1999年02月:減らすことでより多くをなすmore-with-lessing

 「昔々、みんなで一生懸命に学び、無我夢中で働きました。お陰で日本という国はお金持ちになり、技術もどんどん進みました。技術が進むと、それまで大勢でやっていた大変な仕事が、とても少ない人数や材料や時間、エネルギーで簡単にできてしまいます。そのぶん人々はのんびりでき、豊かになれるはずでした。  ところが、実際にはそうはなり...

1999年01月:タイタニック号の発するサイン

 新年号はめでたい話、明るい話題、と相場が決まっている。そこで何か新年にふさわしいテーマをと考えてはみたが、なかなかいいアイデアが浮かばない。それくらい、世の中は右も左も気分が滅入るようなことばかりということだろうか。いくら経企庁が「景気に変化の胎動」と慰めてくれてはみても、その胎動には、胸騒ぎのする予感も混じって聞こ...

1998年12月:宙返り何度もできる無重力

 ディスカバリー号から向井千秋さんが、「宙返り何度もできる無重力」と、おつな歌を地上に投げてきた。で、下の句を作れと言う。  「それにつけても金の欲しさよ」ではさすがに寂しい。無重力空間からのこの歌に、いったいどんな言葉を投げ返したら宇宙的な響きが生まれるのだろう。  そんなことを考えていたら、あるところから「若い人達...

1998年11月:YESかNOか……それが問題だ!

 毒入りカレー、毒入りポット、毒入りウーロン茶、毒入り缶コーヒー、毒入り○○…と、ここ最近毒入り食品事件が世を騒がしている。その怖さは、おいしいはずの食品が生命を脅かすものに変貌してしまうこと。が、たとえ毒入り食品を食べたとしても、「おかしいぞ!」と思って咄嗟に吐き出した者は、かろうじて一命をとりとめた。  この場合、...

1998年09月:「RE」の時代……より遠く、遙かな地点へ

 その一。久々に同級会に参加したら、青春時代の若々しい気分に戻れた。旧友たちと想い出話にふけっていたら、なぜか元気があふれてきた…。そんな体験がきっと誰にもあるにちがいない。  何十年ぶり?に会う顔は、最初はなかなか思い出せるものではない。人間の顔とはこうも変わってしまうものかと、自分のことはさておいてびっくりもさせら...

1998年10月:悩めるときの応援歌・全勝の果てに自分がいる!

 不景気、倒産、リストラ、失業、金融不安、異常気象、水害、毒物事件等々と、いま日本列島には暗いニュースが満ちあふれている。その日本列島の上空を物騒にも弾道ミサイルが飛び、さらには世界同時株安現象が地球を走る。  こうなると、「生き残れないかもしれない」という寒々しい思いが体の中を吹き抜け、将来への不安がいよいよ高まる。...

1998年08月:軽くなりたがっているココロもカラダも

 世の中には、理解に苦しむ奇怪な現象が多発している。それは特に世代間のギャップとして浮上してきており、おじさん族としてはただおろおろするばかり。が、若い世代の新感覚を無視しては、もはや企業も社会も成り立たない。  問題は、その新感覚とは一体なんぞやということになろうが、ぼくはそれを「無重力感覚」と呼んでいる。  そう、...

1998年07月:「ヴァーチャル」の天性は、明るさとおおらかさ

 ヴァーチャルリアリティという言葉が、日本語の中に戸籍を獲得して久しい。それはほとんど「仮想現実」と翻訳され、現実らしくみせかけたニセモノ、そのくせ現実と虚構の見境を分からなくしてしまうやっかいなもの、といった否定的なニュアンスで多くの場合使われている。  実際、TVゲームやアニメ映像、CG映画などの悪影響が批判される...

1998年06月:デジタルとアナログのニクイ関係?!

 デジタルって、なんだっけ?  改めてそう思いたくもなるくらいに、いまやすごいデジタルブームだ。「デジタル」が、新しい時代のキーワードとして世界中を徘徊している。  しかもこの言葉はすでにメタファー(隠喩)としても使われだし、デジタル頭脳、デジタル人間(デジタリアン)、デジタル企業、デジタルオフィス、デジタル住宅、デジ...