡しながらいろいろ考えていたんですよ。
 そうしたら、ハッとあることに気がついた。そうか、野鳥や昆虫のように生きていけばいいんだなって。
 というのも、木に登って周りを見ていると、小鳥のさえずる姿や昆虫の飛び回る光景が目に飛び込んできた。彼らは実に自由に、悠々と、別にあくせく働いているわけでもないのに楽しそうに生きている。それに比べ、私たち夫婦はこんなに必死になって働いているにもかかわらず満足に食うことすらできない。これはどっかがおかしいぞと思ったんです。
 そのことに気づいてさえしまえば、あとは簡単です。要は、野鳥や昆虫たちと同じように、自分のほうから自然の中に溶け込んでいけばいいんですよ。

 極限まで自分を追い込んでしまうと、たぶんそれまでの固定観念がどっかに吹っ飛んでしまうんでしょうね。すると、そこから人間が本来持ち合わせている直感力というか純粋で素朴な感性が蘇ってくる。だからいろんなことに気づき始めるんだと思います。
 行き詰まりというやつは、自分のほうから諦めるということです。が、土壇場に追い込まれても諦めさえしなければ、きっと何かが見えてくるものなんですよ。それには時間がかかるかもしれないけれど、待ってさえいれば何かが見え出す。ところが困ったもんで人間というやつは、苦しくなるとあの手この手でちょこちょこ手を打つからかえっておかしくなっちゃうんです。ある程度確かな何かが見えてくるまでじっと耐えて待つ、それが秘訣なのかもしれませんね。

 金を稼ぐためにトラック林道工事の仕事をしたことがあったんですが、林道を気をつけて観察してみると、とても面白いことが分かってきたんですよ。つまり、トラックがいつも通るわだちには草はほとんど生えないけれど、ときどき通るところには野草や牧草が適当に生えている。そして車が全く入らないところには熊笹やイタドリがびっしりと生えて伸びているんですね。ということは、適当に車や人が踏みつけてやれば、邪魔な熊笹や雑草がなくなって、草地づくりができるんじゃないか。そんないうひらめきが起こったんですよ。つまり車や人の代わりに牛を頻繁に歩かせれば熊笹はなくなり、また適度に歩かせれば牧草が生えてくるにちがいない。そう思って実際にそれをやってみたわけです。

 そこからいわゆる「蹄耕法」が誕生するわけですが、この名前は実は後で役人が付けたものでして、それにはちょっと面白いエピソードがあるんですよ。
 20年くらい前にニュージーランドからロックハートという先生がまだ牧場らしくなっていなかったこの場所にきて私のやり方を見ましてね、「これは素晴らしいことだから、このままこの人に好きなようにやらせたほうがいい。行政も農協も普及所も斎藤牧場には一切口は出すなよ」と言ったんです。そうしたら、それまではバカにして完全に無視していた道庁がびっくりして、あわてて調査員を派遣して寄こした。その結果「蹄耕法」という名前が付いた(笑)。
 まぁ、私としては名前なんてのはどうでもいいことで、とにかく熊笹と石ころだらけの山を牧場に変えてしまう方法を発見したんですよ。それも、機械も人手もお金も使わずに、牛たちが勝手に全部やってくれる牧場づくりの方法です。よくよく考えてみれば、そういう手がちゃんとあったんですね。
 そのことを知って、「ここには何もない。ここでは暮らしていけない」と思っていた自分がつくづく情けなくなりました。ここには実は必要なものが全部そろっていた。なかったのは自分の能力だけ(笑)。食えなかったのは誰が悪いんでもなく、自分でその方法に気がつかなかったからだったんです。

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 とにかく人間ってのは、極限に立たないと価値観が変わらないんですよ。まだ何とかなるだろうと思っているうちは真剣に物事も考えないし、本当の決断もしなければ、新しいことに挑戦する勇気も湧いてこない。しかし、生きるか死ぬかの土壇場に立たされれば、本気で考え、なりふりかまわずに突き進んでいく。要するに、いざ極限状態を経験すると、大事なものがはっきりと見えてくるんです。

 開拓の当初、私は外国の草を食べさせることが生産性を上げることだと教えられていましたが、そんな草を買う金なんてあるはずがない。そこで仕方がないから熊笹や野草を食べるところから始めたわけですが、実際は「仕方なく」じゃなくてそれこそが正解だったんです。つまり、日本で飼う牛は、日本の風土に生える草を食べてこそ健康に育てることができるものなんです。
 だいたい、 四本も足のある牛に、二本しか足のない人間がエサを運んであげたり、糞尿の処理をしてあげるということ自体が間違っているんですよ(笑)。牛は本来、勝手に歩き回って、食べたい草を食ってこそ元気に育つものなのに、牛の事情などなにも考えずに、人間様の都合で牛を管理しているんですからね。

 で、山を牧場化するその方法ですが、まず山の熊笹を刈り、刈った笹を一週間から十日間くらいかけて乾燥させます。山に生えている立ち木はそのまま残しておいていいんです。
 その後で火入れをすると、乾燥した熊笹は燃え、残された立ち木は火の勢いで立ち枯れの状態になる。火入れの後は、焼け跡の灰がまだ温かいくらいのうちに、牧草の種七種類くらいを混ぜて蒔いていくんですよ。
 問題は火入れの時期ですが、火入れは山の木や笹がまだ十分に水分を含んでいて、山火事の心配がない夏の終わりから秋にかけて行ないます。この時期なら刈り取った笹が乾燥してよく燃える反面、中の笹は燃えにくくて防火栓の代わりになってくれますからね。要するに火入れの時期を選び、周囲の状態をよく観察して焼く。それを間違えると大変なことになります。
 七種類ほどのタネを混ぜて蒔くのは、それぞれが適材適所に生えてくるからです。また草の種類が豊富であるということは、自然生態系的に見ていいだけでなく、牛にとっても嬉しいことだと思います。その時々の気分や健康状態で、好きな草が食べられるわけですからね。

