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斎藤さんのお話 | 稲田芳弘コラム
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斎藤さんのお話

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この牧場は、牛が勝手に作ってくれた牧場なんです。
 実際、熊笹と石ころだらけだった山を開拓してくれたのも牛ですし、きれいな草地を作ってくれたのも牛たちです。牛は毎日牧場内を勝手にのんびりと歩き回りながら、せっせと肥料も入れれば山や木や草地の管理もしてくれている。おまけに子をどんどん産んで増え、乳まで出してくれるんですからありがたいもんですよ(笑)。
 そのきっかけといえば、結局は極限状態に追い込まれてしまったことでしょうね。みんなと同じようなことをやっていたら、要するに食えなくなったんです(笑)。

 私がこの土地に開拓団の一員として入植したのは昭和22年。その後26年に独立して一人で農業に挑戦したものの、なにしろ私に割り当てられた土地は農業には不向きな山だったから、みんなと同じやり方では全くダメだった。独立した年などは、国有林の雪投げや水田農家の手伝い、また山からフキやワラビなどの山菜を採って旭川の町まで売りに行って暮らしをつないだりしていました。ここは起伏の激しい山で傾斜度が平均して15度もあり、しかも粘土質の土地でしたから、鍬を入れることも難しいほどだったんですよ。
 普通なら機械を使って開墾をするところでしょうが、そんな金などあるはずもない。なにしろ独立はしたものの自分の住む掘っ建て小屋もなく、兄貴から借金して住む場所だけはなんとか確保といった状態、まさに手がつけようもなかったんですよ。
 で、翌年には山形の田舎から家内をだまして連れてきて(笑)、とにかく必死で畑を起こしました。トウモロコシ、馬鈴薯、大豆、小豆なんかを作りましたねぇ。ところが場所が場所ですから、自分で収穫する前に、野ウサギや野ネズミのほうが先に収穫してしまう(笑)。それでもコツコツと働いて三ヘクタールの畑と三頭の搾乳牛を手に入れましたが、とても食うまでには至らなかったんです。

 それでも元気で働けるうちはまだ良かったんですが、子供が生まれると家内はきつい農作業に加えて育児や家事もありますから大変です。ついには倒れて入院してしまった。そうなると牛の管理もままならず、事故が起きたり搾乳量が減ったりで経営が大ピンチ。そんなこんなですっかり信用を失い、開拓農協からは肥料一俵借りることもできなくなってしまったんですよ。
 多くの場合、そんなときに山を下りたり、畑を捨てて離農して町に働きに出るんでしょうね。でも私はバカですから、山を下りずに、逆に熊笹をかき分けて山に登った。この辺では「バカと煙は高いところに昇る」と言われているんですが、まさにそれを地でいったわけです(笑)。
 山には登ってはみたものの、周りの木や熊笹で何も見えなかったので、さらに一本の高い木によじ登った。そして自分の土地や遠くの景色を眺め渡しながらいろいろ考えていたんですよ。
 そうしたら、ハッとあることに気がついた。そうか、野鳥や昆虫のように生きていけばいいんだなって。
 というのも、木に登って周りを見ていると、小鳥のさえずる姿や昆虫の飛び回る光景が目に飛び込んできた。彼らは実に自由に、悠々と、別にあくせく働いているわけでもないのに楽しそうに生きている。それに比べ、私たち夫婦はこんなに必死になって働いているにもかかわらず満足に食うことすらできない。これはどっかがおかしいぞと思ったんです。
 そのことに気づいてさえしまえば、あとは簡単です。要は、野鳥や昆虫たちと同じように、自分のほうから自然の中に溶け込んでいけばいいんですよ。

 極限まで自分を追い込んでしまうと、たぶんそれまでの固定観念がどっかに吹っ飛んでしまうんでしょうね。すると、そこから人間が本来持ち合わせている直感力というか純粋で素朴な感性が蘇ってくる。だからいろんなことに気づき始めるんだと思います。
 行き詰まりというやつは、自分のほうから諦めるということです。が、土壇場に追い込まれても諦めさえしなければ、きっと何かが見えてくるものなんですよ。それには時間がかかるかもしれないけれど、待ってさえいれば何かが見え出す。ところが困ったもんで人間というやつは、苦しくなるとあの手この手でちょこちょこ手を打つからかえっておかしくなっちゃうんです。ある程度確かな何かが見えてくるまでじっと耐えて待つ、それが秘訣なのかもしれませんね。

