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1999年07月:1999年7の月…ありがとうノストラダムスさん | 稲田芳弘コラム
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1999年07月:1999年7の月…ありがとうノストラダムスさん

 ついに「一九九九年七の月」がやってきた。
 果たして、ノストラダムス研究家の多くが言っているように、まもなく恐怖の大王が空から降ってくるのか。人類に破局は訪れるのか…。
 九九年七月のシニカル・エッセイともなれば、まさにこれは格好のテーマである。
 実際、世紀末的な色合いはますます濃く、コソボを巡るNATO軍のユーゴ空爆や、インド・パキスタン紛争、北朝鮮問題など、気になることがあちこちに起きている。加えて国内では保険会社や金融機関の相次ぐ破綻劇、リストラ、失業問題、コンピュータ2000年問題など、これまた不安材料がいろいろとある。しかしこの程度のことならこれまでにもあったことで、それが「恐怖の大王の降臨」につながるとはどうも思えない。
 だとしたら、ノストラダムスは全くのデタラメを詩に書き残したのか。それとも研究家たちの解釈が間違っているのか。あるいは本当に預言は顕現するのだろうか。いずれにしても、その答は間もなく私たちの目の前で明らかになるはずだ。

 それにしても、ノストラダムスの大預言ほど多くの人々の心をとらえてきた預言はそうはないだろう。事実ぼく自身、これまでに何冊かの解説書を読み、そのたびに「さもあらん」と思ってきた。「さもあらん」とは「そういうこともありうる。ないとは言えない」ということであって、決して諸説をそのまま信じたわけではない。絶対に起こらないという明快な根拠がない限りは、「さもあらん」と思うしかないのである。
 ところで問題は「いったい何が起こるのか?」ということだが、ざっと整理をしてみると、ほぼ次のような諸説が巷間には流布しているらしい。いわく天変地異説、ヴェスビオ火山噴火説、世界戦争勃発説、小惑星衝突説、宇宙人来襲説、土星探査機(カッシーニ)衝突説、軍事衛星GPS暴走説等々…。
 いずれも絶対にありえないとはまず言えず、だとすれば「さもあらん」と考えるしかない。しかしここで問題なのは、それらを主張している人々が、それぞれに全く違った内容を強く信じているという事実である。そのことがノストラダムスの大預言を多くの人々に薄っぺらなものと印象づけ、すっかりオカルト的なものとして決めつけさせてしまったかのようだ。そしてついに運命?の「一九九九年七の月」を迎えてしまった。

 「そのとき」が近づくにつれ、本屋さんにはますます「ノストラダムス本」が山積みされている。その多くは、やがて嘲笑、罵倒、淘汰される運命にあるだろう。そんなふうにやや同情?しながらも、数カ月前、ふとある一冊の本を手にしてみた。帯には「ついに明かされた恐怖の大王の正体!その時、すべての価値観が変わる」とあった。「すべての価値観が変わる」という言葉に、ぼくは強い共感とリアリティを覚えたのだ。
 『ノストラダムス一九九九年七月二六日十七時』というその本は、これまでの人類危機説とは全く違ったものだった。
 結論からいえば、それは恐怖というよりも、むしろ大いなる希望の時代の幕開けを告げていた。というのもその当時のフランス語の原文を忠実に翻訳すれば、「空から恐怖の大王が降ってくる」という訳は実は間違いで、実際には「恐ろしいほど偉大な王が蘇り、幸福によって君臨する」となるという。著者・趙顕黄氏はそのことを天文学的に裏付けているのである。
 つまり太陽の周りを回る九つの惑星のうち、海王星が一九七九年から太陽に最も遠い公転軌道に入ったが、それが一九九九年七月二六日に再び冥王星の公転軌道の内側に戻る。で、海王星と冥王星の軌道位置のこの逆転現象が一九九九年七月に完了し、その天文学的な影響によって地球上の人々の価値観が変わるというのだ。
 宇宙や天体の運航が人々の意識や価値観に影響を与える…というのは今後の科学的実証を待たなければならないところだが、単純に「曇天→憂鬱、快晴→爽快気分」が万人共通の心理的傾向だとすれば、それも「さもあらん」である。それはともかく、「一九九九年七の月にすべての価値観が変わる」というこの全く新しいノストラダムス解釈に、ぼくは深い共感を覚えた。というのも、それはすでに起こっている現象だからである。

 著者によれば、海王星は一六五年周期で太陽の回りを大きく公転しているが、今回の地球大接近は特別な意味を持っており、これはなんと一九八〇年ぶりのものだという。そしてこれが「凶星マルス(戦争と物質の象徴)の時代の終焉」を告げ、ここから全く新しい世界観・価値観が浮上することになるという。こうした解釈に対して、ぼくとしては「さもあらん」というよりは「さ、あらまほし(そうあって欲しい)」と願いたいのだ。
 このように、同じノストラダムスの詩一つが、解釈によってさまざまに変わる。が、解釈は違ってもすべてに共通したものがある。それは、いまの社会システムや価値観がいつまでも続くことなどありえないということだ。このことは別にノストラダムスの預言に頼らずとも、多くの人々の実感となりつつあり、「何が起きてもおかしくない時代」に、いま私たちは突入しつつある。
 こんなふうに平凡な解釈に着地してしまっては、ノストラダムスに申し訳ない。ノストラダムスはやっぱり偉大な預言をしたのだろう。そのことは、今月いったい何が起こるかによって判明するだろうが、気分としてはやっぱり「価値観の決定的なターン」に期待したい。

 ちなみにフリッチョフ・カプラが『ターニング・ポイント』を著したのは一九八一年のことで、この中で彼は、「衰退のとき極まると、ターニング・ポイントに至る。姿を隠していた力強い光が、たち復る。動きはあれど、力のもたらすものではない……動きはあくまで自然、おのずから湧いてくる。これがために、古きものの変容にさまたげなし。古きものは去り、新しきものが入る。どちらも時とともにあり、それゆえいかなる滞りもきたさない」(R・ウィルヘルム著『易経』より)と、まずメッセージした。
 カプラのこのメッセージは高々二〇年前のことにすぎないが、四五〇年も前にノストラダムスが人類の価値観のターニング・ポイントを指摘したとなれば、これはすごい。そしてそれはすでに実際に起こりつつある。しかもそれは決して「力」によってもたらされたのではなく、「自然に、おのずから湧いた」動きとして、世紀末そして新時代の確固たるベクトルとなりつつあるのだ。

 その意味でも、ぼくは「価値観の大転換」をノストラダムスの偉大な預言として受け容れたい気がする。というよりもこのままでは、生き方・考え方を変えない限り私たちの社会に未来はない。そのことにはっきりと気づかせてくれたのが八〇年代からの二〇年であり、そしてまもなく私たちは権力と金力と武力を追求し続けてきた結果の空しさにはっきりと目覚める。あるいはそのことを決定づけるような何かが起こるのかもしれない。
 このように考えれば、ノストラダムスの大預言が引き起こした「世騒がせな現象」にも意味があったというものだろう。
 「世の終わり」は「これまでの常識や価値観の終わり」という意味で間違いなかったし、世紀末の不安は何よりも物事を根底から考えさせてくれる契機になりえた。ということから、ぼく自身は、何も劇的な大問題が起こらなかったとしても、「このウソつきめ!」というよりは、むしろ「ありがとう、ノストラダムスさん」と言いたい。
 いずれにしても答はまもなく出る。いや、価値観の大転換という点では、もう出てしまっている。問題は、自分がそこにシフトできるかどうかということだけなのかもしれない。

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