 これまでは、土の中にびっしりと根を張っている熊笹を退治するために、ブルドーザーで山の表土をごっそりはいで沢に落としていたんですが、それはあまりにももったいない話。表土こそが牧場のいのちなんですからね。でもそうしないと、開拓のガンといわれてきた熊笹の根はなかなか退治できなかった。しかし火入れをして焼いてしまえば、表土はそのまま残ってくれるんですよ。
 焼け跡の灰がまだ柔らかい間にタネを蒔くというのは、そのほうがタネが灰に埋もれて、土に定着しやすいからです。タネを蒔いた跡地にはバラ線を張り、そこに牛を誘導していく。すると牛は成長が早い雑草や熊笹の芽を食べて歩きますから、蒔いた牧草のタネが牛に適当に踏まれて土に埋まり、発芽しやすくなるわけです。
 火入れをして一年目には、早くも牧草が地面を覆い始めますよ。木はまだ立ち枯れ状態で残ってますが、立っているから牛の散歩の邪魔にはなりません(笑)。
 三年目になると牧草はほぼ全体を覆い尽くし、立ち枯れの木は朽ちかけたものから順番に自然に倒れ始めます。倒れたら拾ってきてたきぎに利用すればいい。とにかく人間はなにもせず自然にそのまま任せること、それが秘訣といえば秘訣でしょうね。

 大事なことは、ゆっくりと時間をかけて牧場が出来上がるのを見守っていくことです。時間さえかければ、あとはほとんど牛がちゃんとやってのけてくれます。こうして昔は雑木と熊笹と石ころだらけだったこの山を、ほとんど機械を使わず、お金もあまりかけず、牛といっしょに緑の牧草地に変えてきたんですよ。
 牧場には大きな木が残してありますが、大きな木を残しておくといいことがいっぱいあるからです。土地の保水力が高まりますから干ばつによる被害が抑えられますし、傾斜地の土壌の流出も防げます。また暑さに弱い牛にとっては絶好の木陰にもなる。だから、牛たちも喜んでくれていますよ(笑)。
 牧場には石があちこちにありますが、これは自然のままの石庭ですから、人間があれこれデザインして作る石庭よりもはるかに美しいでしょ。それにお金も全くかからない。逆にいえば、お金をかけずに牧場をやったからこそ、ゆっくりと時間をかけることができたんですよ。みんなはまず巨額のお金を投資してしまうから、のんびりゆったりとやることができなくなる。金を投資した以上は、一日も早く回収しなければなりませんからね。

 ただ、うちの牧場の牛たちの乳量は、一般の牛に比べればかなり少ない。普通の牛が八千から一万キロで、うちのがほぼ四千キロですから、まぁ、半分くらいといったところでしょうか。
 しかし牧場は牛たちが働いて勝手に作ってくれたものですし、エサはすべて草ですからエサ代もかからない。そのうえ山まで上手に管理してくれているわけで、要するに牛を飼うことにほとんど金がかからないんです。ですから乳量が少なくても十分に採算が合うんですよ。経営的な効率ばかりを追求していくと、結局は歪みが生じて家畜も人間も環境もおかしくなってしまうんですよね。

 冬は雪で放牧ができませんから、そのために約五十ヘクタールの採草地を確保していて、冬用の飼料として乾草をたっぷりと準備しています。また一部はサイレージにして保存もしています。
 そんなわけで雪が降る十一月から雪解けの四月までは牛舎で飼いますが、決して牛舎に閉じ込めておくわけではありません。晴れた日には外に出す。すると牛たちは大喜びで雪の中を水場まで降りていく。放牧にすっかり慣れた牛たちは、雪や氷の上でも縦横無尽に歩くことができるんですよ。
 牛だって長い間一所に閉じ込められていたら当然ストレスが溜まります。だから時々雪の上に放り出す。すると運動になるだけでなく、ストレスの発散もできる。牛も人間と全く同じで、心身両面の健康が大切なんですよ。
 放牧は四月から開始して、十一月の始めまでの七ヶ月間くらいやります。雪解けと同時に放牧しますと、彼らは春を待ちかねたように出始めたばかりの熊笹や雑草を食べ出しますよ。熊笹の新芽なんかは嗜好性がありますし、牧草以上の栄養もありますから、早春の格好のエサになるんです。

 また春は子牛の誕生の季節でもあって、毎年70頭ぐらいが生まれています。牧場で自然に産ませているんですが、難産というのはほとんどない。しかもすべてが自然交配であって、お金のかかる人工授精なんてしていません。
 種雄牛を雌牛の中に二頭ほど混ぜてほおっておけば、七月くらいまでには雌牛の100%を見事に妊娠させてしまう(笑)。もっとも近親交配を避けるために、種雄牛は二年で更新しています。どうです、斎藤牧場の雄牛は幸せでしょ(笑)。雌牛だって生き物ですから、ただ乳を搾りとられるために人工授精をさせられるよりは、やっぱり自然交配したほうが嬉しいと思いますよ。しかもお金がかからない。人工授精には一頭当たり一万五千円から二万円がかかるんですが、うちのは黙ってほっておくだけでタダで妊娠させてくれるんですからね(笑)。
 その意味でこの牧場はまさに牛任せ。毎日勝手に山の牧場をのんびりと歩き回り、暑ければ木の木陰で涼み、喉が乾けばおいしくて冷たい湧き水を飲み、しかも雄も雌もいつもいっしょだから楽しい(笑)。要するに牛たちがいちばん幸せになれる環境にしてやっているということです。とにかく牛は人間よりもはるかに草や山や自然のことをよく知っている。だから牛に任せてしまったほうが利口なんです。

 人間はいろんな知識をいっぱい頭に詰め込んで、人間に都合の良い計画をいろいろ立てますが、実際うまくいった試しがありません。ちなみに国の政策のまま規模拡大とか設備投資をしてきた結果がこのざまですからね。残ったのは自然破壊と借金だけ(笑)。これでは後継者がいなくなって当然のことですよ。
 私には四人の子供がいるんですが、娘は酪農家に嫁ぎましたし、三人の息子たちもみんな酪農をやっています。その気になったのは、牛飼いもそう変なものじゃないぞということが分かったからでしょうね。これが、借金だらけの苦しい経営を私がやっていたとしたら、誰もわざわざやってみようという気などにはなれませんよ。

 中山間地域での牧場づくりでは、まさにこの牧場が一つのモデルになるんじゃないかと思います。日本は山国で国土全体の七割が山なんですから、このようなやり方で山を利用していけば、日本の山はまさに宝の山に生まれ変わるはずですよ。
 自然の摂理のすごさに比べれば、人間の知識なんて知れたもの。人生で大事なことは何かに興味をもつことであって、興味さえ抱けば勉強しろなんて言われなくたって自分から勉強するものです。だからそんなに無理をして知識を詰め込む必要なんてない。必要な知恵はちゃんと与えられるものなんですよ。
 知識を詰め込むとむしろ弊害のほうが多くなって歪みがでてきます。だから私は「あんまり勉強しすぎると、一番大事なものが見えなくなるよと」よくいうんです(笑)。

