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2000年06月:風は、ノマド(遊牧民)の時代へ | 稲田芳弘コラム
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2000年06月:風は、ノマド(遊牧民)の時代へ

 今春の高校卒業生の就職率が過去最低と発表された。どうやら理由は不況とリストラの影響のようだが、その一方で、組織に所属することを嫌う若者たちが増えてきているともいう。いわゆるフリーター志願者が急増しているらしい。そして「定職」から離れた大人たちもまた増えつつある。いわゆる失業者の急増である。
 かつて「無職・住所不定」は、社会の落ちこぼれ、世のはみ出し者の代名詞だった。成人たるもの、まずはきちんとどこかに就職して、安定的な収入と自らの居場所(住所)を確保しなければならないというわけだ。そうした価値観の延長線上にマイホームが位置づけられ、「定職とマイホーム」が男の人生の重要な目標になった。いずれも「自分の居場所」を明確に示すものだ。仕事と家を持つことは、男なら誰もが願う成功の一里塚、かつ人生のステイタスでもあったのである。

 ところがいま、定年まで収入とプライドを約束してくれたはずの組織(会社)は、むしろリストラ不安の発生源となり、男たちのプライドをいたく傷つけるものに変貌している。そんななか住宅ローンの返済も重荷になるばかりだ。
 こうして経済が下り坂に差し掛かると、それまでの勲章が逆に危険な地雷に変わってしまう。これではいったい何のために会社人間となり、家を持ったのかが分からなくなってくる。
 若年層のフリーター志向が、果たしてそのような親たちの姿を見たせいかどうかは分からないが、とにかく定職・マイホームへの情熱は彼らからすっかりさめ落ちたようだ。しかしそれを見る親たちの世代は、なおも定職にこだわっている。自らが身に沁みて会社人間の悲哀を嫌というほど感じていながらも、子供たちにはなおもかつての価値観をごり押ししてしまいがちなのだ。
 「おじさん族」の価値観がなかなか変わらないその一方で、社会の情報化と技術の進化が恐るべき勢いで進んでいる。いわゆる「IT革命」というやつだ。IT革命のステージはインターネットで、その武器は携帯電話やノートパソコンなどのモバイルツール…。こうしてIT革命が、仕事の仕方やビジネスの仕組み、耳朶に価値観や社会のシステムを根本から変え始めている。

 ちなみに携帯電話を持つだけで、人々はたちまち固定した場所から解放される。出勤時間までにわざわざ所定の会社に出かけずとも済む。携帯電話を手にすることで、それまでの仕事や生活が大きく変わってしまうのだ。
 インターネットビジネスもしかり、かつては立地条件や店舗や在庫力がものをいい、フェイス・トゥ・フェイスの接客術などが大きく売上に貢献したが、インターネットビジネスはそうしたものの多くを無意味化してしまう。ずばり、個性力とサービスと価格の実質で勝負ができてしまうのだ。

 となれば、成長のベクトルは「固定」ではなくて「自由」の領域にあり、また、しがらみとムダの多い「組織力」よりは、柔軟な機動力を持つパワフルな「個人」に味方する。急激にIT革命が進行する社会環境は、「定職&マイホーム」というよりは、「無職(自由)&住所不定(絶えず移動)」の領域に新しいビジネスチャンスを開いてくれているともいえるだろう。
 こうした変化は、工業社会から情報社会への根源的な変化ともいえるのではないか。そしてこの両者の決定的な違いは、工業社会が固定的だったのに対して、情報社会は移動的ということだろう。その意味で前者が農業に似ているのに対して、情報社会はどこか遊牧民(ノマド)の生き方に似ている。IT革命は「ノマドの時代」を目指して進みつつあるとも言えるのだ。
 社会環境はノマドの時代へ…。二一世紀は「固定・定住・定着」ではなく、住所も居場所も絶えず移動する臨機応変型のビジネスが広がっていくことになるだろう。しかもそれはピラミッドのような整然とした重力構造を崩し、個人や小集団を基本とした多様で複雑なネットワークシステムをどんどん広げていく。実際、高々携帯電話が普及しただけでも、人々は時間的・空間的な制約から解かれて自由度が大きく増した。社会環境は工業的システムからノマド的な世界に、一挙に脱皮しつつあるのだ。
 しかし世のおじさん族の意識は、いまだにどっぷり工業社会・農業の世界に浸かっている。だからこそ息子娘に定職(固定)を望み、住所不定の輩を軽蔑したりもする。