 金を稼ぐためにトラック林道工事の仕事をしたことがあったんですが、林道を気をつけて観察してみると、とても面白いことが分かってきたんですよ。つまり、トラックがいつも通るわだちには草はほとんど生えないけれど、ときどき通るところには野草や牧草が適当に生えている。そして車が全く入らないところには熊笹やイタドリがびっしりと生えて伸びているんですね。ということは、適当に車や人が踏みつけてやれば、邪魔な熊笹や雑草がなくなって、草地づくりができるんじゃないか。そんないうひらめきが起こったんですよ。つまり車や人の代わりに牛を頻繁に歩かせれば熊笹はなくなり、また適度に歩かせれば牧草が生えてくるにちがいない。そう思って実際にそれをやってみたわけです。

 そこからいわゆる「蹄耕法」が誕生するわけですが、この名前は実は後で役人が付けたものでして、それにはちょっと面白いエピソードがあるんですよ。
 20年くらい前にニュージーランドからロックハートという先生がまだ牧場らしくなっていなかったこの場所にきて私のやり方を見ましてね、「これは素晴らしいことだから、このままこの人に好きなようにやらせたほうがいい。行政も農協も普及所も斎藤牧場には一切口は出すなよ」と言ったんです。そうしたら、それまではバカにして完全に無視していた道庁がびっくりして、あわてて調査員を派遣して寄こした。その結果「蹄耕法」という名前が付いた(笑)。
 まぁ、私としては名前なんてのはどうでもいいことで、とにかく熊笹と石ころだらけの山を牧場に変えてしまう方法を発見したんですよ。それも、機械も人手もお金も使わずに、牛たちが勝手に全部やってくれる牧場づくりの方法です。よくよく考えてみれば、そういう手がちゃんとあったんですね。
 そのことを知って、「ここには何もない。ここでは暮らしていけない」と思っていた自分がつくづく情けなくなりました。ここには実は必要なものが全部そろっていた。なかったのは自分の能力だけ(笑)。食えなかったのは誰が悪いんでもなく、自分でその方法に気がつかなかったからだったんです。

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 とにかく人間ってのは、極限に立たないと価値観が変わらないんですよ。まだ何とかなるだろうと思っているうちは真剣に物事も考えないし、本当の決断もしなければ、新しいことに挑戦する勇気も湧いてこない。しかし、生きるか死ぬかの土壇場に立たされれば、本気で考え、なりふりかまわずに突き進んでいく。要するに、いざ極限状態を経験すると、大事なものがはっきりと見えてくるんです。

 開拓の当初、私は外国の草を食べさせることが生産性を上げることだと教えられていましたが、そんな草を買う金なんてあるはずがない。そこで仕方がないから熊笹や野草を食べるところから始めたわけですが、実際は「仕方なく」じゃなくてそれこそが正解だったんです。つまり、日本で飼う牛は、日本の風土に生える草を食べてこそ健康に育てることができるものなんです。
 だいたい、 四本も足のある牛に、二本しか足のない人間がエサを運んであげたり、糞尿の処理をしてあげるということ自体が間違っているんですよ(笑)。牛は本来、勝手に歩き回って、食べたい草を食ってこそ元気に育つものなのに、牛の事情などなにも考えずに、人間様の都合で牛を管理しているんですからね。

 で、山を牧場化するその方法ですが、まず山の熊笹を刈り、刈った笹を一週間から十日間くらいかけて乾燥させます。山に生えている立ち木はそのまま残しておいていいんです。
 その後で火入れをすると、乾燥した熊笹は燃え、残された立ち木は火の勢いで立ち枯れの状態になる。火入れの後は、焼け跡の灰がまだ温かいくらいのうちに、牧草の種七種類くらいを混ぜて蒔いていくんですよ。
 問題は火入れの時期ですが、火入れは山の木や笹がまだ十分に水分を含んでいて、山火事の心配がない夏の終わりから秋にかけて行ないます。この時期なら刈り取った笹が乾燥してよく燃える反面、中の笹は燃えにくくて防火栓の代わりになってくれますからね。要するに火入れの時期を選び、周囲の状態をよく観察して焼く。それを間違えると大変なことになります。
 七種類ほどのタネを混ぜて蒔くのは、それぞれが適材適所に生えてくるからです。また草の種類が豊富であるということは、自然生態系的に見ていいだけでなく、牛にとっても嬉しいことだと思います。その時々の気分や健康状態で、好きな草が食べられるわけですからね。