 私は要するに頭が悪かったから、素直に自然から学ぶことができたんだと思いますね。頭が悪かったから、昔の辛かったことや苦しかったこともすぐ忘れたし、失敗して痛い目に遭ったことも忘れてまた挑戦できた。しかしいろんなことを知りすぎてしまうと、なかなか勇気をもって行動することができないものですよ。
 しかし私の言うことも、やることも、なかなかみんなに理解してもらえなかった。で、理解できないんなら、こっちが変わり者になるしかないというわけで、自分から先に「オレはへそ曲がりで偏屈者なんだ」と言ってかかるんです。自分のほうをへそ曲がりにしておかないとおかしくなりますからね。
 本当は、自然の側から見れば、私のほうがずっとまともで、みんなのほうがへそ曲がりなんですよ。実際はそう言いたいんですが、そういってしまうと面白くないし、ますます話がこじれてしまいますからね(笑)。

 牛飼いが楽しいだけでなく、牧場にやってくるいろんな人々や市民とお話するのも楽しいものです。いろんな人と交流していますと、そこからヒントがいっぱい見つかるんですよ。そんなことをしていたら仕事に差し支えるじゃないかと忠告してくれる人もいますが、私が人としゃべって遊んでいても、牛たちはちゃんと休まずに楽しく働いてくれています(笑)。だから心配ご無用なんです。
 実際たくさんの人がやって来るし、建物もどんどん建ってきています。というのも、旭川の町の人から「ここにログハウスを建てさせてほしい」と言われたものですから、どうぞどうぞと開放したところ、こんなにいっぱい建ってしまったんですよ。その中には旭川市長や旭川大学の教授の建てた山小屋もあります。それに教会だって建っている。私は一円も出さないのに、いつのまにかこんなに建ってしまったんですね。

 ただ、山小屋を自由に建てさせてあげる代わりに、オーナーが使わないときは一般市民に開放してあげることを条件にしています。そうすれば、もっと多くの人々がこの場所で楽しめますからね。自分で山小屋を作ったらかなりお金がかかりますが、みなさんどうぞと開放してしまえばタダでこうした環境ができてしまう。しかもこれなら施設の維持費もかからない。それでいて使いたいときに自由に使えるんですからいいもんでしょ(笑)。
 こんなふうにおおらかに開放できるのも、ま、ここは私が莫大なお金をかけ、汗水たらして苦労して作った牧場ではないからですよ。ここはあまりお金もかけずに、牛たちが作ってくれた牧場です。だから寛容でおおらかな気持ちになれるんだと思います。

 しかも不思議なもので、そういった気持ちはここを訪れる人々にもなぜか伝わっていくんですよ。たとえば、牧場の湧き水の中にはいつも冷えたビールやジュースなどがいっぱい入っているんですが、それはみんなが持ってきて入れてくれたものなんです。普通なら自分の飲む飲み物を自分で持参してきて自分で飲むというところですが、ここでは湧き水の中で冷えているビールをまずいただき、お返しに持参してきたビールを入れて帰るという暗黙のマナーみたいなものが出来上がっている。すると不思議なもので、一本飲んで二本入れて帰る人もいる(笑)。
 私自身がまず大自然からこの牧場をいただきましたから、今度はみんなにお返しをする。こうしてどんどんみんながつながり、循環の輪が広がっていくんです。経済の基本は、みんなで仲良くすることじゃないでしょうか。仲良くして力を合わせさえすれば、どんなことでも実現してしまうんです。

 日本は山の多い国ですから、その気になれば日本中がこういった牧場だらけになることも決して夢ではない。そうしたら中山間地域の過疎問題なども一挙に解決するのではないでしょうか。だいいち楽で儲かる牧場ならやりたい人も出てきますし、町に住む人だってそういう場所で家族や友だちと気軽に楽しめるとしたら嬉しいですよ。その意味では、過疎地には宝の山があるわけです。そのことに早く気がつかなければならないんじゃないかと思いますね。
 ここには幼稚園や小学校などからもいっぱいやってきます。大阪のある高校なんかは北海道への修学旅行で立ち寄ってくれて、後で先生がみんなの意見を聞いたところ、斎藤牧場が一番良かったといったそうです(笑)。そんな手紙をもらったりして今でも交流しているんですよ。

 昔はこの辺りは熊の通り道だったようで、実際いまでもこの下の競馬場や小学校のほうには熊が出没していますから、よく熊の心配をする人がいます。ところがここには熊が一度も現れたことがない。なぜなら熊は自分よりも強いものがいるところには絶対に近づかないからです。
 熊よりも強いものとは雄牛であって、熊といえど雄牛にはかなわない。だから動物の本能でこの牧場には近づかないほうが身のためだと熊にはちゃんと分かっているんですよ。

 三、四年前のことですが、保母さんをやっていた二四歳の女性が三ヶ月ばかり体験実習したいということでやってきまして、三日ほどしたら「買い物に行きたい」というんですよ。で、いったい何を町から買ってきたかと言いますと、それがなんと生理用品だった。そんな大事なものをなぜ持ってこなかったかといいますと、その女性は三年間生理がなかったからというんです。ところがここに来て三日目に生理になってしまった。身体が正常になってしまったわけです。
 人間というのはこういう自然の中に入ると、まず身体が反応してしまうものなんですね。そんなわけで十日ほどここにいて帰ってしまったんですが、心身とも健康になったとたんに自分のやるべきことが分かってきたんですよ。自然というのはとにかく人間には計り知れない素晴らしいものがある。だから、それを独り占めしていては罰が当たるというもの。ということで私もこの牧場をみんなに開放しているわけです。
 町の人たちと話をしていると、「ここにくると、朝から晩まで働いていったい何のために生きてきたのかつくづく考えさせられる」とよく言いますよ。これからは人間の幸せとか生きるということの意味をもう一度原点から見つめ直す必要がありそうですね。
 この牧場では朝はうるさいほどの小鳥たちのさえずりで目覚めますし、夜はここからの夜景も絶景です。最近では旭川市から観光案内に掲載したいなどと言ってきたりもして、これまた勝手にPRしてくれようとしています。NHKテレビやいろんな雑誌などからも取材が相次いでいますし、ここに来た人たちがどんどん宣伝もしてくれる。本当にありがたいものですね。

斎藤牧場の牛たち

この「山の牧場」の牛たちについては、ほかのコメントでも触れていますが、
ほかの牧場の牛と全く違うところは「自由で自然な暮らし」をしているということです。
ここで牛たちは、とにかく健康的な人生、いや「牛生」を送っているのです。

