終戦記念日ライブは前世療法のリアルさとともに

~~~『世の終わりの贈りもの』から『金色の星と青い星』

http://www.creative.co.jp/radio.html

 

稲田陽子

 

先週の木曜日(8/15)は、じあいネットが提供するラジオ番組

「稲田芳弘の『呪縛を解く時間』~ガン呪縛を解くそして

不安呪縛を解く」の日だった。ちょうど終戦記念日だったことも

あり、前世療法の気づきからも別の関心事にもなっていた。

8/1付けのブログには「前世療法、ふしぎな気づき~~~

まさか、零戦に乗った特攻隊??ジャーナリスト志望の旧制高校学徒」を

書いてもいる。少なからぬ読者の方々から反響もいただいた。

 

前世療法、ふしぎな気づき

http://creative.co.jp/wp/index.php/archives/

「ジャーナリストの原点は夫が教えた」

http://creative.co.jp/wp/index.php/archives/date/2013/02

 

CDブックの著者、萩原先生からは、すぐにメールをいただき、

その中で、私にイメージ力があるがゆえにCDであそこまで到達できたと

先生らしい謙虚さで言われ、その後に、私が「精神世界と科学的世界の

両領域」をつなぐ検証をしたことなどに触れられていた。

なるほどこの種のイメージにはどこか不確定さがつきまとうもの。

私は、すぐに素材をネットで調べることができたが、その後に検証できる

ものとできないものもあるから、厄介ではある。もっとも前世療法として

用いる場合は、いささかユング的な匂いもあり、そう思えば、精神領域の

自己分析に役立つことはまちがいない。

 

これは、さておき、私の場合は、相当にリアルであったため、

ほとんど現実に近いものを感じている。そこで、夫が常日頃語っていた

「非戦」の大切さも、何か実感をともなって感じられてくる。

夫の「非戦」は、まさに「荒野」で実践されていたので、本当に

無防備だったと言えるものだ。この話は、また後日に譲ることとして、

7月に見たその「前世療法」のヴィジョンがどうにも消えさらないまま、

木曜日が8月15日だという偶然を迎えた。

ある人に言わせると、零戦に乗ったのが終戦間際の7月だった

から、7月の同じころに「イメージ」が現れたのではないかという

ことになる。もしも、一月遅かったら、乗らなかったかもしれない

わけで、そうなると、その後の筋書きも変わり、「前世の自分」は

こんなに早く生まれ変わる必要もなかった。すると、それは夫と私の

運命をも変えることになったのだろうか。

 

ふと、そんな思いも過るが、「負け戦」であった当時の苦しい

戦況のなか、時の軍部独裁体制の政府は、よくも「SUICIDE 

ATTACK」を前途有望な多くの純真な若者たちに課したものだと

思う。「神国日本」を旗印に正義感と国を憂うる勇敢な心情に

突き動かされる若者たちを利用し、時の政権は容赦せずに、

学徒動員体制の中、零戦の片道切符を悲劇的にも出し続けた。

(歴史認識には注意が必要なもので、戦犯になった人々の中にも、

戦争終結の交渉を早く押し進めようとした人ももちろんいたという)

 

私は、何故かこの「前世の自分?」の意識が根底にあって、終戦を

考えることになった。時を超え、何とも不思議な日である。

 

身内に戦争の犠牲になった人は必ずと言っていいほどいるものだが、

悲惨な戦争の体験者が高齢化してゆくにつれて、戦争を安易に考える

人々がでてくるのではないかという懸念もないではない。

いまは、成功不成功は別としてアベノミクス体制となり、TPPへの

参加も確実なものになっている。格差が広がり、新自由主義的な発想も

より一層浸透してくることも予想される。さらには、経済不況に

戦争は付き物だという「タブー」も言い添えよう。

 

もしも、憲法9条がなく、日本に軍隊があったなら、いまごろは、

マスコミの一元的報道の影響もあって、某大陸の国々との間は

戦争体制になっていたかもしれない。

 

そんなことが脳裏に浮かびつつ、格差社会の煽りを受けるのは、

いつも低所得で不安定な人々であり、ことのほか若年層に夢がなく

なっては元も子もないと思う。「イラクにおけるアメリカの戦争」

のとき、アメリカでは軍が奨学金を出すことを引き換えに大学に

行くことを夢みた若者たちを多数戦争に引き込んだ。そんな悲劇を

併せ持つ世界を日本も選ぼうとしているように思われてならない。

 

第二次世界大戦は、広島と長崎に恐るべき不要な原爆を

投下した後に終戦となった。歴史は、戦勝国の思惑どおりに

作られていくようだが、いずれにせよ、地球という視点から、

そうした戦いが地球そのものを失わせないようにと、願うばかり

である。いまの日本が原発を世界各地に売り込み、核兵器禁止条例

にも批准しないのもどこかおかしな話かもしれない。

 

こうした世界の深い悲しみは、カルマのごとく繰り返されて

いくのだろうか。

 

この日のラジオで、私は、拙著『世の終わりの贈りもの』から、

『金色の星と青い星』を読んだ。核戦争で滅びる青い星に

ただひたすら祈りを送り続ける金色の星の小さな人…

その祈りは、青い星に何をもたらしたのだろうか。

 

時間が迫るライブでの慌ただしい「朗読」…お聞き苦しいところは

どうぞご容赦いただければ、幸いである。

 

 

 

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