 これまでは、土の中にびっしりと根を張っている熊笹を退治するために、ブルドーザーで山の表土をごっそりはいで沢に落としていたんですが、それはあまりにももったいない話。表土こそが牧場のいのちなんですからね。でもそうしないと、開拓のガンといわれてきた熊笹の根はなかなか退治できなかった。しかし火入れをして焼いてしまえば、表土はそのまま残ってくれるんですよ。
 焼け跡の灰がまだ柔らかい間にタネを蒔くというのは、そのほうがタネが灰に埋もれて、土に定着しやすいからです。タネを蒔いた跡地にはバラ線を張り、そこに牛を誘導していく。すると牛は成長が早い雑草や熊笹の芽を食べて歩きますから、蒔いた牧草のタネが牛に適当に踏まれて土に埋まり、発芽しやすくなるわけです。
 火入れをして一年目には、早くも牧草が地面を覆い始めますよ。木はまだ立ち枯れ状態で残ってますが、立っているから牛の散歩の邪魔にはなりません(笑)。
 三年目になると牧草はほぼ全体を覆い尽くし、立ち枯れの木は朽ちかけたものから順番に自然に倒れ始めます。倒れたら拾ってきてたきぎに利用すればいい。とにかく人間はなにもせず自然にそのまま任せること、それが秘訣といえば秘訣でしょうね。

 大事なことは、ゆっくりと時間をかけて牧場が出来上がるのを見守っていくことです。時間さえかければ、あとはほとんど牛がちゃんとやってのけてくれます。こうして昔は雑木と熊笹と石ころだらけだったこの山を、ほとんど機械を使わず、お金もあまりかけず、牛といっしょに緑の牧草地に変えてきたんですよ。
 牧場には大きな木が残してありますが、大きな木を残しておくといいことがいっぱいあるからです。土地の保水力が高まりますから干ばつによる被害が抑えられますし、傾斜地の土壌の流出も防げます。また暑さに弱い牛にとっては絶好の木陰にもなる。だから、牛たちも喜んでくれていますよ(笑)。
 牧場には石があちこちにありますが、これは自然のままの石庭ですから、人間があれこれデザインして作る石庭よりもはるかに美しいでしょ。それにお金も全くかからない。逆にいえば、お金をかけずに牧場をやったからこそ、ゆっくりと時間をかけることができたんですよ。みんなはまず巨額のお金を投資してしまうから、のんびりゆったりとやることができなくなる。金を投資した以上は、一日も早く回収しなければなりませんからね。

 ただ、うちの牧場の牛たちの乳量は、一般の牛に比べればかなり少ない。普通の牛が八千から一万キロで、うちのがほぼ四千キロですから、まぁ、半分くらいといったところでしょうか。
 しかし牧場は牛たちが働いて勝手に作ってくれたものですし、エサはすべて草ですからエサ代もかからない。そのうえ山まで上手に管理してくれているわけで、要するに牛を飼うことにほとんど金がかからないんです。ですから乳量が少なくても十分に採算が合うんですよ。経営的な効率ばかりを追求していくと、結局は歪みが生じて家畜も人間も環境もおかしくなってしまうんですよね。

 冬は雪で放牧ができませんから、そのために約五十ヘクタールの採草地を確保していて、冬用の飼料として乾草をたっぷりと準備しています。また一部はサイレージにして保存もしています。
 そんなわけで雪が降る十一月から雪解けの四月までは牛舎で飼いますが、決して牛舎に閉じ込めておくわけではありません。晴れた日には外に出す。すると牛たちは大喜びで雪の中を水場まで降りていく。放牧にすっかり慣れた牛たちは、雪や氷の上でも縦横無尽に歩くことができるんですよ。
 牛だって長い間一所に閉じ込められていたら当然ストレスが溜まります。だから時々雪の上に放り出す。すると運動になるだけでなく、ストレスの発散もできる。牛も人間と全く同じで、心身両面の健康が大切なんですよ。
 放牧は四月から開始して、十一月の始めまでの七ヶ月間くらいやります。雪解けと同時に放牧しますと、彼らは春を待ちかねたように出始めたばかりの熊笹や雑草を食べ出しますよ。熊笹の新芽なんかは嗜好性がありますし、牧草以上の栄養もありますから、早春の格好のエサになるんです。