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まず、何よりも健康的であるのは、牛たちがおいしい草を食べている点でしょう。
牛が草を食べるというのは、当たり前と言えば当たり前のことですが、いまの日本の酪農では、牛たちはそれすら許されない環境に置かれています。
というのも、牛たちはたくさん乳を出す「牛乳製造器」と化しているため、海外から輸入された穀物(トウモロコシなど)を食べなければなりません。
つまり主食は穀物、そして胃の調子を整えるためにほんの少し「ワラ化した牧草」
を食べているのです。
その結果、いったい何が起こっているか。さまざまな病気です。
それもそのはず、牛には本来4つの胃袋がありますが、こうした食事では胃袋が1つで済んでしまいます。
なにしろ人間とほぼ同じものを食べているのですから。

病気が増えれば、当然さらにさまざまな薬がエサに投入されることになります。
こうしてエサの中には数多くの抗生物質や薬品が混ぜられます。
これは果たして牛にとって、幸せなことなのでしょうか。

牧場といえば、広い牧草地にのんびりと草をはむ牛の群れを想像しますが、いまの酪農ではそうした風景を期待することは無理になってきています。
その理由は、「舎飼い」がほとんどになってきているからです。
「舎飼い」のほうが「管理しやすい」という面もあるのでしょう。
そこから生じるもう一つの問題は、牛の運動不足です。
しかし経営者としては、下手に運動をしてエネルギーが運動に消耗されるより、お金をかけて食べさせたエサがそのまま「牛乳」になってくれることを望みます。
つまり、投入したコストを、牛乳というかたちで効率的に回収したいのです。
これまた牛を「牛乳製造器」と考えることの必然です。

すべてがお金で動いている世の中では、確かに牛に稼いでもらう必要があります。
しかし牛は決して「機械」ではありません。牛は人間の稼ぎのために乳を出すのではなく、あくまでも自分が生んだ子牛を育てるためにおっぱいを出しているのです。

ところがどん欲な人間たちは、まるで牛を機械のごとく考えて、「もっと出せ! もっとたくさん乳を出せ!」と牛たちに迫ります。
たくさんの牛乳を搾り取る(これぞ搾取?)ために、品種改良をどんどん進め、優秀なオス牛の精子を高く売りつけたりもします。
いまでは「種付け」に、一頭あたり一万五千円から二万円もするとか。
それもオス自身による妊娠ではなく、人間(獣医)の手による人工授精ですから、これではメス牛も(いやオスたちも)たまったものではありません<笑>。

こうして牛たちはすっかり「牛乳のための手段(機械)と化してしまいました。
しかし斎藤牧場は全く違います。
メス牛の群れに2頭のオス牛をいっしょに放牧しておけば、オス牛は勝手にほぼ100%メス牛を妊娠させてしまうというから頼もしい<笑>。
そんな話を聞くにつれ、今度生まれてくるときは斎藤牧場のオス牛になりたい、などと思うのはぼくだけでしょうか<笑>。

すみません、つい話がおかしくなってしまいました。
斎藤牧場の牛たちについて書きだすと、きりがありません。
牛に関してはそのうちにまた書くとして、ここで強調したいのは、「斎藤牧場の牛たちは、自由に、自然なままに生き、とても幸せ」ということです。
そこにはほとんどストレスなどないでしょう。だから「穏やか」なのかもしれません。

以上から考えられることは、同じ牛乳でも、ストレスや病気の牛から搾り取る牛乳と、健康で幸せな「牛生」をエンジョイしている斎藤牧場の牛の牛乳では、その質が全く違うのではないかということです。
「赤い鳥、小鳥」は「赤い実を食べた」から赤いという童謡のように、「幸せな牛たち」からいただいた牛乳を飲むことで「幸せな日々」が過ごせるのではないか、ぼくにはそんなふうに思えてなりません。

ということで、今年は「斎藤牧場の牛のおっぱい」をぜひ毎日いただきたい。
それもできれば、みんなにも分けてあげられる仕組みを作りたいと思っています。
(斎藤さんも、もちろんそれを望んでおられます)

だって、斎藤牧場の牛乳がミルクタンカーで運ばれていって、ほかの牛乳とあっけなく混ぜられてしまうのでは、あまりにももったいない。
山で遊ぶ牛たちも、喜んで飲んでくれる人たちがいてこそ生きがいもあるというものでしょう。

すっかり話が吹っ飛んでしまいましたが、「癒し」のテーマに戻ります。
化学物質過敏症の方々が斎藤牧場で改善されたというその原因のひとつに、ぼくは「牛たちの功績」と「牛のおっぱいの質」の問題もあるのではないかと思うのです。

もちろんそれは、斎藤さんにすべて起因します。
そんな幸せな牛たちと環境を育てたのはあくまでも斎藤さんであり、また「斎藤さんの笑顔」はそれだけで心を和ませてくれるからです。
だから、毎年たくさんの研修生や来訪者たちがそこに訪ねてくるのでしょう。
斎藤牧場では単に「牛の飼い方」だけでなく、「生き方」まで学ぶことができそうです。

ドーム周辺でも「白樺樹液」を!

能書きを言うよりも、さっそく写真でご紹介しましょう。
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すべてドームの周辺の白樺にセットした「白樺樹液頂戴装置?」です。
たまたま手元に大小5個のペットボトルがありましたので、そのぶんだけ白樺の木にセットしてみました。

すると、これが思ったよりもどんどん樹液を出してくれるんです。
で、わが社のみんなでそれを味わってみました。

その感想に関しては、ちょこちゃん(みわちゃん)に代表して書いてもらうことにします。
彼女は、「これでもっと美人になれそう!」とニコニコ顔…<笑>。

これからしばらく「白樺樹液」の恵みにあずかれることを考えると、なんとなく希望と勇気が湧いてきます<笑>。


さっそく白樺の樹液を飲んでみたよ。

「樹液」というとなんとなく、カブトムシが吸うような、白くてどろんとした感じなのかなぁ~と思っていたら、ぜんぜん違って、無色透明のサラサラの水だったのにはビックリ。しかも、ちょっとずつチビチビ出てくるのかと思ったら、チューブを差してすぐにペットボトルにどんどん溜まっていってそのスピードにもビックリ。
飲んでみるとほんのり甘かったりして、どこまでもビックリさせてくれるよ白樺は…。
しかも、美容にも健康にもいいなんて。水のふりしてやってくれるね~!今日はたくさん飲んだので、明日にはスッカリ美人になっていることであろう。
さらにストレスにも効くんだって。身体も心も元気になって、おまけにキレイになれるなら、飲まない手はないよね。
というわけで、ひそかにゴクゴク飲んでいた私でありました。


