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福岡翁のメッセージ | 稲田芳弘コラム
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福岡翁のメッセージ

 そしてここから、福岡翁のメッセージが続くのですが、長すぎますので、その中から、面白そうなところだけを以下に拾い出してみることにしましょう。
 


 自然農法は収量が問題だという人がいますが、ごらんのように決してそんなことはありません。見れば見るほどたくさんの実がついているのが分かるでしょ。スモモもあれば、キウイフルーツ、ハヤトウリもなっている。果物が三重に、立体的に茂り実っているんです(笑)」

 はっきりと確認したわけじゃありませんが、全部で三十種類くらいはあるでしょうね。でも同じスモモでも、いろんな種類のスモモがこの山にはあるわけでして、一つの種類が、平均してさらに五種類くらいづつ育っています。ですから、掛け算すれば百五十種類くらいはある計算になるでしょうか。
 その約百五十種類くらいの果物が、次から次へと実っていく。この山は全部で四ヘクタールほどあるんですが、とても全部など収穫しきれません。実った果物のほんの一部を、「天の恵み」としていただいているにすぎないんです(笑)。

 そう、自然農法というのは、まさに「生き方」の問題なんですよ。この農園を自分が苦労して作ったと思えば、全部収穫しなきゃ損だと思うのが当然かもしれませんが、実際にこの農園を作ったのは「自然自身」であって、決して僕じゃない。それに、やせ我慢でいうわけじゃありませんが、これは「人間のため」にだけ作った農園でもないんですよ(笑)。
 
 実は先日放映されたNHKのテレビ(心の時代)ではちょうどこの辺りに座ってお話ししたんですが、なぜNHKがあえてここで映像を収録したかといいますと、十三年前『大法輪』という雑誌に載った写真と現在の様子が全く違っていたからなんですね。
 つまり十三年前の『大法輪』に掲載された写真は「まるで荒野の一軒屋」だったのに、いまはごらんのとおり「まるでジャングルそのもの」でしょ(笑)。わずか十三年の間にこんなに様相が変わってしまったということに、つまりNHKが興味をもったというんでしょうね。

 実際に十三年前のその写真を見れば信じていただけると思いますが、僕がこの山に入ったその当時、この辺りは雑木さえ育たないような不毛の土地だったんです。土は固い赤土でしたから、一本のミカンの苗木を植えるにも、ダイナマイトを使って穴を開けるしかなかった。それも、二本のダイナマイトを爆発させてやっと小さな穴ができるほど土が固かった。そんなわけで、この山は農園にすることなんてとても考え
られないひどい土地だったんです。その山が、わずか十三年の間にこんなにも変わってしまった。砂漠同然の山が、いまではまるでジャングルのように変身してしまったんですよ。

 十三年前には、この辺りにはミカンの木が生えていて、あちこちに鶏が遊んでいました。土はどこを掘っても粘土の赤土で、雨が降るとどろどろになり、その逆に乾けばかんかんに固まってしまう。普通なら、十三年の間にこんなに緑が増えたのだから、たしかに土が肥えたと思っても不思議じゃありません。しかし、実際は、土はなんにも肥えてはいないんですよ。
 
 ごらんのように、どこを掘ってみても表土は10センチもないでしょ。だから自然農法をやれば土ができるとか、いい土ができるから自然農法ができるというのは、実はウソなんですね(笑)。
 いったいなぜか。五十年も自然農法をやってみて、僕も自然というものが少しは分かったように思っていましたが、しかし五十年が経ったいまではもう下手にものが言えなくなってしまいました。
 つまり、したり顔で自然を説明することなどもうできない。それが正直なところ、五十年も自然農法をやってきた結果の厳粛な現実そのものなんです。
 
 この辺りはまだ十三年しか経っていませんが、しかし二十年、三十年と経ったところなら、いまはもうジャングルそのものです。あんなふうになってくると、土の養分を吸収して作物や木が育つんだなどとはとてもいえません。栄養分や水分についても、果たして水は下から上がっていくのか、上かや降るのか、あるいは植物そのものが互いに出しあうのか、そういった基本的な水の循環についてもまるで分かっていないんですよ。
 とにかく、いままでの説明ではもうとうてい説明がつきません。いまでもこんな赤土というのに、たったの二年や三年で、どうしてこんなに木や植物が成長できるのか。正直な話自然というものの不思議な営みについては、もうなにもいえませんね
(笑)。

