2014年、『荒野のジャーナリスト稲田芳弘』の志を心に灯して…

~~~「永遠の元気」という元の気に帰った夫とともに その1

稲田陽子

 

夫、稲田芳弘が天に回帰して、早くも2年も経ってしまった。

2年前の1月11日から、今月で2年を過ぎた。当時のことは、

思い出しても、辛い。しかし、私も夫も、周囲とは別の次元に

いて、最後まで生きる希望を失わなかった。

 

だから、ある意味で、「死」というものは、私たちの間には

存在していなかったのかもしれない。それは、肉体を脱ぎ捨てたら、

身軽なスピリットになるのだという意識が私たちの間で、

確実に共有されたいたからでもある。

 

しかし、それでも、私にとっては、救急搬送から現在医療のただ中で

葛藤の連続となった。まず、救急搬送も、ままならず、「抗ガン剤を

拒否した患者」という先入観から、ほとんどの札幌市の病院が平然と

引き受けを拒否した。

 

全く、これは、意味不明であり、第一、この類の診療拒否は医師法違反

ではないだろうか。このてん末は、拙著『荒野のジャーナリスト稲田芳弘

~愛と共有の「ガン呪縛を解く」』に詳細を書いた。

 

ガン宣告を受けても、夫は、ガンを全く恐れず常に前向きに、

しかも千島学説を自分のガン治癒につなげられたらという思いを

持ちながら、「千島学説」の本質を人々に伝えるのに格好のチャンスだと

捉えた。

もちろん、生き方と「表現」が一体化したとき、当然一つの

「渦」エネルギーが生じる。そのためにあのハードな生活が同時進行した

とも言える。夫は、他の「ガン生還者」と言われている人々と同様に、

自分の病を治すことに「夢中」になれば、完治していたのではないかと

そんなことを想像すると、残念でたまらない。ガンとは、もともと

そういう病だからだ。

 

責任感が強く、基本が完璧主義であった夫は、「いい加減主義」

という哲学は人々に伝えるのだが、自分自身は、気を入れたものには、

「いい加減」どころか「徹底主義者」となってしまう。だから、

講演の前の徹夜は当たり前だ。

 

これでは、仕事をしているのと、何も変わらないではないか。そんな

心配と不満を私は、よく口にしていた。

 

しかし、夫は本質がクリエーター気質で、講演用のプレゼンの編集にも

こだわり、また、「独学」で覚えたパワーポイントでデザイン上の工夫も

怠らない。これも、編集上必要なことであったのだろう。つまり、

「作品」に仕上げて、講演に臨むのが常であった。このあたりの気持ちは、

同業の私にも良く理解できるが、それにしても、夫は体調が良くなくても、

「アイディア」や「クリエイティブ」には妥協知らずであった。

 

ところが、夫は、不思議なことに、熱中していると、元気が回復している

ように見え、周囲もその雰囲気に勘違いをしてしまうことになる。

自然治癒力にも、生命力にもその可能性に制限を設けなかったのが、

夫の治癒法でもあった。この意識は、ガンの患者さんだけでなく、

私にも大きな勇気とパワーを与えてくれていた。もっとも、夫も

私も、生命力の本質については千島学説的にも同種の感覚を持って

いただけでなく、西洋医学的な余命論をほとんど信じていなかった。

 

そうした「元気なガン患者」のイメージゆえに、夫の回帰は、多くの応援

してくださった方々に衝撃と落胆、一種の「裏切り感」を与えるに余り

あったのだった。

 つづく
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