斎藤牧場の「白樺樹液」

白樺の樹液に関しては、有限会社さっぷというところでホームページを作って、その樹液「もりのしずく」を販売しています。
また「北の料理人」という本でも紹介され、プリンなどに利用されています。

このようにようやく広く知られ始めた「白樺の樹液」ですが、これは古くからアイヌの人々の健康飲料として利用されたり、また、さまざまな料理などにも使われていたということです。
なお、フィンランドやロシアなどでも「百薬の長」だったようです。
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噂のその「白樺樹液」を、なんと斎藤牧場でも愛飲していたのでした。
「シオン山荘(教会)のところに行ってみな。その辺りの白樺でやってるよ」
と斎藤さんの三男(拓美さん)に教えられ、さっそく出動。
すると、なるほど白樺の木が天然のポンプとなって地中から水を吸い上げ、ペットボトルに滋養分豊かな樹液を溜めてくれていました。
で、写真を1枚撮ったとたんに、電池切れ。
残念ながら、「白樺ポンプ」の写真はこの一枚しかありません。

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ログハウスに帰り、改めて「白樺樹液」を賞味したうえで、白樺の樹液が入ったボトル(なぜコーラなの?)と拓美さんを撮りました。
さて、白樺樹液はいったいどんな味わいがするのでしょう。
とても微妙なその味を言葉ではなかなかうまく表現できませんが、自然な甘味がほんのりとあって、飲むとなんとなく力が湧いてくる感じです。
それもそのはず、白樺の木は芽をふくらませ、緑の葉を出し、開花するために地中深くから滋養とミネラル分たっぷりの水を吸い上げているのです。

ちなみに樹液には、果糖、ブドウ糖、アミノ酸、リンゴ酸などの有機酸や、多糖類、配糖類などの有機物、さらにカリウム、カルシウム、マグネシウム、マンガン、鉄、アルミニウム、亜鉛、リンなど多種多様のミネラルが含まれているそうです。

で、その効用は?といえば、身体や内蔵の活性化、抗ストレス、利尿、便秘、痛風、リューマチ、関節炎、胃腸病、腫れ物、扁桃腺、抗壊血病などへの効果が期待できるそうです。

というわけで、斎藤牧場から帰って、今日の午後、さっそくわが家の白樺でもやってみることにしました。

つづいて斎藤牧場便り

昨日(24日)のコメントは、もっぱら「白樺樹液」に傾いてしまいました。
それくらい、あのほのかな甘味に魅せられてしまったということでしょう。

しかしそれ以上に、斎藤牧場にはもっと香り高いものがあります。
そこにはなにより「心を癒す」なにかが息づいているのです。
だから斎藤牧場にしばらく身をあずけていると、心の芯から何かが回復する。
そこは、自然の力と、みんなの笑顔による「癒しの空間」でもあるのです。

そんなわけで、斎藤牧場にはいま「化学物質過敏症」の患者が住みついています。
その様子は、今年の2月8日のNHKテレビでも紹介されました。
化学物質過敏症の患者さんは、いま日本で急激に増えつつあるとのことですが、彼らには安心して住む場所(家=自分の居場所)が見つからないのだそうです。
NHKの番組はこの病気の恐ろしさをこれでもかというばかりに伝えていましたが、そのなかでただ一つ、画期的な好転例も紹介していました。
それがなんと、斎藤牧場での治癒の事例だったのです。

「斎藤牧場に行くと、体の自然治癒力が高まるらしい!」
こうしたニュースはもうずいぶん前からあちこちに伝わっていました。
そんななか、化学物質過敏症に取り組む東京の医師にもそれが伝わったらしく、去年から本格的に斎藤牧場での治療の試みが始まりました。
医師と患者さんが牧場にやってきて、治癒のデータを取り始めたのです。
このことに関しては患者さんのコメントを含めてまた近いうちに報告しますが、ここに来ると、とにかくやっかいな病気が良くなってしまうのですから不思議です。

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いったい、なぜなのでしょうか?
まず考えられるのは、ここに広がっている自然環境です。
樹木の多い「山の牧場」には、いつもきれいな空気と水があります。また朝は小鳥たちのさえずりで目覚め、日中は雄大な自然のランドスケープに身を置き、そして夜は漆黒の闇を体験したり、普段ではお目にかかれない美しい星々を仰ぐ…。
そんな毎日を繰り返しているうちに、たぶん「内なる自然」が呼び起こされるのでしょう。

さらに、新鮮でおいしい「牛のおっぱい」やヨーグルトが毎日いただけたり、のんびり、ゆったりと山で遊ぶ牛の群れに日々接することができるのも、きっと「心の癒し」を誘ってくれるにちがいありません。
いま世界的に「ゾウによる癒し」が大きな注目を集めつつありますが、それは、あのゆったりとしたリズムが体と心のリラックス感を呼び戻してくれるからだそうです。
牛にもそれと似たリズムがあり、特に斎藤牧場の牛たちには特有のものがあります。
このことに関して、いま研修中の門山祥子さんはこんなふうに語ってくれました。

「ここの牛たちは、とっても穏やかで、見ているだけで心がなごむんですよ」
門山さんのご自宅では酪農をやっており、また酪農大学で学んで卒業しただけに、これまでにいろんな牛たちと接してきました。その門山さんがこう言うのです。
「斎藤牧場の牛たちは他の牛たちとは違う。とっても穏やかだ」と…。
この言葉は、正直、そのままぼく自身の率直な印象でもありました。
でも、牛のことを良く知らない素人のぼくとしては、
(ホントにそうなのかな?)という思いもありました(思い込みだけかも…と言う)。
ところがいろんな牛を見てきた門山さんも、全く同じ印象を持っていたのです。
ということは、やっぱりここの牛がほかとはひと味違うのかもしれない。
いったい、なぜ違うのでしょう?