 まず初めに、肥料木としての役割と、日陰を作ってもらおうと思って、最初は藤の苗木を植えました。ところがその藤の上にいまではハヤトウリが覆っている。ほら、あの小屋の屋根の上にもハヤトウリが茂っているでしょ。あれは実は小鳥が蒔いてくれたんです(笑)。
 ハヤトウリというのはとても面白いものでして、一本の苗から少なくても平均三千、五千もの実がなります。普通に育てても二百や三百個がなるといわれています。ところがこの山で冬を越させたものならば、もっともっとたくさんなる。多い場合には一万個くらいを平気で実らせてしまうんですよ。
 ということは、たった一本のハヤトウリで、一反もの面積を緑の葉っぱで覆ってしまう計算になります。ですからインドやアフリカなどの砂漠に植えたとしたら、わずか一年で一本が一千平方メートルもの緑の覆いを作ってくれることになる。しかもそこに約一万個もの実をつけてくれるわけですから、砂漠の緑地化にはハヤトウリを使ったらいいと僕は言っているんですよ。しかし実際に誰もそれをやってはくれるわけではありませんから、なかなか実現しませんね。
 
 それはともかく、この山に入って五十年、五十年が経ったいまつくづく思うことは、人間が自然に介在すればするほど自然をだめにしてしまうということです。
 僕もこの山に入った当時は、この荒野を「エデンの園」にしようと心を燃しました。が、結局は、僕が人間の浅知恵を加えたそのぶんだけ「エデンの園」は遠ざかっていった。人間がやればやるほど自然はうまくいかないんです。
 
 でも、いくら失敗を見ても、必ず「エデンの園」は実現するという確信だけは絶対に揺るぎませんでしたね。実際、五十年が経ったいま、この山の目の前には、スモモ、クワ、キウイフルーツ、モミジ、サクランボ、アカシア、山桃などの木々が生い茂っています。それにハヤトウリや大根などのたくさんの野菜も地面を覆っている。見ればお分かりのとおり、これではとても農園には見えないでしょうが、昔夢見た「エデンの園」がまぎれもなくいま眼前に広がっているんです。
 
 結果的にいえることは、植物の植生レイアウトは人間の頭で決めるんじゃなく、自然自身に自由に決めてもらうのが一番ということです。
 つまり最初の種は自分で蒔いても、実った実は小鳥が食べて糞にして蒔き直してくれるのに任せたり、また風が運んでいってくれるままに任せたりする。実際、自然がなすままに植物をほっといてみたら、こんなふうにどんどん育っていったんですよ。しかし「自然に任せる」ことと「放任」することとは微妙に違うもののようで、人間が植えて放任したミカンは結局は全滅してしまいました。
 
 その原因は分かったような分からないような…。しかし人間が知恵を使って植えた木は、いくら熱心に管理してみても放任しても、結局はだめになるということでしょう。
 同じミカンの木でも、自然に生えてきたミカンなら、あるいは勝手に豊かに育ったかもしれませんね。こうしたことからいえることは、自然がやったものはすべてが結局は善に帰結し、人間が介入すると結果的に悪になる。そういうことなんじゃないでしょうか(笑)。

 五十年前に、この山で「エデンの園」を夢見たときから、僕の「自然農法」は出発した。そして、自然農法を説明するためにいろいろとやってきた。が、五十年という歳月を費やして得たその結論は、人間が手を入れれば入れるほど自然はだめになるということ。考えてみれば僕が必死でやってきたことは、あるいは自然の邪魔をしたにすぎないということだったのかもしれませんね(笑)。
 もしもそれが最初から分かっていたら、なにもせずに初めからほっておいたことでしょう。つまりは「なにもせず、自然がなすままに任せてしまう自然農法」…。
 
 何もしなかったら、この山はいまでも荒野のままだったかもしれません。が、それはわずか五十年や百年の単位で自然を見るからであって、もし五百年、千年の単位で見たとしたら、あるいはこの山にも風や野鳥が種を運び、徐々に「桃源郷」を作りだしていってくれるのかもしれません。
 人間は、とにかく急ぎすぎますし、焦りすぎるんです。「効率的な人間のための食料づくり」だけを考えるから、結局は自然を破壊しつくしてしまうんですよ。
 だから僕が行き着いた究極の「自然農法」とは、人間は最小限の手を加えるにとどめるべきだということ…。そしてその最小限の手というのが、つまり「粘土団子を蒔く」ということなんです。

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