 また春は子牛の誕生の季節でもあって、毎年70頭ぐらいが生まれています。牧場で自然に産ませているんですが、難産というのはほとんどない。しかもすべてが自然交配であって、お金のかかる人工授精なんてしていません。
 種雄牛を雌牛の中に二頭ほど混ぜてほおっておけば、七月くらいまでには雌牛の100%を見事に妊娠させてしまう(笑)。もっとも近親交配を避けるために、種雄牛は二年で更新しています。どうです、斎藤牧場の雄牛は幸せでしょ(笑)。雌牛だって生き物ですから、ただ乳を搾りとられるために人工授精をさせられるよりは、やっぱり自然交配したほうが嬉しいと思いますよ。しかもお金がかからない。人工授精には一頭当たり一万五千円から二万円がかかるんですが、うちのは黙ってほっておくだけでタダで妊娠させてくれるんですからね(笑)。
 その意味でこの牧場はまさに牛任せ。毎日勝手に山の牧場をのんびりと歩き回り、暑ければ木の木陰で涼み、喉が乾けばおいしくて冷たい湧き水を飲み、しかも雄も雌もいつもいっしょだから楽しい(笑)。要するに牛たちがいちばん幸せになれる環境にしてやっているということです。とにかく牛は人間よりもはるかに草や山や自然のことをよく知っている。だから牛に任せてしまったほうが利口なんです。

 人間はいろんな知識をいっぱい頭に詰め込んで、人間に都合の良い計画をいろいろ立てますが、実際うまくいった試しがありません。ちなみに国の政策のまま規模拡大とか設備投資をしてきた結果がこのざまですからね。残ったのは自然破壊と借金だけ(笑)。これでは後継者がいなくなって当然のことですよ。
 私には四人の子供がいるんですが、娘は酪農家に嫁ぎましたし、三人の息子たちもみんな酪農をやっています。その気になったのは、牛飼いもそう変なものじゃないぞということが分かったからでしょうね。これが、借金だらけの苦しい経営を私がやっていたとしたら、誰もわざわざやってみようという気などにはなれませんよ。

 中山間地域での牧場づくりでは、まさにこの牧場が一つのモデルになるんじゃないかと思います。日本は山国で国土全体の七割が山なんですから、このようなやり方で山を利用していけば、日本の山はまさに宝の山に生まれ変わるはずですよ。
 自然の摂理のすごさに比べれば、人間の知識なんて知れたもの。人生で大事なことは何かに興味をもつことであって、興味さえ抱けば勉強しろなんて言われなくたって自分から勉強するものです。だからそんなに無理をして知識を詰め込む必要なんてない。必要な知恵はちゃんと与えられるものなんですよ。
 知識を詰め込むとむしろ弊害のほうが多くなって歪みがでてきます。だから私は「あんまり勉強しすぎると、一番大事なものが見えなくなるよと」よくいうんです(笑)。

 私は要するに頭が悪かったから、素直に自然から学ぶことができたんだと思いますね。頭が悪かったから、昔の辛かったことや苦しかったこともすぐ忘れたし、失敗して痛い目に遭ったことも忘れてまた挑戦できた。しかしいろんなことを知りすぎてしまうと、なかなか勇気をもって行動することができないものですよ。
 しかし私の言うことも、やることも、なかなかみんなに理解してもらえなかった。で、理解できないんなら、こっちが変わり者になるしかないというわけで、自分から先に「オレはへそ曲がりで偏屈者なんだ」と言ってかかるんです。自分のほうをへそ曲がりにしておかないとおかしくなりますからね。
 本当は、自然の側から見れば、私のほうがずっとまともで、みんなのほうがへそ曲がりなんですよ。実際はそう言いたいんですが、そういってしまうと面白くないし、ますます話がこじれてしまいますからね(笑)。

 牛飼いが楽しいだけでなく、牧場にやってくるいろんな人々や市民とお話するのも楽しいものです。いろんな人と交流していますと、そこからヒントがいっぱい見つかるんですよ。そんなことをしていたら仕事に差し支えるじゃないかと忠告してくれる人もいますが、私が人としゃべって遊んでいても、牛たちはちゃんと休まずに楽しく働いてくれています(笑)。だから心配ご無用なんです。
 実際たくさんの人がやって来るし、建物もどんどん建ってきています。というのも、旭川の町の人から「ここにログハウスを建てさせてほしい」と言われたものですから、どうぞどうぞと開放したところ、こんなにいっぱい建ってしまったんですよ。その中には旭川市長や旭川大学の教授の建てた山小屋もあります。それに教会だって建っている。私は一円も出さないのに、いつのまにかこんなに建ってしまったんですね。