斎藤牧場と自然農法の愉快な関係

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「ここの牛たちは、とっても穏やかで、見ているだけで心がなごみます」……
こう言った門山さんは、去年の夏も斎藤牧場に研修に来ていたのだそうです。そして大学を卒業したいま、再び斎藤牧場へ……。いったい、なぜそんなにも熱心なのでしょうか。

この前の日曜日、みんなでログハウス(研修センター)でおしゃべりしていたとき、その門山さんのお話の中に「高知」という地名が出てきました。
(…えっ、高知出身? だとしたら同じ四国の愛媛県で自然農法をやっている福岡正信さんのことを知っているのかなぁ。彼女は自然農法に興味をもって学んでいるうちに、あるいは斎藤牧場のことを知ったのかもしれない)
そう思ったぼくは、そのことを聞いてみたくてうずうずしていました。でも、その後門山さんは乳搾りで出かけてしまって、残念ながら質問は不発。
(ま、いいか。同じ四国といったって、福岡さんのことを知らない人のほうが圧倒的に多いんだから)……と、きっぱりあきらめました。

ところがその後、ひょんなことから斎藤牧場と自然農法(福岡さん)のつながりが急浮上してきたのでした。

まず、斎藤さんのお話です。
「門山さんは去年の夏休みにも研修に来たんだけど、そのときに『こういう本も読んでみたらいいよ』と、福岡さんの本を紹介してあげたんだ。すると、もじもじしながら『この人、うちの親戚なんです』と言うんだよね<笑>」

「ええっ 親戚だって? じゃあ、福岡さんの自然農法を近くで見ていて、それで斎藤牧場にも興味をもったんだ」
「それが違うんだよね。ここに来てはじめて福岡さんの本を読んだんだとさ<笑>」

ところで、親戚ってのはどういう親戚なんでしょう。なかには「お母さんの妹の旦那さんのお兄さんの奥さんの従兄弟の妹の義理のおじいちゃん」なんていうワケの分からない親戚関係もありますから<笑>、ここは一応聞いておく必要があります。
すると、なんと門山祥子さんのおばあちゃんの兄が福岡さんだというではありませんか。つまり、おばあちゃんの実家があの福岡正信の家だったのです。

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だったら、小さいころからあの山で遊んでいたの?」
乳搾りから帰ってきた門山さんにそう聞くと、「はい」と答えます。いやはやうらやましい限りです。
そこからいろんな話が展開しましたが、話をしながら、ぼくの頭の中にはまさに桃源郷そのものの「あの山」の風景がどんどん浮かび上がってきました。
と言ってもどんな風景かお分かりならない方もいらっしゃるでしょうから、ここに写真を紹介しましょう。この写真は福岡さんの本『神と自然と人の革命』の中にあるものです。

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かつては赤茶けた不毛の禿げ山だったところが、たちまちこんな素晴らしい楽園に変わってしまったのです。自然農法に関してはまた改めて書くとして、「その山」で門山さんが遊んでいたとはびっくりです。そしてその人がいま目の前にいる…。これにはすっかり驚きました。

あれこれと話をしているうちに、門山さんの実家はじつは高知ではなく、福岡さんの山からそう遠くもない松山であることも分かりました。それにしてもこれは奇遇です。しかも、斎藤牧場にきてはじめてずっと身近にいた福岡さんの本を読んだというのも、これまた面白い話です。
と、なると、ますますここから何かが起こっていきそうな予感もしてきます。とにかくぼくにとって、これは思いもかけなかったものすごいショック、かつ、とてつもない感激でした。

というのも、このサイトで勝手に「斎藤牧場」のことを紹介しているように、そのうちに「自然農法」と福岡正信さんのこともぜひ紹介していきたいと思っていたからです。しかし、それには一応は福岡さんの承諾も必要でしょう。勝手に紹介することに、心のどこかにやはり躊躇があったからです。でも、門山さんが斎藤牧場で研修しているのですから、門山さんを通してお願いという手もありそうです。そう思うと、なんとなく願いが実現できそうで、すっかり嬉しくなってしまいました。

家に帰ってから、改めて福岡さんの本に目を通してみました。
また、この前お会いしたときのことも思いだしていました。
うん、斎藤牧場で門山さんに出会えたのもきっと大きな意味がある。
斎藤牧場と自然農法を掛け算し、そこにフラーコンセプトやエコシステム、自然エネルギーなどを加えて「エンデ」で割れば、きっと21世紀の希望が見えてくる。
まるで訳の分からないへんてこりんな方程式ですが<笑>、ぼくの胸には、いまそんな思いがふつふつと湧きだしてきています<笑>。

(つづく)

斎藤牧場

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●牛が拓いた牧場

 斎藤牧場は、山がまるごときれいな牧場になっています。それはまるで公園のような美しさで、これを作り上げ、維持し続けている主役は、あくまでも牛たちです。
 斎藤晶さんがやっているこの牧場は、人手も、お金もそれほどかけずに、見事な「自然牧場・牧場公園」を実現させました。 ここにはいろんな人々の出会いもあり、その結果、多種多様な山小屋やログハウス、フィンランドハウス、さらには教会などまでがあちこちに点在するに至っています。
 ここにはいま、化学物質過敏症の方々も住みついており、難病を癒す環境としても注目されています。(2月にNHKテレビで紹介)
 最近ではパーマカルチャーが世界的に注目されていますが、斎藤牧場はまさにその先駆けを成すものと言えます。
 なお、漫画雑誌「モーニング」に連載された「牛のおっぱい」は、斎藤牧場をモデルとして描かれたものです。

「シニカル・エッセイ(住友マネージメントレビュー)」

宙返り
何度もできる無重力

 ディスカバリー号から向井千秋さんが、「宙返り何度もできる無重力」と、おつな歌を地上に投げてきた。で、下の句を作れと言う。
 「それにつけても金の欲しさよ」ではさすがに寂しい。 無重力空間からのこの歌に、いったいどんな言葉を投げ返したら宇宙的な響きが生まれるのだろう。

 そんなことを考えていたら、あるところから「若い人達に読ませたい一冊の本」というテーマで何かを書けと要求された。 「若い人達に…」というその裏には、要するに「おじさんのキミから」という言葉が隠されている。なるほど、確かにぼくは歳は食っている。 が、「若い人達へ」という発想の裏側にある年寄り扱いに、ぼくはなんとなくいじけてしまっていた。
 もう一つ、歳に加えて夢やロマンも食い続けてきたぼくとしては、「一冊の本」というのもしんどかった。 好奇心旺盛といえば聞こえはいいが、雑食主義で雑多な本を食い(読み)散らかしてきた身にとって、一冊のみを選ぶことには戸惑いを覚えてしまうのである。
 一冊ねぇ…、なかなかの難題だ。 が、迷いに迷ったその果てに、迷わずに?「これだ!」と言えそうな本といったら、やっぱりバックミンスター・フラーの本ということになるだろうか。 それも『フラーがぼくたちに話したこと』辺りがふさわしい。 なぜならフラーはその中で、「世の中や大人たちの常識のワナにはまってはいけないよ」と、純な子供たちに語りかけているからである。 こうして天の邪鬼のぼくは、編集者の意図にあえて逆らうかのような本を選ぶことになった。

