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1998年11月:YESかNOか……それが問題だ! | 稲田芳弘コラム
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1998年11月:YESかNOか……それが問題だ!

 毒入りカレー、毒入りポット、毒入りウーロン茶、毒入り缶コーヒー、毒入り○○…と、ここ最近毒入り食品事件が世を騒がしている。その怖さは、おいしいはずの食品が生命を脅かすものに変貌してしまうこと。が、たとえ毒入り食品を食べたとしても、「おかしいぞ!」と思って咄嗟に吐き出した者は、かろうじて一命をとりとめた。
 この場合、「おかしい!」と思って吐き出すのは身体そのものであり、人間の身体は、毒物や異物が入ってくると咄嗟に吐き出すように作られている。吐き出すことによって生体を危険から守ってくれのだ。
 「吐き出す」知恵、これは食品だけに限らない。嫌な体験やむかつく感情、愚痴や不平不満も絶えず吐き出し続けられる。
 会社帰りに暖簾をくぐり、酒の勢いを借りて愚痴や悪口を吐き出すのも、またその知恵の一つであろう。毒物や異物をそのまま体内に留めていては、やがて毒が回り、異常が生じる。おかしなものは、やっぱりいち早く吐き出してしまったほうがいい。
 その一方、吐き出さずに飲み込み、時間をかけながら「毒を薬へ」と変えてしまうメカニズムも実は私たちはもっている。とうてい承服できない待遇や言動(毒)を、そのまま黙って飲み込み、ゆっくり少しずつ中和させ、あるいは薬に変えていく方法だ。が、この場合、自らの内にその能力が備わっていなければならない。それなしで飲み込んでしまったりすれば、やがては激しいストレスや鬱病に悩まされてしまうことにもなる。

 ということから、毒物や異物は吐き出してしまうのが何よりも安全、ということになろう。しかしここで問題なのは、何が毒物・異物であり、何が安全なものかを見極めるその識別・判断能力であろう。
 自分にとって何がYESであり、何がNOなのか…。それを的確に識別してくれるのが、すなわち「免疫力」ということになる。
 さて、「免疫」を辞書で調べてみると、
(1)〔疫病を免れる意〕生体が自己にとって健全な成分以外のものを識別して排除する防衛機構。伝染病などに一度かかると、二度目は軽くすんだり、まったくかからなくなったりすること。
(2)何度も経験して抵抗を感じなくなること。「中傷記事には―になっている」
 とある。が、ここではあえて「自分にとって安全なものにYES、危険なものにNOと判断して、即座に対応する能力」と考えてみたい。

 そう、免疫とは、早い話「YESとNOをはっきりさせること」なのだ。
 こいつはYES、あいつはNOと。
 免疫からすれば、それこそ「イヤならやめろ」だし、「ダメなものはダメ」なのである。自分の本当の気持ちを鮮明にせずに、躊躇したままに何もかも受け容れてしまうと、まさに大変なことになってしまうからである。

 が、これまでは「何でも受け容れる」ことが高く評価されてきた。「あいつはつぶしが利く」とか「どこに出しても心配ないやつだ」といった具合に。
 だから企業や組織はエリートにゼネラリスト教育を施したし、上司も「イエスマン」を優遇した。組織でNOと言うことは、サラリーマン(組織人)失格の烙印を押されることでもあった。
 しかし、イエスマンはストレスを溜め続ける。酒で吐き出しても間に合わないほどになる。限度を超えればプッツンも起こるし、無気力症候群にも陥ってしまう。こうして「NOと言えない社会」は酷くストレス度の高い社会となってしまった。
 その結果生まれたもの、それは「無個性化」ということではなかったか。レストランでの食事でも「何でもいいよ」という友は楽にして便利ではあるが、つかみどころがない。逆に、「これはイヤ、これもイヤ」という友は、わがままで処しがたくも思うが、好みだけははっきりと分かる。この事例から強引に法則?を導き出すとすれば、やや乱暴だが「なんでもYES=無個性」「NOの連発=個性的」ということになるのかもしれない。

 これからは「個性化の時代」とよく言われる。となれば、「NOの連発」もまた必要ということであろう。が、上司にNOなどといえばたちまちリストラの憂き目に遭う危険があるし、また得意先にNOと言えば仕事を失う恐れもある。それは倒産、失業多発時代にあっては、やはり避けなければならない。
 とは言っても、単なるイエスマンの延長ではストレスが溜まるばかり。ハムレットではないが「YESかNOか、それが問題だ!」といったジレンマに落ち込んでいるのが、現時点の個人と企業の偽らざる姿のような気がする。

 これで終わってしまっては、このエッセイも単なる紙の無駄遣いで終わってしまう。そこで最初のテーマに戻って考えてみると、「YESかNOか」の悩みは、実は免疫の本質的な問題でもあったのだ。というのも環境はどんどん変化していくから、免疫機構も当然それに柔軟に対処していかなければならない。
 そこで生体が考え出したのが「敵(毒)を味方(薬)に変えてしまう」という秘術だった。なぜ免疫が「毒を薬に」してしまうのかは不明だが、人間には生来ちゃんとそういった能力が備わっている。だから免疫力さえ高まれば、どんな環境変化にも対処することができるのだ。

 敵(毒)を味方(薬)に変えてしまうメカニズムが備わっているという事実は、「どんな環境変化にもめげずに、生きよ!」という鮮烈なメッセージが、生命にはプログラムされているようにも思える。旧約聖書でもそのことが綴られており、神は創造したばかりのアダムとイヴに対して、まず「Befruitful!(実り豊かたれ)」とメッセージした。これが神様が人間に与えた第一の(根源的な)祝福である。豊かな結実を見るためには、健やかな成長が大前提だ。だから毒をも薬に変えてしまう力を、私たちは与えられたのであろう。
 こうした文脈からすれば、「YES(受容)が進化を促す」ともいえる。「何が起きても平気」という生き方が免疫力を高めてくれるのだ。
 その一方、NOとはっきり意思表示することも、個性を磨いていくのに効果的といえるだろう。もっとも全部が全部NOならば存在すること自体が無理だろうが、NOを連発しながらも徐々にYESと心から断言できる自分の領域を見つけだしていく。それが見つかりさえすればサクセスで、そここそが自分の生きるべき場所ということになろう。
 「自分(自社)ならではの場所・才能=天の才」が発揮できれば、人生は楽しいし、面白い。その意味では無責任のようだが、「YESもよし、NOもまたよし」ということになりそうだ。

 しかしもう一度免疫に立ち返ると、免疫とは「自己にとって健全な成分以外のものを識別して排除する防衛機構」であるから、まさに「NOといえる免疫」なのである。そして「NOといえる」ということは、はっきりと自分自身を知っている(自己にYESと言える)ことでもある。
 「己を知る」ということは己の個性を知る、天の才を知るという意味であろう。ということからすれば、本当の自分を見捨ててイエスマンとして生きる生き方は自殺行為に等しいといえるかもしれない。
 とかく世の中は、NONONO!と否定したくなるほどの鬱陶しい現象に満ち満ちている。が、その中からほんの一つだけでも心から「YES!」と思えることが発見できたとしたら、そこから自己発見の旅が始まる。
 その意味でNONONOの環境は本当のYES(自己)を見つけだすチャンスを密かに用意してくれているのかもしれない。そう考えれば、「NOもまたYES」ということになろうか。
 まるで禅問答のような結論に落ち着いてしまったが、毒入り食品事件が頻発する時代は、これくらい鷹揚に構えたほうが免疫力が高まるというものであろう。

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