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1999年11月:都合の良いもの・悪いもの | 稲田芳弘コラム
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1999年11月:都合の良いもの・悪いもの

 「起こるはずがない」ことが、いまどんどん起こっている。
 ……などと書くと、「臨界事故」の話題と思うにちがいないが、決してそれに限ったことではない。今回書きたいテーマは、「良かれ」と思ってやったことが、思いがけない問題を多々引き起こしているということについてである。

 人間という動物は常に善悪を考えて行動する。善を行い、悪を排除しようとするわけである。しかし客観的に考えてみると、これほど怖い話はない。善悪の絶対性、永遠性などほとんどありえないからだ。その究極は宗教戦争だろう。お互いに神様に誓って正義の戦いをする。「聖戦」と謳う以上、どちらも「良かれ=善」と信じて命がけで戦うのだ。この場合は壮絶を極める。「良かれ」と信じて平気で殺戮を正当化するからである。

 便利な石油文明も、利益を追求する資本主義も、多数決原理に基づく民主主義も、すべて「良かれ」と思ってやったことだった。ちなみに石油文明はたしかに豊かな社会を築きあげてくれたが、その結果、地球温暖化問題がいま持ち上がっている。またフロン製造も、便利な化学物質も、農薬も、ふと気がつくとそれが地球のオゾン層を破壊し、環境ホルモンに化けて種の存続を危うくし、土壌や環境を汚染して自然の生態系を壊している。「良かれ」と思ったことが、実はより深刻な問題を引き起こしていたのだ。
 同じように、資本主義経済は地球環境をおかしくしたばかりか、金融経済なるお化けまで作りだした。民主主義も一見理想的な政治形態には見えるが、アイヌのような少数民族から見ればとんでもない原理だろう。いきなり外部から大勢の異民族が勝手に入り込んできて、多数決を武器に彼らの文化や社会を破壊してしまうからである。

 このように善悪とは決して普遍的なものではなく、簡単にいえば「自分にとって都合がいいか・都合が悪いか」という判断にすぎない。多くの場合、「善=自分に都合が良いもの」「悪=都合が悪いもの」ということになるだろう。
 実際、「あの人は良い人」という場合、自分にとって都合の良い人という意味である。「良い子」というのも、たぶん親にとって都合の良い子・社会的に見て都合の良い子ということだろう。こうした善悪の判断は、価値観が全く同じ社会ではほとんど問題がなかった。個人、家庭、地域社会、企業、国家が同じ価値観を持ってさえいれば「善悪」の基準も判断も明快だったからである。

 ところで、起こるはずのないことが起きた最も大きな例は、たぶん近代合理主義の意外な結実であろう。人間の理性を尊重した近代社会は、「科学」を共通の言葉として「合理的」で効率的な社会システムを作り上げてきた。法律も教育も産業も経済もすべてがそれを目指し、豊かで幸せな社会を実現してくれるはずだった。ところが「実現するはず」のものが実現せず、「起こるはずのないこと」が起こるに至った。つまり近代合理主義は、人間を本当の豊かさと幸せからむしろ遠ざからせ、逆に人類の存立を危うくする自然環境・社会環境を出現させてしまったのである。

 その縮図がまさに今回の「臨界事故」だったように思える。
 原子力エネルギーは当初「日本の社会にとって都合の良いもの」と思われていた。実際にはほんの一部の産業や企業、政治家にとって「都合が良いもの」だったのかもしれないが、少なくてもその価値観は、ほぼ日本社会全体が共有できるものとしてPRされてきた。
 また今回の事故は、ウラン加工会社が違法な「裏マニュアル」を作り、そのマニュアルさえ守らない滅茶苦茶な方法で作業をしたことに起因すると言われているが、それは少なくても企業や現場の作業員にとっては「都合の良い方法」だった。しかし「ある者にとって都合の良いこと」が、他者にはとんでもない問題を突き付ける。一方で「都合の良いこと」が、他方では「非常に迷惑・大変に都合が悪いこと」になってしまうのだ。

 とにかく原発は人間社会に「豊かさと幸せ」をもたらしてくれるはずだった。「都合が良いもの」として多くの国民に考えられていたからこそ、日本は原発先進国になれたのである。しかし「幸せにしてくれるはず」の原発にいったん問題が起こるや、社会の空気は逆転する。このことから学びうることは、「善悪の判断は絶えず変化する」という事実である。
 「都合がいい・悪い」は、あくまでも人間領域でのことだ。そこには人間以外のものたちの発言する余地がない。人間は自然や他の生き物たちの都合など全く考えずに「善(都合がいい)と思うこと」をとことん突き進めた。これまた沈黙するものを無視した多数決原理(強者の理屈)にのっとってやってきたのだ。
 その結果が、地球環境の破壊であり、数々の種の危機であり、もはや持続不可能な未来だった。要するに「良かれ」と思って真面目にやってきたことが、とんでもない結論を見せたのである。そしてまさに「起こるはずのないこと」が起こっている。
 そこから見えてくるものは、「幸せになれるはず」とか、深刻な問題など「起こるはずがない」と単純に信じ思いこんでいた、人間の知識や知恵の浅はかさであろう。

 「都合がいいように見えていて、実は浅はかだった事例」を次に一つだけ紹介してみよう。
 家庭では生ゴミが毎日出る。生ゴミは分別してビニールの袋に入れ、決められた日に地域のゴミ捨て場にまで運ぶ。それを自治体の回収車が集めて回り、焼却場で重油で燃やす。つまり大変な労力と資源とを使って処理しているわけである。
 これに対してある簡単な装置を使えば、生ゴミが家庭でそのままメタンガスになってしまう。それは風呂や冷暖房や煮炊きなど生活に欠かせない便利なガスとして利用できる。つまり生ゴミがそっくりそのまま貴重な資源に変わってしまうのだ。
 しかしこの装置を動かすには、さまざまな微生物の混じったドロを確保することが必要だ。昔はよくドブや池の隅などにプクプクとメタンガスを作りだしているドロがあったものだが、最近では捜してもなかなか見あたらない。そういった場所は「危険で不潔な場所」として、きれいに「排除」され「開発」されてしまったからである。
 プクプクとガスを発生していたあのドロは、実は「廃棄物から便利なメタンガスを製造してくれる自然のオートメーション装置」だった。しかし人間はそれを汚いもの=不潔と考え、邪魔者扱いにした。そして代わりに、都市ガス配給システムや廃棄物回収システム、焼却炉などを配置した。一見すれば、それは近代合理主義の勝利のように見える。しかし実際は、石油の浪費、環境汚染、社会コストの重負担等々にすぎない。

 ゴミ問題が大きな社会問題化してきている現在、本来なら「生ゴミのバイオガス化」に移行すべきであろう。が、これが普及しては、ガス会社やゴミ回収業者、焼却炉産業には「都合が悪い」。行政もまた仕事が減るだろうから「都合が悪い」。かくして壮大な資源のムダと社会的コスト負担と環境汚染が続いていく。が、「都合」はもっと大きく地球レベルで考えるべきではなかろうか。
 埼玉県の小川町で家畜の糞尿や生ゴミから見事にバイオガスを採取している現実を目にしたとき、汚い廃棄物やドロが、逆に大切な資源に見えてきた。問題は、私たちのものの見つめ方である。ものの見つめ方が変わるとき、ゴミやドロが一転して貴重で大切な資源になる。
 このことは、あるいは人間や人材に対しても言えることかもしれない。企業に「都合がいい」ように思えているリストラも、案外、貴重な資源をドロ扱い、ゴミ扱いしているのではなかろうか。

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