 フラーは科学者、幾何学者、発明家、建築家、デザイナー、教育者、詩人、哲学者、思想家、プランナー等々、実にさまざまな肩書きを持つ20世紀の天才である。 にもかかわらず、なぜか日本ではあまり知られてはいない。 彼の設計したあのフラードームが日本の象徴富士山頂に建っているというのに、フラーその人は決して有名ではない。 しかし、「宙返り何度もできる無重力」とくれば、やっぱりその下の句に、ぼくはフラーのことを歌い込みたくなってしまうのだ。

 というのも、彼こそが「宇宙船地球号」という言葉を作りだした張本人だからである。 彼は地球を宇宙空間に漂う一艘の船としてとらえ、地上から宇宙をではなく、宇宙空間から地球とそのシステムを考えた。 そしてこの「宇宙船地球号」という概念からやがてエコロジカルなものの見方がすくすくと育ち、いまやガイアの思想にまでたどりついた。 地球も一個の生命体であり、すべてがつながりあって生きているというこの思想は、環境問題を考える際の根っこでもある。 そして彼が作りだしたもう一つの概念「シナジー」も、また新しい科学に新鮮な息吹を与えることになった。
 ということは、フラーは20世紀に生きながら、すでに21世紀的な思考法を身につけていたということだ。 が、彼はあまりにも時代を先走りすぎていたために、常識人(特に日本の)から敬遠されるはめになったのだと思う。 実際「エコロジー」が一般化する数十年も前に、彼はすでにそれを自らの思想の核に据えていたのである。
 しかし20世紀がどん詰まりにきたいま、フラーのメッセージがいよいよ輝きだしている。 彼は現代人、特に価値観や常識を踏み越えなければならないおじさん族に、深いメッセージを送ってくれている。 そのメッセージは「目からウロコが落ちる」がごとき新鮮な驚きに満ち、そこから新しい時代が見えてくる。 フラーこそ、私たちを新世紀に誘ってくれる人物なのだろうとぼくは思う。

 ぼくがフラーと初めて出会ったのは二〇数年前のこと、その数年後、ぼくは日本を離れてヨーロッパ、アフリカへと旅立った。
 日本を離れてみると、いかに社会の常識が特異でいびつなものであったかが良く分かる。 いや、それは決して日本人だけのものではなく、人間社会そのものが宿命的にもっている因業のようなものに思えた。 その体験以来、フラーはぼくの思索の友になった。
 フラーは「人がこう言ってる」とか「常識ではこうだ」というものすべてを疑い、自分が本当に考えたことだけに目を向けた。 権威のある学問や科学をも疑った。そして彼独自の全く新しい宇宙論、画期的なシステム論を生みだしていった。
 フラーを語りだすときりがない。 が、なぜ彼はそう考えたのか? なぜそんなユニークな発想を持ち得たのか? 彼はいったい何者であるのか? この点だけは語っておく必要があるだろう。

 フラーは実にさまざまな顔を持っているが、その本質はやはり詩人であろう。  そして詩人としてのその資質は、彼が自殺を決意したときに突如開花した。 死の直前に、懊悩の核が一挙に溶解し、彼は宇宙と生命の本質的な何かを見てしまったのである。そのときから、彼は詩人になった。
 もし彼が単なる科学者だったとしたら、詩人の魂は獲得できなかったであろう。 が、彼は自殺といういかにも人間的な誘惑にかられた瞬間に詩泉を掘り当て、以後ユニークな科学や技術やアイデアを次々と発表していく。 このエピソードは、すでに神話化されているようにも見える。 が、その人間くさいドラマにこそ、現代人の心に響く何かが潜んでいるような気がしてならない。
 つまり「天才フラー」は、「煩悩フラー」でもあったのだ。 自殺を決意するほどに人生を悩み抜き、その果てにすべてを吹っ切った。彼は人間を「経験の目録」として考える。 悩みも失敗もすべて経験の目録として織り込まれ、それが宇宙的な意味を新たに紡ぎ出すことになるというのである。

 フラーは私たちに、こんなふうに語りかける。
 「三角形を描いてごらん。そうそう、うまく描けたね。 キミはいま、実は宇宙に二個の三角形を描いたんだ。 一つは目の前にあるその小さな三角形。 そしてもう一つは、その外部に同時に描かれた、宇宙サイズの三角形だよ。 つまり、キミは小さな三角形を描くことで宇宙を二分した。 キミは宇宙全体に影響を与えたことになるんだよ!」
 フラーはどんな小さな存在でも宇宙と関わり、宇宙に影響を与えていると指摘する。 そう、個々の経験の目録をうまく使いさえすれば、誰もが宇宙サイズの人生を生きることができるというのだ。 このメッセージには、どこか宗教的な薫りもある。 しかしフラーは、あくまでも具体的なシステムやデザインを通じてそのメッセージを現わした。

 富士山頂に建つ気象観測ドームもその一つ。そこには「より少ない物質やエネルギーで、より多くのことを成すデザイン」が鮮やかにメッセージされている。 実際、山頂まで建築資材を運び上げるのは大変な仕事だ。 が、フラーはその難題を、具体的なデザインやシステムを描きだすことで、なんなくこなしてしまう。 彼は宇宙や自然の究極のパターンとデザインを見てしまったからこそ、あのシンプルで合理的なカタチとシステムを開発することができたのだ。
 富士山頂は激しい台風や吹雪に襲われる。 しかしフラードームはいまなお健在だ。 それにしてもフラーがいま生きていたとしたら、厳しい環境に耐えてなお強く美しく機能する組織や社会のデザインをいったいどんなふうに描き出すだろうか。 古いシステムが崩れつつあるいま、フラーが妙に懐かしい。 大変革の途上にあるいま求められているのは、あるいは宇宙と人生の本質に触れた詩人、そしてデザイナーなのかもしれない。
 「宙返り何度もできる無重力」
 …そこからは、無邪気に子供のようにはしゃぐ向井さんのさまが伝わってくる。 その楽しさはやがて祝祭のダンスにも移るだろう。 歌と踊りは情感表現の究極のカタチ、ということから、下の句には
 「フラー(浮螺)ダンスもやがて始まり…」と歌いたい気分だ。
 


(住友マネジメントレビュー掲載)