 ただ、山小屋を自由に建てさせてあげる代わりに、オーナーが使わないときは一般市民に開放してあげることを条件にしています。そうすれば、もっと多くの人々がこの場所で楽しめますからね。自分で山小屋を作ったらかなりお金がかかりますが、みなさんどうぞと開放してしまえばタダでこうした環境ができてしまう。しかもこれなら施設の維持費もかからない。それでいて使いたいときに自由に使えるんですからいいもんでしょ(笑)。
 こんなふうにおおらかに開放できるのも、ま、ここは私が莫大なお金をかけ、汗水たらして苦労して作った牧場ではないからですよ。ここはあまりお金もかけずに、牛たちが作ってくれた牧場です。だから寛容でおおらかな気持ちになれるんだと思います。

 しかも不思議なもので、そういった気持ちはここを訪れる人々にもなぜか伝わっていくんですよ。たとえば、牧場の湧き水の中にはいつも冷えたビールやジュースなどがいっぱい入っているんですが、それはみんなが持ってきて入れてくれたものなんです。普通なら自分の飲む飲み物を自分で持参してきて自分で飲むというところですが、ここでは湧き水の中で冷えているビールをまずいただき、お返しに持参してきたビールを入れて帰るという暗黙のマナーみたいなものが出来上がっている。すると不思議なもので、一本飲んで二本入れて帰る人もいる(笑)。
 私自身がまず大自然からこの牧場をいただきましたから、今度はみんなにお返しをする。こうしてどんどんみんながつながり、循環の輪が広がっていくんです。経済の基本は、みんなで仲良くすることじゃないでしょうか。仲良くして力を合わせさえすれば、どんなことでも実現してしまうんです。

 日本は山の多い国ですから、その気になれば日本中がこういった牧場だらけになることも決して夢ではない。そうしたら中山間地域の過疎問題なども一挙に解決するのではないでしょうか。だいいち楽で儲かる牧場ならやりたい人も出てきますし、町に住む人だってそういう場所で家族や友だちと気軽に楽しめるとしたら嬉しいですよ。その意味では、過疎地には宝の山があるわけです。そのことに早く気がつかなければならないんじゃないかと思いますね。
 ここには幼稚園や小学校などからもいっぱいやってきます。大阪のある高校なんかは北海道への修学旅行で立ち寄ってくれて、後で先生がみんなの意見を聞いたところ、斎藤牧場が一番良かったといったそうです(笑)。そんな手紙をもらったりして今でも交流しているんですよ。

 昔はこの辺りは熊の通り道だったようで、実際いまでもこの下の競馬場や小学校のほうには熊が出没していますから、よく熊の心配をする人がいます。ところがここには熊が一度も現れたことがない。なぜなら熊は自分よりも強いものがいるところには絶対に近づかないからです。
 熊よりも強いものとは雄牛であって、熊といえど雄牛にはかなわない。だから動物の本能でこの牧場には近づかないほうが身のためだと熊にはちゃんと分かっているんですよ。

 三、四年前のことですが、保母さんをやっていた二四歳の女性が三ヶ月ばかり体験実習したいということでやってきまして、三日ほどしたら「買い物に行きたい」というんですよ。で、いったい何を町から買ってきたかと言いますと、それがなんと生理用品だった。そんな大事なものをなぜ持ってこなかったかといいますと、その女性は三年間生理がなかったからというんです。ところがここに来て三日目に生理になってしまった。身体が正常になってしまったわけです。
 人間というのはこういう自然の中に入ると、まず身体が反応してしまうものなんですね。そんなわけで十日ほどここにいて帰ってしまったんですが、心身とも健康になったとたんに自分のやるべきことが分かってきたんですよ。自然というのはとにかく人間には計り知れない素晴らしいものがある。だから、それを独り占めしていては罰が当たるというもの。ということで私もこの牧場をみんなに開放しているわけです。
 町の人たちと話をしていると、「ここにくると、朝から晩まで働いていったい何のために生きてきたのかつくづく考えさせられる」とよく言いますよ。これからは人間の幸せとか生きるということの意味をもう一度原点から見つめ直す必要がありそうですね。
 この牧場では朝はうるさいほどの小鳥たちのさえずりで目覚めますし、夜はここからの夜景も絶景です。最近では旭川市から観光案内に掲載したいなどと言ってきたりもして、これまた勝手にPRしてくれようとしています。NHKテレビやいろんな雑誌などからも取材が相次いでいますし、ここに来た人たちがどんどん宣伝もしてくれる。本当にありがたいものですね。

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