 が、組織から縛られ絵宇ことを嫌って自由度の高いフリーターをあえて望み、携帯電話やパソコンでどこの誰とも知らない「メル友」たちと気軽に交流する若者たちは、直感的にノマドの時代の到来を予感しているのかもしれない。固定(定住)していてはこれからの環境に適応できなくなる。だからノマドのように絶えず移動しながら、エキサイティングな体験をしてみよう…と、彼らの心の奥底には、そんな衝動が息吹いているのかもしれない。
 そう考えれば、フリーターの急増をそれほど悲観することもない。また転々と仕事を変え、素性の分からないやつたちと気楽に付き合っていることに不安を抱くのも余計なお節介。それよりはむしろ、彼らは次代を生きるためにウォーミングアップをしているのだ、と見守ってあげたほうが気が楽というものだろう。
 定職と居場所が明快だった工業社会の固定的な価値観からすれば、ノマド的な生き方はハラハラドキドキの連続かもしれない。しかしIT革命は社会を明らかにノマディックな方向へと進め、やがてはそれに熟達した者のみが生き残れる時代になりそうだ。そう思えば、フリーター志願者こそが次代の主役に見えてくるのではなかろうか。
   

 こんなふうに書いてしまうと、「なんとおめでたいやつ」…と顰蹙をかうにちがいない。確かに事はそれほど単純ではないだろう。というのも、定職に就くことを嫌い、社会常識から逸脱して勝手な生き方をしている若者たちの犯罪なども、また目立ってきているからである。
   

 が、彼らの一部があるときプッツリとキレてしまうのも、ノマド的な生き方を全く理解してくれない大人社会に完全包囲されているからかもしれない。実際、遊牧民に定着や農業を強いたりしようものなら、多くの者たちが生きがいを失って自己崩壊を引き起こすという。この事実はすでに文化人類学的にも明らかになってきているわけだが、昨今の恐るべき事件を耳にするたびに、ふとそんなことを思ったりもする。
 それはともかく、ノマディックな生き方は、まず絶えず移動することであるが、これは「モバイル」というキーワードで現代社会に蘇っている。そしてもうひとつ、そこには「遊」の意味も込められているわけだが、あるいは「遊」こそが現代的ノマドの特質といえるのかもしれない。ちなみに「遊」を辞書で引くと「気ままに遊び楽しむこと」「家を離れて他郷に行く」などとあるが、これはまさしく現代ヤングの特質そのもののようだ。
 要するに、仕事に縛られるのは大嫌い、うるさい家族のお節介も大嫌い。だから家を飛び出して気ままにあちこちを遊び回る。
 遊びの本質は自発的自由にあり、時間に縛られないということだが、現代ヤングはサバンナでではなく、都市の砂漠でノマド(遊牧民)的な生き方をエンジョイしているかのようだ。
 そしてそのすべてが、大人たちにはイライラする。それもそのはず、住所(居場所)不定と気ままで自由な遊びこそ、四角四面の工業的社会で最も忌み嫌われていたものだからだ。にもかかわらず、他方でモバイルツールがどんどん広がり、その武器を現代ノマドたちが見事なまでに使いこなしていく。しかも「遊び半分」で始めたものが、いつのまにかとんでもない成長ビジネスに豹変していたりもする。時代の風は、間違いなくノマド的な生き方に味方し始めているようだ。
 ノマドは情報の民であった。移動には、絶えず方向を見極めなければならないからである。

 蛇足ながら、ちなみに星座にはノマド的・砂漠的な命名が散りばめられている。蠍座、射手座、牡牛座、水瓶座、天秤座等々…、いずれも水穂の国日本とは縁遠いものばかり。しかし日本も、二一世紀型のノマドの風に巻き込まれつつある。

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