「若い人たちに勧めたい本」

 「若い人達に読ませたい本」ですって? こんなリクエストがくること自体、つまりぼくが若くないということだ。 そう、確かに歳は食っている。が、歳と同時に、夢やロマンもむさぼり食い続けてきた。
 歳とロマンをいっしょに食い続けてきた身にとって、「たった一冊の本」しか紹介できないというのは実に苦しい。迷ってしまうからである。 が、迷いに迷ったその果てに、迷わず?「これだ!」と言える本といったら、やっぱりバックミンスター・フラーの本ということになろうか。 なぜならフラーは、まるで純な幼友達のような感覚で、「大人たちの常識のワナにはまってはいけないよ」と絶えずぼくに語りかけてくれるからである。
 さて、フラー(の本)と初めて出会ったのはもう二〇数年前のこと。その数年後、ぼくは日本を離れてヨーロッパ、アフリカへと旅立った。 日本を離れてみると、いかに日本社会の常識がいびつなものであるかが良く分かる。 いや、いびつな偏見は決して日本人だけのものではなく、人間社会そのものが陥っている因業な宿命のように思えた。
 「ねっ、そうだろう?そうさ、固く歪んだ頭ではなく、心に感じるまま素直に自然や世の中を見つめればいいんだよ。 そしたらそこから宇宙のシステムが見えてくる。それだけが確かなことなのさ」
 旅の途上、フラーのこんな言葉を何度も耳にしたような気がする。その旅は、ある意味でフラーや自分そのものとと出会い直す旅でもあった。
 以来、なにかあるごとにフラーが優しい親友になってくれた。そしてやがてぼくは、そんな「友人のフラーくん?!」を人にも紹介するようになった。 実際フラーは誰の心の中にもすーっと入っていくらしい。 彼の言葉はやや難解だが、彼のメッセージには深く心に響くメロディとリズムが秘められているからであろう。
 さてこの辺りで、フラーのメッセージそのものを紹介しておこう。 フラーといっても日本では決してそうポピュラーな人物ではない。 なぜか彼は、世の中の常識人には敬遠されているのである。
 フラーは有名人ではないが、彼の思想はいままぎれもなくポピュラーになり始めている。 ちなみに「宇宙船地球号」という言葉は、彼が初めて作りだした造語である。 彼は地球を「宇宙空間に漂う船」として見つめた。 つまり地上から宇宙を考えたのではなく、宇宙空間から地球とそのシステムを考えたのである。
 そしてこの「宇宙船地球号」という概念からエコロジー的なものの見方が育ち、それはやがてガイアの思想をも生み出した。 すなわち地球も一個の生命体であり、すべてがつながりあって生きていると。 この思想は環境問題を考える際の根っこでもある。 彼が作りだしたもう一つの概念「シナジー」も、まさに21世紀のコンセプトになりつつある。
 要するに、フラーは20世紀にあって、すでに21世紀的な思考法を身につけていた。 それが常識人から嫌われた理由だったような気もする。 早い話、世の中の常識で理論武装した大人たちには、彼の思想がまるで理解できない。 常識が邪魔をしてしまうからだ。
 しかし純な子供たちには、フラーの話がよく分かる。 というのもフラーも子供たちも、宇宙や自然に対して素直に、自由に、柔軟に心を開いているからである。
「自然界には、直線なんてのは一個もないんだよ」。
「そうだね、葉っぱにも木の枝にも直線はないよね」
 こんな素朴な会話から出発して、フラーは子供たちに数学や幾何学の面白さを教え、さらには複雑な宇宙論の世界へと連れ出していく。 一言でいえば、アインシュタインのごとき難解な科学を、子供たちにたちまち理解させてしまうフラー流思考法がそこにはある。 しかも彼は、まるで詩でも歌うかのように自然や宇宙や人間や歴史を語っていく。 彼は天才的科学者にして、優れた詩人…。そのことに、ぼくは共感を覚えるのだ。
 実際、彼にはどんな肩書きが似合うのだろう。 フラーには科学者、幾何学者、発明家、建築家、デザイナー、教育者、哲学者、思想家、プランナー等々のさまざまな肩書きが付けられているが、彼の本質はやはり詩人であろう。
 そして詩人としてのその資質は、彼が自殺を決意して、いざ死のうとしたときに突如開花した。 死の直前に、人生の懊悩の核が一挙に溶解し、彼は宇宙と生命の本質的な何かを見てしまったのである。
 もし彼がただ単に科学する人であったとしたら、詩人の魂は獲得できなかったであろう。 が、彼は自殺といういかにも人間的な誘惑にかられて詩の泉を掘り当て、以来ユニークな科学や技術やアイデアを次々と発表していく。 しかし、それは余りにも時代を先走り過ぎていた。 ちなみに「エコロジー」という言葉が一般化する数十年も前に、彼はすでにそれを自らの思想の核に据えていたのである。
 ついついややこしい話になってしまった。 フラーを語るには、やはりやさしい言葉がふさわしい。 そこで彼の思想のエッセンスともいうべきメッセージを紹介してみよう。
「三角形を描いてごらん。そうそう、うまく描けたね。キミはいま、実は宇宙に二個の三角形を描いたんだ。 一つは目の前にある小さな三角形、そしてもう一つ、キミはその外部に、宇宙サイズの三角形も同時に描いたんだ。 つまり、キミは小さな三角形を描くことで、宇宙全体にも影響を与えたことになるんだよ!」
 フラーはどんな小さな存在でも宇宙と関わり、宇宙に影響を与えていると指摘する。 人間は誰もが貴重な「経験の目録」であり、だから共に影響し合うことで宇宙的な意味をつむぎだすことができると言うのだ。 それはアレフが言う「役立ち競争」にもつながっているような気もする。 そう、個々の「経験の目録」を上手に使いさえすれば、誰もが宇宙サイズに役立つ人生を生きることができるのだ。
 『フラーがぼくたちに話したこと』は、実はフラーが書いた本ではない。 それはフラーが三人の少年と少女に語ったことを、ある一人のフラー・フアンがまとめたものである。 本当はフラーの本そのものを紹介したいとも思ったが、「若い人達に読ませたい本」となれば、フラーが子供たちに語った本のほうが自然であろう。 フラーの言葉が、読者をそのまま子供の世界、子供の自由な感覚へと連れ戻してくれそうだからである。
 宇宙サイズのフラーのメッセージを、わずか一ページで書くのは難しい。 (後がない、急ごう)とにかく20世紀が生んだ天才フラーは、ぼくたちを21世紀へと案内してくれる。 彼のメッセージのそのメニューには、多彩な夢とロマンとが満ちており、それは幸せのエネルギーと美味とが薫る「心のご馳走」なのである。